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夜中の礼拝堂

【アデリナ視点】

 夜の鐘が、静かに三度鳴った。

 学院の礼拝堂には誰もおらず、壁の蝋燭だけが細い炎を揺らしている。

 昼間のざわめきが消えたこの場所で、私はひとり、膝をついて祈っていた。


「……神よ。私に清らかな力を、お与えください」


 手を組み、額を寄せる。

 石の床の冷たさが、心を静めてくれる気がした。

 この祈りを初めて、もうどれほどになるだろう。

 舞踏会で殿下と踊れたときも、試験の前夜も、こうして祈ってきた。

 努力は裏切らないと信じていた。

 清らかであれば、報われると信じていた。


 ーーけれど。


(心のどこかで、不安を感じている)


 目を閉じているのに、脳裏に浮かぶのはポラリス嬢の顔。

 彼女がゼナイド様と並んで稽古をしている姿を、私は何度も見た。

 最初はただの取り巻き。

 でもあの舞踏会で殿下と最後に踊ったことで、変わり始めていた。

 今は、あの子の中に”何か”が芽生え始めている。


「……私が、勝たなければ」


 囁くように言葉が漏れる。

 蝋燭の炎が、一つーーふっと消えた。

 まるで、誰かがため息をついたみたいに。


 胸が冷たくなる。

 礼拝堂の空気が少しだけ重く感じられた。


「神よ。私は、何か間違っているでしょうか」


 返事はない。

 石壁に跳ね返るのは、自分の声だけ。

 聖女を目指す者の心が、こんなにも弱く、揺らいでいて良いのだろうか。

 努力してきたはずなのに、心が満たされない。

 清らかであろうとするほど、胸の奥に黒い影が沈んでいく。


(ポラリス嬢……あなたは、何を祈っているの?)


 神に仕える者の道を選んだ私と違って、あの子は自由に笑う。

 授業で叱られても、恥ずかしくても、最後には笑っていた。

 その笑顔を思い出した瞬間、胸の奥がずきりと痛んだ。


 立ち上がり、蝋燭の台に手を伸ばす。

 消えた一本の蝋燭に火を灯そうとしたがーー震える指が、芯をなぞっただけで止まった。


「……灯せないのね、今の私には」


 かすかに笑う。

 冷たい空気が頬を撫で、長い金髪が肩を滑り落ちた。


(明日の試験で、私はまた”聖女を目指す者”として見られる。でも……殿下の瞳に映るのは、誰?)


 祈りの言葉が喉まで出かかったが、もう声にはならなかった。

 代わりに小さく息を吐く。


「……いいえ、大丈夫。殿下が笑われるなら、神もきっとお喜びになるわ」


 自分に言い聞かせるように微笑み、扇子を閉じる。

 礼拝堂の扉を出ると、外には満月が出ていた。

 けれどその光は白く冷たく、まるで鏡のように私の表情を映していた。

 私は目を伏せたまま、ゆっくりと歩き出す。


(明日は、必ず勝つ。誰よりも清く、誰よりも輝いて)


 そう心に刻み、私は夜の回廊へ消えていった。

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