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死せる幻想世界 絶望を斬るナナシ  作者: chiyo
ACT-01 絶望の卵と無銘の勇者ー"Nameless Heroes"ー
22/34

#20

「うみぃ……お母さん、ホントに厳重にしまってるんだから」


 息を切らして駆け込んだ家は、不気味な程に静かだった。


 母の部屋の奥、隠すように置かれていた衣装箱(チェスト)を開け、シシィはホッと安堵の息を吐く。


 そこに入っていたのは、紛れもなくナルムのお母さん――ユリシィさんが使っていた衣服だった。


 ――本当に綺麗で、優しく、愉快な人だった。


 将来、こんな女性(ひと)になりたい。そう思える憧れの女性(ひと)だった。


 その人の大事な思い出が、人知れず焼かれてしまうかもしれない、失われてしまうかもしれない――。それだけは、それだけは絶対に嫌だった。


 何より、きっとナルムが悲しむ。アイツは意地を張って、強がるだろうけど、誰より怖がりで、泣き虫なアイツに、そんな無理はさせたくない――。


 転生者様を迎えに行ったり、自分以外のためだったら、どんな無茶でも無理でもするアイツだから。


「んしょ……」


 リュックに丁寧に畳んだ衣服を入れ、背負ったケモノ人の少女は、恐怖にすくみそうな脚を、喝を入れるように、パチンと叩く。

 

 ケモノ人の脚力を用いた全力疾走なら、避難所まで数分とかからない。どんな大怪獣からでも逃げきってみせる……!


 意を決し、シシィは開けっ放しにしてあるドアの方向へと走り出す。だが、


「んみ……!?」


 (きり)が、視界を塞ぐ。四肢にまとわりつくような、高濃度の霧が、開け放しのドアから入り込んでいた。


 シシィの半獣人の本能が悟る。


 これは、最大級の"危険"だと。


「な、なにコレ……!?」


 駆け出した脚が速度を上げ、霧の中に蠢く何かを振り切らんと全力疾走を開始する。だが、霧に潜む、禍々しきモノが、それを許すはずがない――。


「きゃっ……!?」


 軟質の殻という、矛盾した物体が目前に生え、全力疾走していたシシィの身体(からだ)は、弾き飛ばされる……!


 ケモノ人の反射神経と敏捷性が、シシィに、ふわりと受け身をとらせ、幸い、全身を強打するような事態は、避けられた。


 しかし、視界に捉えた、おぞましきモノが、シシィの息を詰まらせる――。


「ま、魔物……? かい、じゅう……?」


 どちらでもない。それは実に単純な生物のように思えた。伸び縮みする軟質の殻に覆われた、その柱の如き生物は、先端から触手のような器官を伸ばし、周囲に存在するであろう"獲物"を探していた。


 ――視覚や聴覚は有していないのだろう。原始的な生物だ。だが、それ故に、単純(シンプル)に"危険"だ。


「ひっ……!」


 異変を察知し、家屋から逃げ出そうとした(ねずみ)が触手に触れた刹那、容赦なく刺し貫かれる。


 言うなれば、これは生命(いのち)狩る装置。霧の中にある生命(いのち)を探知し狩る、凶悪な――。


「あ……ああ……」


 極限の恐怖に、勝ち気な少女の判断力はひび割れ、怯えた脚は、無軌道に走りだそうとしていた。――そして、それはいま、無残に刺し殺された(ねずみ)と同じ選択だ。


「うあぁ……! うみっ!?」


 が、走り出そうとしたシシィの腕を、何者かが掴み、その無謀な疾走を阻んでいた。体勢を崩したシシィの身体(からだ)を左腕で支え、駆け付けた彼は、手にした"精霊式棍棒(スピリット・クラブ)"を振るう……!


「ナ、ナルム……!」

「うみゃああああ……ッ!」


 ナルムの肉球が柄のスイッチを押すと同時に、充填された風の精(シルフ)の力が、先端部から放出され、霧を吹き飛ばす。


 自らを包む霧を失った生物は、突如として動きを止め、その隙を突いて、ケモノ人の少年少女は走り出す……!


「ナ、ナルム……! ご、ごめん……!」

「オイらのためなんかに無茶すんな‼ いまは……!」


 逃げることだけ考えろ‼


 ナルムは叫び、シシィとともに避難所に向け、疾走する。


 ナナシと交戦中のグルネブラによる土砂崩れの影響で、滅茶苦茶になった山道を、抜群の嗅覚を頼りに、二人は遮二無二、走り続ける……!


 だが、


【―――――――――――】

「なっ……あっ……」


 二人の必死を嘲笑う、蒼い悪意が、そこに待っていた。


 それは、"絶望の卵"より(かえ)った、最凶最悪の災厄。


 その外骨格から蒼い粒子とともに放出される霧が、あの生命を狩るおぞましき装置を、際限なく呼び寄せていた。


(こ、コイツは――)

 

 ――ゼルメキウス。この幻想世界(ラブーツァ)における、最大の脅威が、幼い少年少女の前に立ち塞がっていた。


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