第二十五話 「奪還 その三」
鬱蒼とした林の中を十メートルも進むと、もう施設が目の前にある。
地図で見ていた時、清子はそれで敷地の半分ほどが見通せると思っていたが。敷地の東寄りに建っている建物と林との距離が、実際は思いの外近く、予想の三分の一ほどしか確認することはできない。
人が近づけば、簡単に気づかれてしまいそうだ。
清子はニ、三歩引いて痩せた木の陰に隠れ、見える範囲に人の姿を探すが、どうやら外に人はいない。
そこで今度は施設に目をやると、東側の壁面にはトイレのものと思しき小さな窓が一階と二階に二つずつ見えており。それらの間には廊下の端の窓だろう一メートル四方ほどの中くらいの窓が一つずつある。
もし侵入に使うとすれば、廊下の窓だ。
しかしそれは、格子状にワイヤーが込められたガラスで出来ている。割ろうとしても上手くいかないだろう。
だとすれば。
清子が通りに向いた正面に侵入口を探すと、一階の玄関より手前に見える四箇所の大窓にも格子状のワイヤーが入っていて、どれもブラインドが下ろされている。
ストリートビューに撮られたものと同じ状態だ。
あれがいつ撮られたものかはわからないが、ずっとブラインドは閉じられているのだろうか。清子はふとそんなことが気になった。
通常、朝が来ればカーテンを開けて室内に日を入れる。
会社というものが常識的にどうするのかは知らないが、閉じているものが開いているという状況が人の有無を意味する、というのは変わらないはず。
だったら、今施設内に人はいないのでは。
二階の窓も同じようにブラインドが閉じているのを見て、清子はそう思った。
この予想が正しいなら、こうして隠れている必要はないかもしれない。
清子が鈴希の方を見ると、大型トラックでも優に通れそうなほど大きく空けられた敷地の入口から、小走りに正面玄関を目指しているところだ。
「……あっ」
鈴希を見つけ、そして清子は施設正面の駐車場に車が停まっていることに気がついた。
停まっている車は七台。よく見かけるハイブリットカーが三台と、箱型の軽自動車が三台、それとミニバンが一台だ。
ストリートビューではどうだったかは、覚えていない。
「じゃあ、やっぱり中に人が……」
清子は再び施設に目をやるが、ブラインドが閉じた状態では人の気配を感じることなどできない。
それでふと考えるのは、あの部屋が何に使われている場所なのか、ということだった。
人がいても普段使われていない部屋。
だとすれば、会議室か資料室か。
それが二階にもあるのなら、車七台分の人がいる作業室は正面玄関より左の方。
だが、そこに窓はない。
ということは、窓一つない閉ざされた部屋で作業しているということだろうか。
そんなことに気づき、清子の脳裏に雅を囲む七人の白衣の男という光景が過った。
「ふざけないで……」
絶対にそんなことはさせない。
今すぐにでも玄関を突き破って中に行きたい気持ちだった清子を止めたのは、「すいませーん!」という鈴希の大声だった。
いったいどうやって施設に侵入口を探すつもりなのか。
候補として、側壁の窓か裏口とまでは決めていたが、一つは潰れた。かといって、施設の裏を探すのにどうするかとまでは話していなかった。
相手に顔がバレていないのをいいことに、最も自然に施設に近づけるのは鈴希だけ。と、そこまではわかるが、いかに一般人でも用もなく敷地内をうろつけば怪しまれるに決まっている。
だから問題は、どういう理由で敷地をうろつくか、なのだが。
「誰かいませんか―!」
黙って探せばいいものを、彼女は近隣にも聞こえるのではないかと思えるほど大きな声で人を呼んでいる。
盗賊がどうのと言っておいて、らしくない行動だ。
かといって無計画ははずはなく。
清子はさっき鈴希が言っていた、運任せ、という言葉が気になっていた。
まさかとは思うが、誰も出てこないことに賭けて侵入口を探すつもりなのだろうか。それか、見つかったら謝って終わりにするか。
彼女の性質上、後者を試す可能性が高いと思える。
「……なるほど」
そうやって人をおびき出し、その隙に自分が施設の裏側を回るという作戦なのかもしれない。
それなら鈴希が離脱することになっても、自分一人は少なくとも調べて回れる。
彼女からの合図を待つつもりで清子が玄関の方を見ていると。
鈴希はガラス戸のそれを不意に叩き始めた。
ノックではない。
ガラスが割れても構わないというふうに、バンバンバン、と両手の平を叩きつける姿は半狂乱。
そこに「もれるっ!」と一言加われば、彼女が暴れる動機も明らかだ。
「なるほど、その手が……」
これだけ騒がしくしていれば、必ず人が出てくる。
だったら、少しの時間も無駄にする余地はない。
騒ぐ鈴希をよそに、清子は施設の裏側の方へと林の中を進んだ。
その途中、施設の側面にまた一つのカメラを発見した。それは林と施設との間にできた狭い道を映せるように向いている。
施設周辺の死角を埋めるなら、あと一つか二つ、カメラが設置されているはずだ。
清子が施設の裏側を望める位置にまで行くと、そこは思いの外広い何もない空間が設けられている。
おそらく、という清子の感覚では駐車場がある正面空間よりも少し広い。
その少し広い空間の意味は、それもおそらく施設裏面にある巨大なシャッターが理由だとわかる。
施設全体の三分の二ほどを占めるシャッターだ。
そこにトラックが入るとして、ずいぶん大きなもの、十トントラックは入るだろう。
つまり、その切り返しのための空間だ。
使用目的を考えれば少しもおかしなことはない。
だが、ここがどこなのか知っている清子にとっては、この広い何もない空間は奇妙でしかなかった。
「ゴミがどこにもない……」
清子が想像する産廃処理場とは、これから処理される予定のゴミが山となって積まれている。
例えばゴミを減らした後だとしても、小さなクズの十や二十は残されているはずだ。
それなのに、ここには一つのゴミも、クズすらこの広い空間には見当たらない。
倉庫として使われているにしても、処理場としても、産業廃棄物が一つも見当たらない状態はきっとあり得ないのに。
だったら、この巨大なシャッターの向こうに全てが収まっているのだろうか。
しかしそれは、施設の広さから考えてできないことのように思える。
「…………」
つまりこの状態は、奇妙、ではない。
産廃業者をうたっておきながら何もないというあり得ない食い違いは、それを怪しげな組織の隠れ蓑にしていることを証明しているようなものだ。
だから、絶対に雅はいる。
改めて施設に向けた清子の視線の先には、扉がある。
窓のない重たそうな壁面と同じ白っぽい色をした扉だ。
そのノブの上部には高さ二十センチほどの意味ありげな銀色のカバーが付けられている。
電子錠だ。
少し昔の映画ではさも珍しいもののように使われていたそれは、現代だと探せばアパートの扉にでも見つかる当たり前の物といえる。
それ以外窓もなく、施設の裏側で入り口になるのはそこしかない。
窓は簡単に割れそうもないし。正面と合わせて考えると、侵入できそうな箇所は玄関、そしてこの裏口の二箇所か、もしくはシャッターを開けるかということになる。
シンプルな作りの割、勝手に入るのはかなり難しい。
外のセキュリティが甘いのはそういうことなのかもしれない。
施設の観察を終え、結局注意を引く必要などなかったのだ、と清子が鈴希の様子を見に戻ろうとすると。
その鈴希が上の方を見上げながら、小走りで向こうの壁から姿を現した。
「じゃあ、やっぱり人が出てこなかったんだ……」
清子はそれとなく鈴希に手を降って合図するが、鈴希は向きを変えてまだ顔を上に上げている。
つられて清子が彼女の真似をして施設の二階あたりを見てみると、ずいぶん高いところにカメラが下を向いているのに気がついた。
これで五台。
先の鈴希の行動からすると、向こうの壁の裏にももう一台カメラがあるのだろう。
そうなると、カメラに映らず行動するのも難しい。
侵入ということを漠然としか考えていなかった清子にとって、現状は意外にも考えつくされた防衛をされていて、それはさながら見えない壁。
鈴希の言う通り、運任せ、ということを悟った。
「どうすれば……」
もう、清子には壊せそうな正面玄関を壊すことしか思い浮かばない。
足下に落ちていた丈夫そうな太い枝を拾い、それを胸の前で握り締めてまた鈴希の方を見る。
すると、ようやく清子の姿に気づいた鈴希が、ちょっと待って、と言わんばかりに首を横に一往復させた。
「でも……」
身振りで焦りを伝える清子。
その時だった。
鈴希は電子錠のカバーを開け、中に隠されていたいくつものボタンを押し始めた。
まさか番号を知っているはずがない。
宝を守る竜からきた事前の通告にも、暗証番号は書かれていなかったというのに、彼女はなんのつもりなのだろうか。
さっきの振る舞いといい、彼女はどうもわざと見つかろうとしているように見える。
その理由が、自分を自由にするということだと清子は思っていたが、人が出てこないことは鈴希自身が確認したはずだ。
それでもまだ、一人でやるというのはどういうことなのか。
きっと二人でやったほうがいい。
堪えかねて清子が有刺鉄線を乗り越え林から飛び出したのと同じくして。
ガチリ、と鍵が外れる鈍い音がし。同時に、重たそうな扉が音もなく押し出されてくる。
扉は清子の方に流れている。
それに阻まれ、鈴希が清子の視界から消えた。
その向こうで、おっと、と男の驚く声。
マズい。
鈴希の危機を直感し、清子は走り出していた。
余計なことを考える余裕もなく、真っ直ぐに。太い枝を凶器として握る指の力の強さを意志として。男、殴る、頭、何回も。それだけを考えて。
だからだ。
清子は頭に血が上っていて、扉がいつまでも開いたままだということに気づいていなかった。
清子はその意味も知らず、扉を躱して回り込むのと同時、目についた人間の頭部めがけて思い切り枝を振り下ろした。
一瞬、血走った瞳は男の瞳と合った。
鼻と口が何かに覆われていて、怯えた目だけがこちらを向いている、太った顔の男だった。
屈強という言葉から遠く離れた位置にいるであろう、どこにでもいる中年太りの中年。
その薄くなった頭に太枝がぶち当たると、男はきつく目を閉じた。
「ンンっ!」
口を覆われていて、男は悲鳴にもならない苦痛の声をもらし。
振り抜くことしか知らない専業主婦の全力の一撃によって、無理やり頭部を頷かされた。
だが、まだだ。
清子の脳裏に込められた攻撃の回数は、何回も。
男が再び顔を上げようとゆっくり持ち上げられ始めたそこに、もう一発叩き込むつもりで清子が枝を振り上げると。
「おいおい!」
声とともに、今度は鈴希の左手が清子の視界を阻んだ。
「なにしてんの、あんた!」
鈴希の質問に清子は、危ないから、殴って、とだけ答えた。
「わかるけど、それはダメだって。そういうのは、素人のやることじゃない」
鈴希は乱暴に首を横に振り、そして弱った男の頭部を左手でそっと撫でた。
その手には、薄く血が付いている。
「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだよ。許して」
鈴希が優しく声をかけると、男は弱々しくも密着する女の体を振り払った。
「な……なんなんだ、お前ら。いてぇ……」
「ちょっとトイレ借りようと思っただけなの」
「ト……バカ言うな。警察を呼ぶ……」
突然のことに混乱しているのか。自分を羽交い締めにした女と、自分をいきなり殴った女がいるそばで、男はポケットからスマートフォンを取り出した。
すると。
「警察を? 呼ぶの?」
そんなことを言う鈴希は決して挑発的ではなく、むしろ驚いている様子だ。
しかし男は返事をしない。
そのまま鈴希を無視してスマートフォンの操作を続けようとするところ。
「ありがとう」
不意に鈴希は礼を言い、男からスマートフォンを取り上げた。
「か、返せっ」
男の伸ばした腕を今度は鈴希が振り払い、そして男を開いたままの扉に突き飛ばした。
「そういうわけにはいかない。っていうか、警察を呼んで困るのはあんたたちのほうじゃないの?」
鈴希が言うと、男は怪訝な顔をし、それからハッと息を飲んだ。
次に男が言ったのは、「何を知っている」。
男は、ようやく二人に何かを感じたようだった。
そんな男の探るような視線の先で、鈴希は徐にボディバッグを前面に回し、ジッパーを空け、そして。
「ところでさ。ペースメーカーとか、ボルトとかそういうの体に入ってる?」
スタンガンを取り出して男に見せた。
「おっ、ちょっと待ってくれ! なにしようって言うんだ!」
慌てる男に、「あるの、ないの?」とだけ鈴希は返す。
その手元で、ブブブ、と閃光が走り。
男は「あるっ!」と、鈴希に手をかざした。
「だから、止めてくれ。し、死んでしまう……」
「そっか……、残念。じゃあ止めておこう」
納得し、スタンガンを無理くりズボンのポケットに押し込む鈴希。
それを隙と捉えたのか。
男の形相が鬼のごとく変貌し、鈴希に襲いかかった。が。
その次の瞬間、男の立っている向きが逆になっていた。
鈴希を背にして、男は扉と向かい合っている格好は先ほどと同様。
確かな体術が行われたが、目の前で見たいたのにいつの間にか、というのが清子の目に映っていた光景だった。
とにかく、男の首にはまた鈴希の腕が巻き付き、首を締め上げていた。
苦しげに歪む男の顔。
その耳元で鈴希は、「気絶した経験は?」、と言った。
男は何も口に出さなかったが、鈴希の腕の中で僅かに首を横に振った。
「そう。でも大丈夫、怖くないよ……」
これもまた優しく言った途端、鈴希は男の膝をカクンと落とし、首を締める腕に力を込めた。
体制が崩れ、男は藻掻こうとするも上手くいかず、顔を真っ赤にしてただ苦しそうに声をもらす。
それが二十秒ほど。
ついに男は白目を向き、気を失った。
その顔はおよそ安らかといって過言ではなく。ヨダレを垂らして居眠りでもしているかのようだ。
呆気にとられ、自分がしたことも忘れて立ち尽くす清子は、どうして彼女はこんなにも手際がいいのか、という今はどうでもいいことを考えていた。
あきらかに特殊な訓練を受けている技。
ふと過るのは、彼女のスマートフォンの待受に映っていたあの女性警察官とのツーショット写真だ。
陽介といい、写真の女性といい、もしかすると彼女もそうなのかもしれない。
そう感じつつも、ライターだという鈴希が嘘をついているとも思えず。
密かに混乱する清子に、鈴希は「さ、清子さんも入って」と、一足先に白衣の男を施設内へ引きずり込んで行った。




