第二十六話 「奪還 その四」
男は、入ってすぐのところにあるスロープの陰に白衣と彼のズボンのベルトで縛って寝かせた。
不運な彼の名は、和歌山太郎。
と、男が首に下げていたカードに書かれている。
他に書かれていることは、飛矢リサイクル研究所、という社名と十桁の数字だ。
リサイクル研究所。
その言葉が意味するところに、クズ一つない広い空間の答えがあるのかもしれない。
スリーアール、ということについて詳しく知らないから、そこを疑ってしまっていたのだろう。
つまり、こういう産廃業者もある可能性はある、ということか。
いまいち納得はできなかったが、ゴミのない状態が不審に思われてこなかったのだとすれば、そういうことだと清子は鵜呑みにした。
とはいえ、まだまだ謎はある。
「PCCL、なんてどこにも書かれていませんね」
清子が訊くと、鈴希は肩をすくめた。
「どうせダミーですからね。そんなこと書いても意味ないからじゃないですか?」
「そういうことですか」
清子が頷くその隣で、鈴希は頭上一列分の蛍光灯に照らされているだけの、ほとんどが暗いシャッターの裏側に広がる空間を見渡していた。
「さ、清子さん。さっさとリードを付けに行きましょう。このワンちゃんを手懐けてもらわなきゃ」
「はい」
と、清子も周囲を見回す。
探すべきは、コンセントだ。
だから、裏口から入って左手に広がる駐車スペースと思しき広い空間には用がない。
そこから一メートル以上上がっている段の向こうにはあるかもしれないが、降ろした荷物の通路であろうその場所で見つかる可能性は低いと思える。
確実といえるのは、視線の先に見えるガラス窓のついた扉の向こう。
または、その扉とおよそ直角の位置にある大きな鉄の二枚扉の向こうだろう。
そう考えて清子は、段の上に続くスロープを鈴希の後に続き、そして一直線上にある扉のガラス窓を覗き込んだ。
そこに見えるのは、廊下だ。
その左手の先に微かに見える窓からは林の木々が窺え、窓よりも少し手前でトイレの札が壁から突き出ているのが見える。
そこから手前には数メートルの感覚を置いて、窓付きの扉が二箇所。会議室と、何も書かれていない白い札が突き出ているそこは、正面から見た四枚の窓それぞれの部屋だ。
外側から観察していたおかげで、初めてここに入る清子にも施設内のおおよその位置が理解できるが。
しかし、コンセントは見つからない。
原因はおそらく、覗いている側の壁にそれがあるからだろう。
無理やり目玉を下に向け、清子が視線を右手の側へ流していくと。
そこは差し込む日の光が薄れてだんだんと暗くなっていき、階段とエレベーターの扉、そして鉄製の扉一枚が影の中でぼんやりと見える状態。一番向こう側に至っては壁の正確な色がわからないほどに暗い。
これほど暗いのに明かりが点いていないところ、外で感じた人気のなさは内部でも同じ様子だった。
だが、和歌山太郎はいた。それに、最低でもあと六人はいるはずだ。
人がいるのに感じさせない妙な雰囲気は、放課後の校舎内に似ている。
だから、人がいるとわかっているのに、どこか孤独のようなものを感じてしまう。
清子は影の中に立つ扉に目をやった。
あの中に雅はいるのだろうか。
雰囲気では何も伝わってこないことが、清子をどうしてかそこに雅がいないような気にさせていた。
「清子さん」
突然声をかけられ清子が慌てて振り返ると、すぐそこに鈴希が立っていた。
「一応そこにあったけど。ここじゃ目につくから、もうちょい見つかりづらいとこ探しましょっか」
「はい」
返事だけして清子が鈴希の顔を見ていると。
「行かないの?」
と鈴希が清子の背後にある扉を指差した。
「あっ。すいません」
そう言って清子は扉から一歩引き、鈴希に先を譲る。
すると鈴希は躊躇なく扉を開け、一度だけ左右を確認してから廊下を左の方へ歩いていく。
清子が黙ってついていくと、彼女は白い札の部屋と会議室をそれぞれ覗き込み、「なんじゃこりゃ」と呟いた。
何があったのだろう。何も考えず、同じく白い札の部屋の窓を覗いた清子は思わず、「そんな……」とこぼした。
室内には、何もないのだ。
白い札の部屋が何の部屋にせよ、家具一つ置かれていないということがありえるのだろうか。
それも、ここは玄関のすぐ隣の部屋だ。
ともすれば最も使用率が高そうなものなのに、どうして。
驚くというよりも半ば唖然として、清子が次に会議室の中を覗くと、そこも今の部屋と同様に空っぽのまま。
もはや言葉も見つからず、清子が鈴希を見ると、一番奥にあるトイレへと入って行くところだった。
そういえば、ここはいつ頃に出来た建物だろう。
部屋が整っていないことの理由を考えながら、そこへ入った清子が真っ先に感じたのは、匂いだった。
トイレ独特のアンモニア臭がしない。
かといって、芳香剤の匂いもだ。
水の匂いだけがして、それを変だと感じたのは清子だけでなく鈴希も同じで、彼女は「もしかして使ってないのかな」と言った。
「そんなことってあり……」
ここに限っては、あるのかもしれない。
清子が言葉を飲み込むも、鈴希は「さあ?」と個室の扉を開け、そして。
「あるみたいだね……」
ここ見て。
言われ清子が個室の中を覗くと、鈴希は便座の蓋に溜まっている埃を指差していた。
それ自体おかしいということでもないが、積もっている埃の量が普通じゃない。
薄っすらとではなく、白い便座の蓋が灰色に見えるほど埃が覆っている。
「どうしてでしょう……」
無意味な質問を清子が投げかけると、鈴希は「そんなのは、どーでもいいこと」と微笑んだ。
「ま、とにかくラッキーってことじゃないですか。少なくとも数ヶ月は人が使っていない。うってつけでしょ」
「で、でも。今日人が使うかも」
「そん時はそん時ですね。このまま待たせてると、竜も待ちきれないだろうし。腹括りましょう」
そう言って鈴希はバッグから充電用アダプターとコードを取り出し、便座ヒーター用のプラグと交換に自身のスマートフォンを接続した。
すると、触れてもいないスマートフォンのロックが解除され、自動で何かが起動し始める。
暗い画面に無数の文字列が、さも誰かが打ち込んでいるかのように生み出され、流れ。
それはいつまでも止む気配がない。
「……これで終わりですか?」
あまりにも簡単すぎる出来事を不安に思って清子がそう口にした時、ポケットの中のスマートフォンが震えた。
確認すると、そこにメッセージが届いているものの表示されるべき名が記されない。
「竜から?」
「たぶん……」
それしかない、と思いながら清子が名無しのメッセージを開くと、そこには『首輪は付けた』とだけ書かれていた。
そのたった一文を清子が読み上げる最中、新たなメッセージが届く。
『搬入口の扉の向こうに地下へと続く階段がある。現在宝は地下六階に。まだエレベーターは使うべきではない。それから青い人、これは白い人に渡したほうがよい。彼女のものはそのまま置いておく必要がある
らだ』
一読してすぐ、清子はスマートフォンを鈴希に渡した。
そうして鈴希も宝を守る竜からのメッセージを読んだ後、「いいんですか?」と清子を見る。
清子は頷いた。
「彼がそういうなら、間違いないと思います。お願いします」
そこに異論はないのだろう。
鈴希も頷き、「任せてください」と清子のスマートフォンをポケットに押し込んだ。
それから二人はトイレを出た。
相変わらず人気のない廊下。家具が一つも置かれていない名ばかりの会議室の意味も、玄関脇に名もなき部屋があることも。車が七台も停まっているのにブラインドが下ろされているという状態も明かりが点けられていない意味も、埃が溜まった便器の謎も。今しがたの宝を守る竜からのメッセージで明らかになった。
地下だ。
和歌山太郎を除く残り六名の職員は、そこにいる。
なら、地上二階の上辺はそもそも使われていなかったとしてもおかしくはなかった。
どうりで静かなはずだ。
それがわかると、窓のない部屋の向こうに雅を感じられなかったという勘も正しかったように思える。
再び搬入場へ戻る手前、清子は影の中の扉をもう一度見た。
思うのは、だったらあそこは何に使われているのか、という疑問。
しかし今は一分でも惜しい。
微妙に気になる気持ちを押し殺し、清子は鈴希に続いて搬入場の扉を抜けた。
目的の地下へと続く階段は、そのすぐ脇の二枚扉の向こうにある。
鈴希が直角型のノブを押し下げると、それは僅かに動いただけで、ガチャ、と音がして止まった。
「やっぱ鍵かかってるか……」
短く嘆息し、鈴希が辺りを見回す。
鍵、と言いながらどうして扉から目を離すのだろう。
少しおかしさを感じて清子がノブを見ると、そこに鍵穴がない。
それならどうやって鍵はかかっているというのか。
結局周囲に目を向けた清子は、鈴希と同じものを見つけて「あっ」と声をもらしていた。
扉の脇、スロープを上りきったすぐ隣の壁に意味ありげな長さ十センチほどの長方形のプレートがついている。
特別な文字はなく、ただ黒いだけのプレートだ。
何に使うかは言わずもがな。
問題はそこに当てる鍵だが。
それはもうすでに鈴希の手に握られている。
和歌山太郎のカードだ。
こういうことに使えるとわかっていたのだろう。鈴希がいつの間にポケットに忍ばせていたのか清子は気づいていなかった。
それを黒いプレートに当てると、鉄扉が勝手に、ガチリ、と鳴った。
音を聴き、清子が改めてノブを押し下げると、扉が開いた。
瞬間、消毒液のものとも違う妙に清潔そうな匂いがした。
どこかで嗅いだことのあるようなものだが、どこだったろう。
雑念を覚えつつ、奥へ進む清子。
するとそこには、搬入場と同じく半端に蛍光灯が照らすほとんどが暗い空間が広がっていた。
がらんどうで、やはり何もない。
おかげで小さな足音すら大きく反響し、少しうるさく感じる。
追って入ってきた鈴希が足を止め、一瞬にして静まり返った暗い空間に、さらに遅れて扉の閉じる、ゴウン、という音が響き。すぐにまた、ガチ、と鍵の閉まる音がした。
まるで閉じ込められたような感覚。
それがかえって清子の気を引き締めた。
その真っ直ぐな視線の五、六メートル先に大小二種類のエレベーターの扉が見える。
宝を守る竜が使うなと警告してきたものだろう。
「そういえば、廊下のところにもエレベーターってありましたよね」
清子は、なんとなく気になったことを口にする。
「そうでした? 気づかなかったな」
「階段の脇に。でも、あれもダミーのためってことでしょうか」
「でしょうね。どう見たってこっちが本命っぽいし」
鈴希の言う通りだ。
納得すると清子には、なんて無駄なことを、と主婦なりのケチくさい発想が浮かんだ。
そのために国の金を使うという点、裏の組織でなくともニュースになっている。ホテルとか宿舎とか。
上モノ丸ごと無駄にするPCCLも彼らも、金の使い方にあまり大きな違いはないように思える。
だったら、PCCLがやろうとしていることもまた、公とされていないだけで、善の言ったみたいに、いずれ公にできることだという可能性もなくないのかもしれない。
今は、裏、なだけ。
不気味な理解が及び。この床の下に雅以外のどんなものが、とそれとなく足下を見下ろして、清子は初めてそんなことを考えた。
そして二人は、広い空間の隅にある地下へと続く階段の淵に立つ。
建物内のどこも薄暗い中、そこだけは壁面に付けられた電灯で煌々と照らされて明るい。
深い穴に落ちていくつもりでいた清子にとって、それは逆の印象。
地下駐車場へ向かう階段を下りるように、だから不安も恐怖も感じてはいなかった。
つるつるとしたビニール舗装の階段。
歩くたびにスニーカーの靴底がくっついって、ペタ、と音がする。
踊り場までは十三段。
それを三度折返すと、地下一階の入り口が口を開けていた。
扉はないが、防火扉はある。
地上一階のあらゆるところに扉があって、その上電子錠までつけているというのに、ここはそういうわけでもないようだ。
そのため向こう側が丸見えで、嫌でも感想を抱いてしまう。
鈴希はそこを、「保管庫なのかな……」と言い。
清子は、「本でしょうか……」と言った。
本を収める保管庫。
二人の意見が合致しているのは、天井に届くほど高い棚と思しき側面がぴったりとくっついていくつか並んでいるのが見えたからだ。
その棚にはハンドルがついているため、可動式とわかる。
だから鈴希はそこを保管庫と表現し、清子はテレビで見た図書館の保管室と似ていることから、本が収められていると想像したのだ。
その手前にははめ殺し窓の間仕切り壁があり、そこと二人の間には幅一メートルほどの狭い廊下がある。
階段と廊下を区切る扉はないのに、というおかしさは、ここが図書室でよく利用されるからかもしれない。
そう感じて、ふと人気が気になり始めた清子に反し。
興味をそそられたのか、鈴希は口の中に顔だけ突っ込んで左右を覗きこんだ。
清子はその二歩後ろで、「危ないですよ」と声をかける。
「大丈夫、誰もいない」
ちょっと見てきますね。
言うなり鈴希は口の向こうへと進んで行き、「ちょっとっ」と制す清子を無視して、廊下を右の方へ行ってしまった。
ひとり残され、清子の中で一旦は眠っていた不安が途端に息を吹き返す。
誰か来たらどうしよう、鈴希が見つかったらどうしよう、その時は上へ逃げるべきか下へ逃げるべきか。
明け透けの階段では身を隠せるような場所もなく、しかし鈴希が戻ってくるまで待つしかなく。
だって、自分は見つかるわけにはいかない。
危機管理のつもりのそれは、雅に起きていることへの焦りだと感じていた。
早く行かなくちゃいけないのに。そんなことしている場合じゃない。
清子はまるで我に返ったかのように、廊下を覗き込むとすぐに、「鈴希さんっ」、と掠れた声で呼んだ。
その時、鈴希の姿と同時に見えてしまったもの。
それは、テレビで見た図書館の保管室の映像にはなく、つい先日清子がその目で見たものだった。
「あれは、クリーンルーム?」
そういう個別の空間が、十五メートルほどの間仕切り壁の中央辺りに作られている。
どうしてそんなものがここに。
疑問で硬直する清子の視線の先で、不意に鈴希が身を屈め、急ぎ足で近づいてくる。
「ヤバいヤバい、人がいた」
その一言で清子も動きを取り戻し、階段の方へ引っ込んだ。
「何人いました?」
「ちらっと見えたのは、一人。でも、他にもいるかも」
他にも、と聞いて清子は駐車場の車を思い出した。
「車は七台停まっていました。上で一人縛ってきたから、今のと合わせてあと五人はいるはずです」
清子が言うと鈴希は、へえ、と声をもらす。
「ちゃんと数えてたんだ。やるじゃん、清子さん」
「あ、ありがとうございます……って、そうじゃなくて。だから、あんまり無茶しないでください。雅を助け出す前に見つかったらマズいんです」
清子は切実に伝えたつもりだが、「ごめんごめん」と鈴希はあまり反省していないようにみえた。
鈴希らしい反応といえばそうだが、この期に及んではあまり笑えるものでもない。
少し不満げに清子が顔を歪めると、鈴希は徐にスマートフォンを取り出し、ニ、三度タップして「あら」と片側の頬を釣り上げた。
「見られてた」
清子に向けて見せるスマートフォンの画面には、『システムはこちらのものだが、人目につくかどうかはあなた次第だ。よって、危険を回避するのもあなたたちにかかっている』と書かれている。
「でも、見つからなきゃいいってことでしょ。これ」
「鈴希さん……」
清子が叱責するような目線を向けると、「わかってますって」と鈴希は階段をさらに下へとおりていく。




