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特定不審死者Tがくれたもの  作者: 扉野ギロ
あるかないか
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第十九話 「あるかないか その四」

 目ぼしいものは何も写っていない写真。

 そんなものを前置きなしに見せられて、何か感じるというほうがおかしい。

 そういう意味で、青柳の反応は当たり前のものだ。


 しかし、彼女は呪術師。

 少しくらい何か反応があってもいいはずだった。

 拍子抜けしたような気分で、清子は善が何を言うのか見ていた。

 

 その第一声、善は「そうですか」と頷いた。

 むしろそれこそが意外。というよりも、だったらどうするつもりなのか、と清子は首を傾げた。


「なーにそれ。もしかして、試した?」


 相変わらず楽しげな顔で青柳が訊き返すと、善は「さあ」と微笑んだ。


「……ちょっとムカついちゃったな。つまり、これは何かなのね?」

「そう見えますか?」

「何も感じないって言ったよ。それ以上の答えが欲しいの?」 

「聞かせてもらえるなら」


 探り合いなのか、妙に駆け引きじみて聞こえる善と青柳の会話。

 入り込む余地を感じられず、清子はただ見ているしかできない。

 その間近にいて、鈴希はまるで獲物を捉えるフクロウかなにかのような鋭さを孕んだ視線で青柳を見つめていた。


 ちらちらと目の動きで青柳も鈴希の視線に気づいていることが窺える。

 すると、青柳は人差し指を立てた。

 

「意見が欲しいなら、これくらいちょうだい」


 そこに、ふざけないでよ、と口を挟んだのは鈴希だ。


「それがまともな意見だって決まったわけでもないのに、そんな額払うわけないでしょ」

「怖い顔……。更年期かな?」


 煽るような青柳の口に、鈴希は「くだらない」と乗らない。


「いいから先に意見を聞かせてよ。ただ思ったこというだけなんだから内容によるに決まってんでしょ。素人じゃあるまいし」

「……ケチ」

「当たり前」


 鈴希の態度に青柳は怒る様子をみせない。

 年の話では簡単にすねたにも関わらず、この態度は変だ。

 やはり探り合いだったのか、と清子は生唾を飲み込んだ。


 すると青柳は、ふぅ、と小さく息をもらした。


「……何も感じない、っていうのはウソじゃないよ。本当に何も感じない。少しも、微塵も、ほんのちょっとも感じるものがない」


 そう言って、青柳は鈴希の顔の前に手を突き出す。


「話したらくれるんでしょ?」


 舌打ちをし、鈴希がポケットから取り出した二つ折りの財布を開くと。

 善はそこに手をかざし、鈴希を止めた。

 その代わり、空いた左手で青柳の右手をすくい上げ、指先に軽く唇を当てる。


「ありがとうございます。いいことがわかりました」


 善の振る舞いに、ふふ、と笑いをこぼし。

 そして青柳は、「さすが善くん」と彼の顎に沿って指を這わせた。


「いいよ。お願い聞いてあげる。今の分も含めて、一千万円でどう?」

「助かります」


 一千万円、そんな高額な条件をさも当然のように口にする青柳。

 しかも、善は少しの躊躇も見せず挙げ句、助かります、と。

 まるで次元が違う。

 本当に映画の世界にいるようだと、清子は驚愕を隠せない。

 

 すると青柳は、善の肩に頭を寄せ、「可愛い善くんのためだもん。当たり前じゃん」と両の口角を釣り上げて微笑んだ。


 その笑み。

 目の当たりにし、唐突に清子を悪寒が襲う。

 背筋をなぞり上げられるような気味の悪い感覚は、嫌悪感ではない。

 全身が総毛立ち、青柳が途端に邪悪な存在のように感じられていた。


 魔女だ。

 清子が脳裏で直感的にそう形容したのは、善にも似た空気を感じたからだ。

 しかし、善が漂わせる妖艶さと彼女のものとでは全く色味が違う。

 鮮やかなバラ色か、濁ったどす黒い赤か。


 魔女にイメージされる暗い色が、どろりと青柳の笑みからもれ出ていた。

 

 善が彼女を信頼しているというのは、そういうことなのだろう。

 鈴希が妙に刺々しい態度なのも、単に反りが合わないということだけでなく、本物の禍々しさに立ち向かうための自己防衛の一種なのかもしれない。


 油断はできない、と清子も思った。これから何が起きるのかもわからないが、とにかく。

 膝の上で硬く拳を結び、身を引き締める清子。

 

 するとそこに、青柳の目線が向く。


「伊藤清子さん?」

「は、はい……」

「あなたいくつ?」

「四十四です」

    

 清子が答えると、クスクス、と青柳はわざとらしく笑った。


「もっと上かと思った」

「そう……ですね……」 


 少し傷ついた。痛みを堪えるため、清子の拳に力が入る。

 それに気づいたのか。青柳は、ふふ、とまた笑うと善に向き直った。


「それで、善くん。聞いてた物がないようだけど……。雅くんだっけ? どこにあるの?」


 物。

 気に障る言い方だ。

 清子に否定したい気持ちが溢れ出し、雅は物じゃない、と口にしようとしたその時。

 善が自分を見ていることに気づいた。


 アイコンタクトとも言い切れない静寂な視線。

 静かにしろ、ということだろうか。

 清子が悩んだ一瞬に、善が口を開く。


「それが、事情が変わってしまったんです……」


 ですので、と言うその時まで、ずっと善の視線は清子に向けられていた。そして視線は徐に肩口の青柳へ。


「話を聞かせて欲しい」

「ん? それは、雅くんじゃなくて?」

「いえ。伊藤雅についての、です」

「なにそれ、わけわかんないなぁ……」


 善の肩に頭を寄せたまま、眠たそうに目を閉じて言う青柳。

 相変わらず交わらない二人の視線は、善が放った「永遠の命」という言葉で不意にぶつかり合う。


「……なんのこと?」


 体を立て、善と向き合う青柳からは、つい今までの眠たそうな表情は消えている。


「だから、伊藤雅ですよ。知りませんでしたか?」


 そんなの知らなかった。

 飛び出した言葉を、しまった、といわんばかりに青柳は口を閉じた。


「そういえば言っていませんでしたか。じゃあ、今のはサービスってことにしておきますよ。その上でもう一度訊きたいのですが……」


 伊藤雅のこと、知りませんか。

 改めて口にした善は笑っていなかったが、清子には見えていた。

 彼の目の奥に、歪んだあの妖しい笑みが。


 対して魔女も微笑む。

 あふれ出す邪悪な赤色。隠しきれなくなった興奮と邪悪さが、口から飛び出し唇を濡らした。


「いやらしい大人になったわね……」


 青柳が舌舐めずりの後に言うと、善はまるで彼女の笑いを模したかのように「光栄ですよ」と笑った。


 妖しげな笑みを浮かべ向かい合う善と青柳。

 蚊帳の外となった清子と鈴希も、そこから目を離さない。


 その緊迫した視線が集中する一点、青柳は「もうわかっているだろうけど」と前置きした。


「伊藤雅はここに来たよ」


 なんでわかったのかな。

 言って青柳は善を見つめた。


「連れてこられた、でしょう? 盗まれたのは俺たちですからね、それだってわかっていることの一つです」

「そりゃそっか。それで、知りたいのは……あれの行方? それとも盗んだ人かな?」


 訊かれて善が先に笑みを落とした。


「正直に言えば、全て知りたいところですが。お願いしたいのは、一つだけです」

「……一つ? 欲張らないんだね」


 ええ、と善はひとつ頷いた。


「伊藤雅を呪ってもらいたい」


 は?

 と声を漏らしたのは、清子も鈴希も、そして青柳もだ。

 

 そもそも雅に起きていることが、召喚魔術による反動かもしれないと言っていたはずなのに。

 さらに雅を呪うなど、まるで意味がわからない。

 いったい何をしたいのかわからず、困惑する清子の眉間にシワが寄る。


「で、でも霧峰さん……」


 清子が思わず口を挟むのと同時、「どういうつもり?」と青柳があくまで平然とした表情で言った。


「あれはすでに死んでいた。その上で呪うって? まさか、呪いが何なのか忘れたわけじゃないよね?」

「もちろん、わかっています。呪いにおいて死は最終点、それ以下はあり得てもそれ以上は起こりえない、でしょう?」


 わかってるじゃん、と青柳が嘆息した。


「呪いがもたらすのは不幸。最終的に死を目的にしているわけじゃなく、苦痛を与えるためのもの。それが最大値。だから、人が呪いで死ぬのは最終的な結果にすぎない。それなのに、死んだ人間に呪いがかけられるとでも?」

「それはあなたが一番よくわかっているはずです」


 善は小馬鹿にするように鼻で笑う。


「……で、そんなことしてどうするつもり?」

「そうですね、答えることはできますが……。その前に、約束してください」


 話を聞いたら確実に呪いを実行すること。

 伊藤雅の鑑定結果を教えること。

 その質問には答えること。

 自分たちを呪わないこと。

 伊藤雅を欲さないこと。

 そして、ウソをつかないこと。


「……い」


 青柳が、その後に何を言おうとしたのかはわからない。

 ただ、同時に善が「よく考えてから発言してくださいね」と言ったせいで、青柳は笑みを浮かべるどころか、平然としていることすらできなくなっていた。


 冷たく蔑んだ目つき。

 青柳が今置かれている立場が気に食わないと思っているのが手に取るようにわかる。


 もしかすると、善は一枚どころか二枚も上手なのかもしれない。

 緊張して乾いた清子の喉に生唾が押し込まれる。


 それは青柳も同じか、一度言葉を飲み込んでから一分か二分。返答を吐き出すのに苦労しているようだった。


「……わかった、いいよ。でも、こっちにも条件がある。聞いてもらえないんだったら、善くんの条件も飲めないよ」

「もちろん、そうでしょうね。でもまさか、俺の提示した条件を相殺するような真似はしないでくださいよ」


 善が釘を刺すも、青柳は妖しげに小さく笑っただけだ。

 それからまた、彼女の人差し指が一本立てられた。

 

「条件その一、報酬は一千万と私が満足するものであること」


 次いで中指が立ち上がる。


「そのニ、仕事のルールは越えない」


 薬指。


「その三、私の身に危険を感じた場合、術は中止。善くんとの約束も破棄する……。当然、その場合は私の条件も忘れてくれていいよ」

「わかりました。それで問題ありません」


 じゃあ早速、と善が体の向きを直した時。

 青柳の小指が立ち上がった。


「条件その四、儀式にあなたたち二人の同席は認めない」


 言って青柳が善と鈴希それぞれに視線を送る。

 すると。


「なるほど……」


 善の顔がニヤリと歪む。


「初めからそのつもりですから、問題ありませんよ。いいですよね、伊藤さん?」


 そう言って見つめる善の視線に、清子はどこか余裕を感じた。

 なるほどそういう意味だったのか。

 あの冷めた視線の意味は、つまりこの時を予期して向けられていたのだ。


 だったら躊躇する必要はない。


「はい、大丈夫です」


 清子は頷いたが。

 そこに、「待って」と鈴希が割って入る。


「だったら、わたしがやるよ。何が起こるかわからないし、呪いの危険性は知っているつもり。それに、わたしなら危険があったって……」


 と、鈴希は胸のあたりに手を当てた。

 しかし。


「ダメに決まってるでしょ。私が提示する条件は、あなたたち二人の同席を認めないことなの。それなのに、あなたが呪容者じゅようしゃじゃ本来の呪いには量が足りない。わかっていると思ったけど?」


 あなたに伊藤雅を呪うだけの感情があるのか。

 一応確認といったふうに青柳が尋ねられると、鈴希は口ごもって何も言えなくなってしまった。

 でも、それでいい。

 大丈夫です、と清子は頷いた。


「雅のことは、できる限り自分でやりたいんです。たとえそれで私になにかあったとしても、親なら当たり前のことです。できることなら、私も親として傷つきたい」

「清子さん……」


 気遣うように鈴希が言い、清子はまた頷いた。


「……ま、そういうことでもないけど。まあいいや。伊藤清子さんにも覚悟があるようだし、親なら呪容は足りるでしょ。さっさと始めるよ」

「はい」


 青柳に連れ立って清子も立ち上がると。

 今度は善が「ちょっと待ってください」と。


「今度はなに?」


 やれやれ、と疲れたようにため息をもらし、青柳が善を見下ろす。


「その前に、教えてほしいことがあります。伊藤雅は、どういうものなんですか? 呪術師としてどうみているのか、意見を聞かせてください」 

「一言でいうなら、不明、だよ」

「不明……。何も感じない、ではなく?」


 そ。と軽く、青柳は返事をした。


「あれに感じたのは、黒。真っ黒、漆黒、深さも何もわからないくらいの黒だよ。だから不明。呪いじゃない」


 呪いではない、黒。

 善が呟くと、青柳はまた「そっ」と頷いた。


「じゃあ、雅はどうしてあんなふうになったと思いますか?」


 訊かれて青柳は首を横に振る。


「正直、わからない。呪いでも病気でも、不幸なら何かしら感じるはずなんだけどね、あれにはそれすらも感じられなかった。だから強いて言うなら、ごく自然に起きる現象。

 偶然、あり得ること、なんでもいいけどね。クレヨンの色が指に付くのと同じ、黒くなるから黒くなったんだろうって私は思ってるよ」


「……つまり触媒は、人を黒く染める力を持ったものだと?」


「あるなら、ね。人間があんなふうになるって現象は、あれが初めてってことも考えられるじゃん。善くんは、超常現象だと思いたいんだろうけど、そういうことだって十分あり得るの」


 怪奇を考える時、すぐに常識から逸脱しようとするのは悪いところだね。

 そう言って微笑む青柳には、例の悪意のようなものは感じられない。

 母性、だろうか。

 彼女の不意に発した奇妙な気配に、清子の緊張が和らいだ。


「それは、奴らにも同じことを?」

「ウソをつく意味もないしね、言ったよ。サービスで教えてあげると、彼らは触媒があるってわかってるみたいだった」

「何を聞かれたんですか?」

「地図を渡されて、そこに何か感じるか聞かれたよ」


 地図、そこ。

 

「たぶん、伊藤さんのマンションでしょうね。それで、山下さんはそこに何か感じましたか?」

「私は超能力者じゃないよ、善くん。呪術と無関係のものを感覚で捉えられるわけがない。当然、あの人たちにもそう言った」

「そのまま?」


 善が訊くと、クス、と青柳が笑った。


「何も感じない、ってね」


 そう聞いて善もまた、クス、と笑った。


「報酬が足りませんでしたか」

「まあちょっと物足りなかったかな」


 だから期待してるよ、と青柳が善の頭にぽんと手を置くと。

 善は、期待してください、と口角を上げる。


「それで、山下さんは触媒をどう思います? 可能性を踏まえて、あるかないか……」


 あるでしょうね。


「さっきも言ったけど、クレヨンがこの世に存在するなら、人を黒く染める物体も存在するはずじゃん。無いって思うほうがバカ」

「ですね」


 善は意味ありげに頷き、「これを」と青柳に何か渡した。

 受け取った青柳は、「さすが準備がいいね」と微笑む。


 それが何だったのか。

 清子が知ったのは、家の裏にある小屋に誘われた後。その中でだった。

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