24.弟子と孫
屋敷へと向かうハヴァリーさんの後ろを歩きながら、改めて周りを見渡してみる。
屋敷まで一直線に伸びるレンガの道の両脇には花畑が広がっており、綺麗に掃除されているためか道には花弁一つとして落ちてはいない。
森の花畑を見慣れている自分としては、少しばかり物足りないように感じるが十分に広いであろう。
普通に家数軒分の敷地を花畑に費やしている。
その時、一枚の花弁が自分の顔の横を通り過ぎて道へと舞い落ちていく。
そのまま道へと静かに着地するかと思いきや、やはり何かしらの魔法的な効果が付与されているようで、道に落ちそうになった花弁は再びふわりと舞い上がり、上空へと昇っていく。
その花弁を目で追うと、これまた衝撃的な光景が広がっていて、思わず足を止めてしまった。
少し気にして見てようやく気が付く程度にではあるが、上空――三階建てである目の前の屋敷の屋根よりも少し高い位置くらいであろうか、その付近の宙空を風で飛ばされた花弁たちがひらりはらりと舞いながら徐々に同じ方向へと導かれるように飛んで行っているのだ。
その方向にあるのは件の屋敷であり、屋根の中心付近へと徐々に集まっている様は、まるで宙空にも薄らと花弁の道が出来ている様にも見える。
予想ではあるが、これは花弁を集めるためのシステムなのではないだろうか。
森の家では落ちた花弁が定期的に水路へと一斉に集約されて、花弁の小川を作りだして家まで運ぶというシステムであったが、この屋敷では空を伝って集めているのだろう。
(そういえば前に「常に集めるようにすると魔力の消費量が上がってうんぬんかんぬん」とか何とか言ってたような……)
この光景はこの光景で好きなのだが、どの世界でも節約の精神というのは大事なのだろう。
ノーモア環境破壊なのだ。
魔法で環境破壊がされているのかは知らないが。
(という事は、この空間も……)
「あの、ハヴァリーさん」
「はい。何でございますかな?」
自分が足を止めているのに気が付いていたのか、ハヴァリーさんも足を止めてこちらを向いていた。
足音にまで気を向けているのかもしれない。
「この屋敷って魔法陣魔法で結界とか張られてるんですか?」
よく見れば、路地を歩いた距離的には隣接してないとおかしいはずの民家たちが見えず、敷地を仕切っている鉄柵の向こう側には森が広がっている。
しかしあれは恐らく森の景色を投影しているだけだろう。
なんだか少し不自然だ。
まあ十中八九何かしらの結界が張られているだろう。
「ほぉ、よくお気づきに……そういえば大森林の方で生活していらしたのでしたな。このお屋敷は主と奥様が帝都でも静かに暮らすためにと準備なされたお屋敷ですのでな。人目につくわけにはいきませぬ。ですから周りから見られぬように様々な措置がなされておりますし、不肖の私めも僭越ながら人除けの結界を張らせていただいておりますよ」
「はぇー……」
「ワゥ……」
予想以上に厳重な対策がされている事実に関心していると、ハヴァリーさんに対してテッチが「あんたのが一番効果を発揮してるけどな……」的な事を皮肉っぽく言った。
「なんかハヴァリーさんのが一番効力があるって言ってますけど……」
「ほっほ、なんとなんと! 私めの施した結界は、ただの"好奇心"では決してこの場所にはたどり着けぬようにしているだけですぞ。タケル様も体験したのではないですかな? テッチ殿と接触していたのならば体験しておらぬかもしれませんがな」
「テッチと接触……? あっ! ひょっとしてあの路地の奥見ると不安になる奴ですか?」
「はい。最終的には恐怖からわき目も振らずに逃げ出してしまうようにできておりますゆえ――」
なるほど、確かに明確な目的が無いならばあの不安感からは逃げ出したくもなるだろう。
「――そういう怪奇現象的な話が好きな方々の間で噂になってしまいましてな。最近少し結界の強度を上げてみたところなのです。よろしければご感想をお聞かせくださいませんかな?」
それは本末転倒というものなのではないだろうか。
人除けの結界が呼び込み要素になってしまってるではないか。
「あ、でもそれなら確かに強度上げた方が良いかもしれませんよ。僕も最初は不安になりましたけど、途中から全然気にならなくなりましたし」
「はて……テッチ殿に触れたわけではなくですかな?」
「はい。あれならちょっと度胸がある人が来たら通れちゃうかもしれないです」
魔物九体を同時に相手取る程度の度胸さえあれば通れる事になる。
きっとそれなりにいるだろう。
「むむっ……ひょっとしたら結界が綻んでいるのかもしれませんな。後で確認せねば……」
「ワウゥ……」
「え? 『寧ろ強すぎるくらいだった』って言ってますけど……。あっ! ひょっとしておじいちゃんから貰った魔道具とかつけてると大丈夫だったりしますかね?」
そういえば飛翔魔法の魔道具のヴォルジェントを装着したままでずっとここまで来ていた。
じっくりと確かめれば程度ではあるが、おじいちゃんの魔力がこもっているようなので、これが結界の鍵になっていたりはしないだろうか。
「ほほぅ、そう言えばつけておられますな。確かにそれだけセイル様の魔力がこもっているならば、それが要因やもしれませぬな」
(あれ? 見える所に何かつけてたっけ……?)
というよりも、こもっている魔力の量まで認識している口ぶりだが、いったいどうやっているのだろうか。
そんな疑問を抱いていると、ハヴァリーさんは何かに気が付いたように顔を上げ、自分たちが入ってきた路地――というよりは門の方へと顔を向けた。
入ってきた場所が門になっているのだ。
路地はどこに行ったのだろうか。
「おやおや、今日は随分と来客が多いですな」
ハヴァリーさんがそう言うと、門の中心付近の空間が揺らいで一人の少女が入ってきた。
背は低く、目測で百四十センチ前後といったところだろうか。
自分より少し年下に見えるその少女はアイラよりさらに濃い金髪を肩口まで伸ばしているが、その様は乱れており、眠そうに目を細めていることから寝起きである事が推測できる。
その割には軍人の着ている服を白くして、更に少しだけ華美にしたような制服らしき服は一切乱れていない。
頭をポリポリと掻きながら首を鳴らすと、その少女は口を開き――
「おーうハヴァリーの爺さん。突然ですまねぇんだがなんか飯作ってくれねぇかなー。リオナの奴に飯買ってくるように頼んだのに全然帰ってこなくってよ――」
可愛らしい声に似合わぬ、まるで行きつけの居酒屋の大将に挨拶でもするおっさんの様な口調でそう言って眠そうに目を開いた。
少女は自分の存在に気が付くと、眠そうな目をさらに訝しげに潜めて言葉を続ける。
「んあ? なんだこいつ?」
こっちのセリフだ。
「これこれティスト様。もう少しお淑やかにしなされな。あなた様がその様では近しい者共まで品が無いと思われますぞ」
「暗に私にはそもそも品が無いって言ってねぇかそれ……? まぁねぇけどよ。ってかいい加減様付けもやめろよ――ってあれ? テッチがいるじゃねぇか! じゃあ何だ? クソジジイも来てんのか?」
「セイル様はいらしておりませんよ。テッチ殿はこちらの御仁をこの屋敷まで送り届けに来られたのです」
「なんだ来てねぇのかよ……来てんならいい加減ぶちのめしてやろうと思ってたのによぉ」
(本当に何だこの人……)
漂う雰囲気からまたしても強者であると感覚が告げる。
だが今は正直そんなことはどうでも良かった。
強者だとかそんな事以上に、声も見た目も若くて可愛らしいのに、それをもってしても隠しきれない程のおっさん臭の方が気になる。
口が悪いというよりは、気力を無くしたおっさんみたいな感じだ。
何だか『おっさん』が悪口みたいになっているが、別におっさんに罪は無い。
問題なのは見た目にそぐわなさ過ぎるということだ。
『絶対に見た目通りの年齢ではない』と、それだけは確信を持って言える。
こんな形でシエラを持っている事を確信したくなんてなかった。
「んで? こいつが何だってんだ? 『御仁』ったぁ随分丁寧な呼び方じゃぁねぇか。冷やかしで呼んでるってわけじゃぁないんだろ?」
何だろうか。
食後のサラリーマンを彷彿とさせるような言い方だ。
歯の間を爪楊枝で掃除していたら完全に一致するだろう。
「それは口で説明するよりもこちらを読んでいただいた方が速いかと」
そう言ってハヴァリーさんはもう一通の手紙を少女、もといおっさん、もといティストさんとやらに手渡した。
「あぁん? クソジジイが私に手紙だぁ? んだよ遂にボケが回って――ッ!?」
手紙の封を開けて中身に触れた途端にティストさんは黙りこんだ。
そして数秒後、深いため息をついた後に空を見上げ、そのまままた黙り込んだ。
胸元が小さく上下している様子から――いや、確かに小さいが今のは別に彼女の胸が小さい事に言及しているわけでは無いとだけ断言しておく――深呼吸をしているのだと思うがどうしたのだろうか。
恐らく自分の事について書かれているのだとは思うが、いったい何と書かれてあったのだろうか。
気にして見ていると、彼女はゆっくりと上に向けていた顔をこちらに向け、真剣な表情で口を開いた。
「ハヴァリーの爺さん。地下の実験場貸してくれ」
「はて? 何に使われるのですかな?」
「そいつの入学試験だ。流石に実際にこの目で見ねぇで、ジジイの言葉だけで判断するわけにはいかねぇよ。いくら何でも他に示しがつかねぇ」
自分抜きで進んで行く話に些か困惑するが、話の内容からするに自分は今から力試しをされるというわけだろうか。
入学試験とは言わずもがな軍属大学院の話であろう。
(って事はこの人はもしかして――)
「おいボウズ。ついて来い。今から私が直々に試験してやる」
「ティスト様、タケル様が状況を把握しきれておりませんぞ。まずは自己紹介をされた方が良いかと」
(舐めてもらっては困るよハヴァリーさん。流石にここまで話を聞けば僕にだって予測くらいできる)
「ん? ああ、そういやまだだったな」
(つまりこの人は軍属大学院の関係者か何かで――)
「私の名前は『ティスト・テス・ヴァンメリア』。ジジイがお前を入れようとしてる軍属大学院の学院長で、まあ……お前の姉弟子ってとこだな」
関係者どころでは無かった。
「が、学院長……ですか……?」
「んあ? ああ、まあ確かに私はこんな見た目だが歳はそれなりにくっててな、お前と同じシエラ持ちって奴だ。……寿命が延びてんだよ」
「いや、それは知ってますけど……」
「は? なんで知ってんだ? ジジイから聞いたのか?」
「いや、何と言いますか……雰囲気からですかね、強そうな!」
慌てて強そうなと付け加える。
間違っても「おっさんっぽいから」と思ってる事を悟られてはならない。
下手をすれば入学を却下されてしまう。
「あ? なんだそりゃ? まあいい、さっさとついて来い」
そう言ってティストさんはずかずかと屋敷に向かって歩き出した。
「ささ、参りましょうタケル様」
ハヴァリーさんに促されて、慌ててティストさんの後についていく。
そうだ、今から試験なのだ。
唐突過ぎて全く心の準備は出来ていないが、ここでしくじるわけにはいかない。
(おじいちゃんが大丈夫って言ってたんだ……。ちゃんとこなせば問題ないはず……)
「キュウッ!」
「お、おう! がんばるぞキュウ」
不安を感じ取ったキュウが「よくわからんが頑張れ」と活を入れてくれた。
果たしてキュウは今から行われる試験が自身にも関係があるかもしれないという事を理解しているのだろうか。
しかし前を歩くティストさんは自分に心の準備をする時間をくれるつもりは無いらしく、屋敷に入るなり正面にある大きな階段の側面へとまわり、そこにある扉を開けて中へと入った。
屋敷を見ている暇もない。
扉の中を覗くと、壁に一定間隔で設置された魔力灯が地下深くまで続く階段を照らしだしている。
シンプルでメタリックな階段や壁は、なんだか秘密の研究施設にでも続いて居そうで少しワクワクしてしまう。
少し見とれてしまったが、ティストさんはずんずんと階段を下りているので、追いつくために少し小走り気味に階段を下りる。
長い階段の途中、壁にはいくつか取っ手の無い扉の様なものがあったが、それには目もくれずティストさんは下りていき、遂に最下層へと辿り着いた。
そこには階段と同じデザインの十メートルほどの短い通路があり、側面の壁には両方に二つずつほど階段の途中にあったのと同じ様な扉があり、正面には一際大きな左右にスライドして開きそうな扉――というよりも、重厚なシェルターの入り口の様なものがあった。
その扉の前に着くとハヴァリーさんは扉に触れて魔力を流し、扉が淡く光ったかと思うと重厚な摩擦音を響かせ――ることは無く、静かに開いた。
あまりにもスッと開いたもので少し拍子抜けしてしまう。
しかし、中の様子は想像以上のものだった。
中にあったのは広大な、それこそ野球が余裕で出来る程の大きな一つの部屋だった。
床も壁も天井も、通路と同じようなシンプルでメタリックなデザインで、光源は全て天井にあるようだ。
部屋を見回しながら中央付近まで歩き、誰に聞くでもなく口から疑問を漏らす。
「実験場って言ってましたっけ……?」
「ああそうだ、ジジイが新しい魔法陣魔法とかを試す時に使ってた部屋だ。だからちょっとやそっとじゃ傷すら残らねぇように出来てる。広くて頑丈で他の迷惑にならねぇ――」
ティストさんはそこまで言うと一拍呼吸を置いて、ニヤリと片方の口角を上げて続ける。
「――戦闘試験にはもってこいだろ?」
やはり戦闘関連の試験だったか。
軍人になるための学校に入るための試験なのだから、当然と言えば当然だ。
試験である以上やらざるを得ないわけだが、自分には懸念事項がある。
「じゃあ始めっぞ~」
「あの、すみません……。僕ろくな対人用の魔法覚えてないんですけど……」
対人用の魔法どころか、名付きの魔法すら一つとして習得していない自分に対人戦闘での試験を突破することは出来るのだろうか。
「んあ? その辺は心配すんな。この試験はボウズが戦闘において出来る事を見るための試験だ。それに――ボウズ程度の力量で私に攻撃が掠りでもすると思ってんのか?」
見え透いた挑発だ。
事実、きっとティストさんは自分なんかよりも遥かに強いだろう。
ぐうの音も出ないのでせめて挑発には乗らないようにしよう。
「思ってませんよ。確認したまでです」
「なんだよ。どうにか掠りでもしてやろうって程度の気概すらねぇのか?」
相変わらず挑発染みた口調だ。
挑発に乗れば減点対象なのかもしれない。
「気概でどうにか出来る実力差ならまだ良かったんですけどね」
「ふーん……。まあ自分と相手との力量差をちゃんと把握できるってのは大事な事だけどよぉ。そんぐらいの気概もって全力でやらねぇと――」
その言葉の続きは、何故か――
「――ここで死ぬぞ」
左右と背後から聞こえた。
「ッ――!?」
警鐘を鳴らす感覚に従ってポルテジオを展開して後ろを向くが、一向に衝撃は来ないうえに右にも左にも目の前にも彼女はいない。
慌てて魔力探知を広げると、彼女はさっきまでと同じ場所に立っていた。
「おうおう、やっと魔力探知広げたか。わざわざ開始の合図までしてやったのに中々広げねぇからどうしようかと思ったぜ」
飄々と先ほどまでと同じように彼女はそう話すが、自分はとても先ほどまでのままではいられなかった。
震えが止まらない。
呼吸をするように出来ていたはずの軽い身体強化ですら上手く維持が出来なくなるが、本能的になのか前面――彼女のいる方向にはポルテジオが展開されている。
多方面から攻撃が飛んでくる事には慣れている。
半年近くそういう特訓をしてきたのだ。
突然であったとは言え、三方面程度どうという事はない。
当然であろう。
しかし、今の感覚を自分は知らない。
(今さっき……この人は……)
彼女を直視する事が出来ない。
しかし、臆病な自分は確認をとらずにはいられない。
嘘であることを願いながら彼女に問う。
「てぃ……ティストさん……あなた今……」
名前を呼ぶことにすら恐怖を感じて声も震える。
この日、自分は生まれて初めて――
「僕の事を――殺そうとしてませんでしたか?」
「おう」
人間の発する"殺意"と言うものに触れたのであった。
おっさんに罪はありません。(大事なことなので)




