10.『一焼』に付す
油断無く魔力探知のための魔力を広げて、視覚外の魔物の動きを確実に把握できるようにする。
魔力を拡散するとはすなわちポルテジオの展開可能範囲を広げることにもなる。
状況的に最大九方面からの攻撃に対応しなければいけないわけだが、不安は無い。
(おじいちゃんとテッチとしか特訓したことしかないから、七方面までしか対応したことないけど、きっと出来るはずだ。今も八方面からの攻撃に対処できたしね)
根拠は無いが、今の自分になら出来る気がする――いや、出来なければならないのだ。
そもそもよく考えると何故二人で七方面からの攻撃が可能なのかと疑問に思うが、それはあの二人だからということで納得がいってしまう。
(それに多分もっと多方面からあの二人ならできるし……)
そんなことを考えながらも脳内では、飛び回る蜜蜂型の魔物たちや一度引いた大土竜たち、そして地面に降りて動かない雀蜂型の魔物の動向を把握するのに努める。
前の世界に居た頃の自分にはまず無理な技術だろう。
今一度自分を鍛えてくれている二人に感謝をしなくてはいけない。
改めて確認するが、雀蜂型の魔物以外はやはり自分の魔力探知に使っている魔力を捕食しようとはしない。
「おじいちゃんから聞いてた魔物の特性と違うな……。どういうことだ?」
魔力を捕食しないことで、魔力探知から逃れていたのかもしれないが、それだけの知性があるということなのだろうか。
普段の森での魔力探知の時は、魔物は須らく魔力を捕食をしていたはずだ。
「こいつらが特別だと考えるべきかもな……」
思考を巡らせている間も、こちらを攪乱させるつもりなのか蜜蜂型の魔物は縦横無尽に飛び回っている。
正直結構効いてるからやめてほしいところだ。
飛び回っているうちの二体が唐突に後方上空で動きを止め、こちらに向かって針を飛ばしてきたのを感覚が告げる。
その感覚に逆らわずに、告げられた場所にポルテジオを展開させると、硬質なものがぶつかる音がした後に何かが地面に落ちる音がした。
(大丈夫だ。全部感知できている)
しっかりと防御ができることを確認したところで、後ろの三人の方を振り向く。
実は先ほどから気になっていることがあったのだ。
金髪をツインテールにした地面に横たわる少女は、腹部の破れた衣服の隙間からどす黒い呪印が垣間見え、その隣に横たわるツンツンとした茶髪の少年は目を凝らさなくともわかるほどに体のいたるところに同じく呪印が広がっている。
「呪い傷……」
かつて自分も受けたことのある魔物の呪いを二人は受けているようだ。
傷口自体は塞がっているようだが、お構いなしに呪印は体に広がり続けている。
少年の方など、もう体中に広がりかけているようで、早急に対処しなければといった感じだ。
尚も襲い来る魔物の攻撃をポルテジオで防ぎつつ、冷静に状況を判断していると、攻撃が全て防御されている事を確認した翡翠色の髪の少女が必死な形相で口を開いた。
「あ、あの! ピカレスの薬を持っていませんか? こんな状況で、助けてもらっておいて図々しいと思われるかもしれません。けど、早くしないと……。お願いします! 対価は絶対に後で払いますから……! お願い、します……」
きっと傍に横たわる少年や少女を助けたいのだろう。
しかし、基本的に魔物と遭遇しないようにしていたため、自分のマジックバッグにはピカレスの薬は入ってないのだ。
もしもの時のために一つくらい貰っておけば良かったと思いつつ、しかし自分が代わりになるものを持っていることに気が付いた。
「ごめんね。今僕はピカレスの薬は持ってないんだ。けど――」
その続きを口に出そうとした時、弱々しく震えながらも、強い意思と覚悟の籠った声が遮ってきた。
「なあ……あんた……ありがとうな。さっきは魔物の魔法防いでくれて……。見る限り防御系のシエラを使えるんだよな……? 頼みがあるんだが、この二人連れてどうにかここから逃げてくれないか……?」
「サキトくん!? 何言ってるのっ!」
「俺はもう無理だからさ……。頼むから二人だけでも……。――お願いします。何も対価として渡せるものは無ぇけど、それでも、どうか……どうか……」
サキトという名前らしい彼から伝わる感情は、悲しみや悔しさを持ちつつも、その大部分は二人の同行者に対する"生きてほしい"という想いだった。
そんな想いに触れられた事が、こんな状況で不謹慎ではあるのだが、少し嬉しくなってしまった。
――だからこそ、その願いは受け取れない。
こんな優しい想いの持ち主をこんな場所で死なせるわけにはいかないのだ。
「大丈夫だよ。ちゃんと君も助ける。僕は君たち"三人"を助けに来たんだ」
――この場の一人の命だって欠けさせるものか。
「ピィ……」
翡翠色の髪の少女の肩で、弱々しい小鳥の声が存在を主張してきた。
よく見ると翠色の微弱な魔力を持った小鳥がぐったりとしながら首をもたげている。
「精霊……? ごめんね気が付いてなかったや。でも大丈夫。君もちゃんと助けるよ」
「ピピィ……」
安心したのか頭を下ろしてまたぐったりとし始めた。
「ピカレスの薬は持ってないんでしょ……。解呪でもできるの……?」
金髪の少女が苦しそうに問いかけてきたので、マジックバッグから今まで自分の事を幾度となく救ってくれた、この世界で一番付き合いの長い例の彼を取り出す。
「それは……まさかっ!?」
翡翠の少女は彼から仄かに香るその香りで正体に気がついたようで驚愕の声をあげる。
当然だろう、この世界の人々にとって彼はとてつもなく重要な存在のはずだ。
ましてやそれを一個人がこんな形で所持しているなんて思うはずもない。
そう、彼の名は――
「そのまさか。香木くんさ!」
「えっ? こうぼ……?」
「間違えた。ピカレスの枝だよ」
「で、ですよね……。でもなんでそんな貴重な物がここに……というかそのままじゃ使い物に……」
つい呑気に話してしまっていたが、こうしている間にも呪印は茶髪の少年や金髪の少女の体を蝕んでいるし、魔物たちも攻撃をしてきている。
さっさとやってしまおう。
最初に出逢った時は自分の身長よりも高かったはずの香木くんの身の丈も、今では腕よりも短くなっている。
散々彼には助けられたが、ここはもう一頑張りしていただくことにしよう。
(彼らを助けてあげてくれ!)
枝の両端に近い場所を持ち、力を籠める。
「ちょっ!? あなた何をしてっ――」
翡翠の少女が驚愕の声をあげると同時に、渇いた音をあげて枝は折れ、強烈な香りが周囲に広がり、辺りには光の粒子が舞い散る。
前の時と比べると随分と少ないその粒子を無駄にしないように風の魔法で集めて、的確に呪い傷へと持っていく。
体を蝕んでいた呪印はぐいぐいと呪い傷へと引っ込んでいき、二人の表情からも幾分か楽になったことが読み取れる。
完治までには至らないが、これでしばらくは時間稼ぎができただろう。
「グォォォ……」
ポルテジオで突進を受け止めていた大土竜たちが嫌忌の声をあげて怯む。
そういえばこいつらの弱点でもあった。
さすがは香木くんだ。
「え……いや……え? 良かったんですか? それ、すごく貴重な――」
個人的にはこのピカレスの木というものがどれほど貴重なものなのか、まだちゃんと理解はできていない。
しかしこの世界で一番長く時を共にし、旅をしてきたり命を救われたりと、愛着がわかないわけは無かった。
正直どんどん短くなっていくのを見ると、少し悲しいのも事実だ。
だが、それでもだ。
どんな事情や理由があろうと――
「――人の命に換えられる物なんてあるわけないよ」
少女らが息を呑むが、こんなの当たり前の事なのだ。
少なくとも自分にとってはそうなのだ。
だからこそ"護らねば"と思えるのだ。
「――そうでなきゃ僕に生きる意味は無い」
呟くような声は、きっと少女らには届いていないだろう。
多少楽にはなったであろうが、未だに辛そうに体を横たえている金髪の少女が問いかけてくる。
「貴重な枝を使ってくれたのは本当にありがたいんだけど……正直私もサキトもそんなに長くは持たないわ……。その……こんな聞き方すると失礼だけど、あなた最上級の攻撃魔法が使えるの? 見たところ私たちとそんなに変わらないように見えるのだけど……」
この状況を早急に打破するためには最上級魔法でも使えないと話にならないと、そう言いたいのだろう。
そんな問いに翡翠の少女が続く。
「そ、その肩の子は精霊ですよね? それなら上級魔法でも十分だよアイラちゃん! それにシエラを使えるってことは年上かもしれないし……」
少女らの問いに正直に答えるのが心苦しいが、嘘をついたところで仕方がないだろう。
「その……魔法に関しては魔力制御の練習ばかりしてたから"名付き"の魔法は一つも覚えてないんだ……。あ、歳は十九歳だよ」
そんな返答にアイラという名前らしい金髪の少女が驚愕の表情を浮かべて口を開いた。
「な、"名付き"の魔法を一つも覚えてないですって!? それって初級魔法すら覚えてないってこと!?」
「う、うん」
「その歳までどうやって育ってきたのよいったい!? てかそんな状態であの数の魔物をいったいどうしようって――」
「まあ落ち着けよアイラ」
あまりの驚きに呪いの苦しみも吹き飛んだのか声を荒げる金髪の少女の発言を茶髪の少年が遮る。
「この人はちゃんと俺たちを助けてくれるって言ったんだ。俺はこの人を信じるぜ。俺の勘が信じられるって言ってんだ」
「勘ってあんた……」
少年は目を不安と恐怖で少し揺らしながらも、それでもある限りの信頼を――希望を託してきた。
この信頼には全力で応えなければならない。
もう何度も繰り返してきたが、再び誓うように繰り返す。
「ああ、絶対に助けてみせるよ」
その言葉を聞いて金髪の少女も渋々と口を開いた。
「……わかったわ。……生意気な口きいてごめんなさい」
「いや、気にしてないよ。さて、敵さんもお待ちかねみたいだしさっさと終わらさないとね」
折れた香木くんをマジックバッグに仕舞いながら正面でピカレスの香りに怯んで後退りをしている大土竜を見据える。
勝ち筋は既に考えている。
失敗は許されない。
「キュウ。何をしたいかはわかってるよな?」
「キュウッ!」
意気込み十分に「もちろん!」とキュウが返してくる。
「じゃあまずは援護を頼むな」
「キュキュウッ!」
魔物たちがピカレスの香りを忌避して少し離れているのを確認して、展開していたポルテジオを一度全て消し去る。
ずっと防御の処理をしていた脳を一度クールダウンさせるという意味合いもあるが、他にも狙いはあった。
後ろの三人がポルテジオが消えたことに対して若干動揺していたので、一声かけておく。
「大丈夫。わざと消しただけだから」
それを聞いて幾分か和らいだようではあるが、やはり不安なものは不安なようだ。
(やっぱりまだ、おじいちゃんみたいにはいかないな……)
あの背中はまだまだ遠いようだ。
そんな事を考えているとピカレスの香りが弱まったようで、右斜め前方と左斜め後方にいる大土竜が突撃体勢をとり、上空に散開していた蜜蜂型の魔物のうちの二体が発射体勢に入ったのを感覚が告げる。
小癪にもバツ印のように十字砲火を組んでいる。
ポルテジオが全て消失したのを好機ととったのだろう。
(まあこれが狙いで消してたんだけどね。というか完全に狙いを僕に絞ってるな……)
目的の達成の第一歩として、まずは攻撃してきてもらう必要があった。
何故か四体しか攻撃を仕掛けてきていないが、寧ろ好都合だ。
迫りくる攻撃に対して、目的のために取捨選択をする。
まず第一の目的は魔物自身に呪いが効くのかの確認だ。
(そのためには――)
二体の大土竜と前方上空から飛んでくる針は感覚頼りのポルテジオで防ぐ。
この感覚頼りのポルテジオはまだ今の自分では攻撃に対して垂直にしか展開できない。
つまり、敵の攻撃を完全に止めることしか出来ないのだ。
だが、自分の意思で操作できるポルテジオを使えば――
(――こういうことだって出来るんだ!)
右斜め後方から飛んでくる針に対して右手を向けて、斜めにポルテジオを展開して"跳弾"させる。
左手の指や掌を動かして針の進行方向にもう一つ展開したポルテジオの角度を調整してさらに跳弾させる。
ポルテジオは"垂直方向以外の力をほとんど受け流す"。
これをうまく利用すれば跳弾させたものの力をほぼ殺すことなく進行方向を変えることができる。
腕や指は別に動かさなくても良いのだが、動かしたほうが操作のイメージがしやすい。
歌手などが歌う時に手を使うのと同じ理論だ。
たぶん。
果たして跳弾した針は見事に――
「グォォォッ!」
右斜め前方にいる大土竜の腹に突き刺さったのである。
大土竜は針が跳弾して自身のところに飛んでくるなんて思ってもいなかったようで、全く避ける動作すらしなかった。
何故か腹部の外殻が無くなっていたため、針の進行を阻むものは無く、そのまま腹の奥まで行ったようである。
しかし、腹部から血が出てこない事から見るに、やはり魔物は生物では無いのかもしれない。
また、一向に呪印が出てくる様子もない。
「やっぱり効かないか……。これで動きを止められれば世話無いんだけどなぁ……」
すると、また別々の方向から残りの大土竜と蜜蜂型の魔物が前後左右からの十字砲火を組んできた。
どうやらタイミングをずらせば攻撃が通るとでも思っているようだ。
「――上等だ」
その程度の小細工で突破させるほど甘い意志ではないということを教えてやろうじゃないか。
正面から来る蜜蜂型の針をポルテジオで受け止め、左右から突進してくる大土竜たちも同様に――
(いや、もう"誘導"をはじめた方が良いか)
左右から突進してくる大土竜達の前にポルテジオを雀蜂型の魔物側に滑っていくように斜めに配置して、それに三つずつポルテジオを繋げるように追従させることで横長の壁を作る。
突進の勢いそのままにポルテジオに衝突した大土竜たちは、そのまま力を壁に沿って流されて前方へと向かい、勢い余って雀蜂型の前で転がる。
「後ろっ!」
後方にいた蜜蜂型が放った針が迫っていることに対する警告が聞こえるが、もちろんそれも計算尽くだ。
まだ自分の手元には操作可能なポルテジオが一つ残っている。
後頭部の寸前まで飛んできていた針が斜め上方向に跳弾するようにポルテジオを展開する。
狙い通りに跳弾した針の向かう先は正面上空にいる蜜蜂型の魔物の右羽。
しかし読まれていたようで、蜜蜂型の魔物はそれを回避しようとした。
予想以上に対応されるのが早かったが、一度見せた手札だ。
読まれていてもしかたがないだろう。
(でもこっちだって読まれることくらい織込み済みだ!)
「キューーーー!」
キュウが白桃色の炎の玉――いや、弾を撃ち出す。
弾は豪速で前進し、回避を試みている蜜蜂型の魔物の左羽の根本を撃ち抜き、羽を焼き切る。
飛行能力を失い地面に落ちる最中、続けざまにキュウが放ち続ける炎の弾が蜜蜂型の体に何度も命中するが、外殻を削りはしたものの突破するには至らない。
「結構硬いんだな。最上級魔法とやらが必要な理由はこれか……。誘導が終わりきるまで足止めしといてくれキュウ」
「キュウッ!」
返事をするなりキュウは肩から飛び出して宙に浮き、自身の周りを囲むように複数の炎の弾を生み出す。
炎の弾はキュウの周りを速度を増しながら回転し、一つの輪となった。
輪からは炎の弾が機関銃の如く連射され、体勢を整えかけていた大土竜たちに襲いかかる。
外殻を貫通することはないが、精霊の魔法を嫌った二体の大土竜たちは長い爪を盾にすることで弾を防ぎ、その場に張り付けになる。
これで動き回る八体のうち四体は雀蜂型の方に誘導できた。
後は――
(後方の四体だ)
思考を休ませる間もなく左斜め後方に居た大土竜がまたしても突進をしかけてきているのを感覚が告げる。
前方の魔物はキュウに任せて、後方の魔物の対処に移る。
まずは突進してきている大土竜の足元にポルテジオでジャンプ台を用意してやる。
狙いに違わずジャンプ台へと足を踏み入れた大土竜はそのまま上を滑って、なんとも情けない体勢で自分たちの頭上を飛んでいく。
(どうだ……抗えまい)
狙い通り上手くいったことに思わずニヤついてしまう。
あの状況に陥った時の心境を自分は"身をもって"よく知っているからだ。
キュウの足止めしている大土竜たちの上も飛び越えて、その奥で魔力探知の魔力を捕食していた雀蜂型の魔物に激突した。
(あと三体!)
先に攻撃を仕掛けてきた蜜蜂型二体が針の装填を終えたようだが、飛び回るだけで撃ってくる気配がない。
三体目の装填が終わるのを待っているのかもしれない。
そんな推測をしていると、キュウの足止めしている大土竜たちの後ろに隠れている、腹部の外殻の無い大土竜が動き出すのを魔力探知が捉える。
「時間無いんだから大人しくしててくれ!」
動こうとした大土竜の足元の地面にポルテジオを展開し、片足だけ落ちるようにポルテジオ経由の魔法で落とし穴を作る。
唐突に地面が無くなったことで大土竜はバランスを崩し、その場に倒れた。
魔物には魔法が効かないわけではない。
確かに大土竜の爪などのような特殊部位以外に当てればそれ相応のダメージは通るが、ダメージを与える以外にも魔法には使い道がある。
魔法によって生み出された物は捕食されたり、分解されたりはするが、魔法によって起こった"自然現象"まではどうにもされないのだ。
魔物を倒せるほどの自然現象などなかなか起こせるものではないが、足止めくらいならば簡単に出来る。
この程度の穴では足止めできても十数秒であろうが、今はそれで十分だ。
ポルテジオを一度消し、後方上空からこちらに狙いを定めている三体の蜜蜂型の背後にそれぞれ一つずつポルテジオを展開させる。
それに気が付かずに針を放った瞬間に、羽の付け根にだけ当たるように斜め上から圧縮した突風を当てると、外殻に阻まれて体を貫くことはないが、蜜蜂型たちの体を見事に雀蜂型の前に叩きつけることができた。
飛んできた針を全て防ぎきったところで正面に向き直る。
(これで再装填までは敵側の飛び道具の心配はしなくてもいい)
下準備は整った。
あとは安全確認をすれば完全に準備が整う。
「キュウ! 次の段階に移るぞ!」
「キュキュウッ!」
合図を聞いて、キュウが今まで二体の大土竜に集中して撃っていた炎の弾をやたらめったらに前方へと乱射し始める。
弾幕が薄くなった分時間が経てば突破されるだろうが、今は少しの時間で十分だ。
キュウが時間を稼いでくれている間に、前方に人などが居ないかを確認するために魔力探知の範囲をさらに広げる。
「――大丈夫だ。今ならいける」
前方に生物の気配は無い。
脅かして違う場所に追い出す手間が省けた。
「来い! キュウ!」
「キュウッ!」
名前を呼ばれたキュウは、これから行う行為にある程度の時間が必要であることを知っているため、絶えず弾を打ち出している炎の輪に多めの魔力を供給し、今暫く弾を吐き出し続けるようにしてからこちらに飛んでくる。
キュウが肩に乗ったのを確認して、一呼吸置いた後、"祝詞"を口にする。
「――『太陽の精霊化』」
瞬間、景色がアポロ色に染まった。
―――――――――――――――――――――――――――――
無属性初級魔法『ライト』の光が辺りを煌々と照らす中、ある一点のみ性質の違う光があった。
光の中心に佇む武は、自身の腕や足を見て成功したことを悟る。
武の体はアポロ色に燃え盛る衣に包まれ、その体組織の全ても確かな実体を持ったアポロ色の精霊の魔力へと置き換わっている。
その姿は傍から見ればまるで太陽の化身のようであっただろう。
「よかった。成功したみたいだ」
まだ数度しか経験したことのないその行為が成功したことに、ひとまず安心する武であったが、その後方にいる三人は少し違った反応を示していた。
助けに来てくれた少年がいきなり炎に包まれるというなかなかに衝撃的な絵面を見せられたソフィアたち三人であったが、驚愕はしたものの悲鳴が上がることは無く、広がっていたのはどちらかというと安堵の感情であった。
なぜなら三人は、特にソフィアなぞはその事象が何なのかを知っているからだ。
「あれは……精霊化!?」
「やっぱり、そうだよな」
『精霊化』とは精霊と一体となり、その体を変質させることで精霊の魔力を"そのままの性質"で扱うための技術だ。
ソフィア自身習得を目指している技術であるため、その難易度については隣の二人よりもよく知っている。
少なくとも、生半可な意志や魔力制御の技術で扱える力ではないのだ。
しかしその分魔物に対する効果も絶大であり、精霊化の状態から放たれる"名付き"の魔法は『精霊化魔法』と呼ばれ、普通の魔法とは一線を画す効果を魔物に対してもたらす。
この技術を扱える者たちのことをこの世界では『精霊術師』と呼び、そう呼ばれる者たちは例外なくその武功で名を馳せていた。
そのため、三人の間には安堵が広がっていたのだが――
「でも確か"名付き"の魔法は使えないって言ってたわよね……。精霊化すれば魔法無しでも中型種の魔物くらいなら簡単に倒せるのソフィア?」
その言葉で広がっていた安堵が不安へと変わる。
「そういえば言ってたね……。私も使えるわけじゃないから詳しくはわからないけど、いろんな能力が軒並み強化されるらしいし……」
きっと大丈夫なのだと、そう信じることしかソフィアたちには出来ない。
一方の武はまだ御しきれない体内の感覚に冷や汗を流していた。
体内で暴れ狂う魔力は今の武では長い時間は制御していられないのだ。
持ってあと三十秒といったところだろうか。
「さて、やるか」
武はそう口にするや否や、魔物たちに対して左腕を前にした半身になり、両足を開いて地面へと強く押し付けて固定する。
右肘を後ろに引いて力を溜め、拳に魔力を集中させる。
武が目標である魔物たちを見据えると外殻の厚い大土竜が前に出て炎の弾を率先して受けていた。
(やっぱりこの魔物たちには知性があるんじゃないか?)
そんな考えが武の頭をよぎるが、目の前で起きた変化に思考が逸れる。
キュウの残していた炎の輪が魔力を失って消滅し、雀蜂型が魔法の射撃体勢に入るために羽を動かして浮遊し始めたのだ。
辺りに暴風が吹き荒れるが、どうやらそれが原因で蜜蜂型は地面にしがみついて動けなくなっているようで、大土竜もこの暴風の中では簡単には動けないようだ。
「――好都合だ」
現状武は精霊化の維持に全力を割いているためポルテジオを展開することはできない。
わざわざ攻撃の数を減らしてくれるというならありがたいことなのだ。
魔力の充填を終え、今一度武は魔物たちを見据える。
先ほど一度逸れた思考が戻ってくると同時に、自身の行おうとしている行為に正当性はあるのかという疑問が湧き出てくる。
――知性があるということは"生物"なのではないのか。
――このただ殺すためだけの行為を自分に許してもいいのだろうか。
武は逡巡するがそれも一瞬の後には答えが出た。
(そうだ。狩猟と何も本質は変わらないじゃないか……)
雀蜂型も魔力の凝縮を終えたようで、今にも魔法を放ってこようとしている。
武は静かに心の中で決意した。
――僕が"生きる"ために"殺す"んだ
だからこそ、武はこう呟いたのだ。
「――ごめんね」
脚から腰へ、腰から背中を伝い肩、腕、そして拳へと力を伝播させ前へと突き出す。
先ほど武はアイラに「"名付き"の魔法を使えない」と答えた。
これはありのまま事実ではあるのだが、別に魔物を倒せる魔法が使えないわけではないのだ。
下手に不安を煽ることになるぐらいならその事実を伝えた方が良かったのだが、武は質問に馬鹿正直に答えてしまったのである。
完全に武の失態であったが、当の武は説明をしている暇もなかったので実際に見せることで理解してもらうことにしたのだ。
やることは武の使える他の魔法と何も変わらない。
属性化した魔力を勢いに乗せて解き放つだけだ。
ただ違う点があるとすれば――
魔力が"高純度な精霊の魔力"であることと、使用する魔力の量が文字通り"桁違い"であることだろうか。
武の拳からはまさに解き放たれたかのようにアポロ色の炎が放射状に飛び出し、前方を焼き尽くしていく。
武たちの視界はアポロ色の炎に埋め尽くされ、まるで炎の壁か形成されたかのように見えただろう。
雀蜂型の放った漆黒の魔法は一瞬の抵抗を見せたものの"焼き尽くされ"消滅し、魔物たちに関しては呑み込まれた瞬間灰も残さず燃え尽きた。
炎はその勢いを止めることなく前方を放射状に焼き尽くし、しばらくすると跡形もなく消え去る。
武の放ったその炎は実に千メートル程を駆け抜け、後には赤熱して融解した地面だけが残っていた。
あまりの光景にアイラとサキトは言葉を失っていたが、ソフィアだけはその目を輝かせて言葉を紡いだ。
「これが……精霊化の力……!」
こうして武のリベンジマッチはほとんどその場を動くことなく、まさに完全勝利という形で決着がついたのであった。
――森と武の頬に一筋の跡を残して。




