50.【完】告白
歩き方、姿勢、礼儀作法、言葉遣い。
淑女としての知識にはそのほかにも一般的な勉強は、前世の知識を以てしても慣れない事の連続で。
ブレイクの隣に立つのにふさわしい女性になりたい、その一心でひたすら勉強に打ち込んだ。
ずっと燃える気持ちで——燃えすぎたのかもしれない。
ほんの少しだけ、熱をだしてしまった。
「今日は休んでください」
そうセレナに珍しく強めに言われて、私はベッドに横になった。
少し頭が重いけれど、寝込むほどではないのに。
ただ、体がぽうっと熱い。
「熱が出たと聞いた」
ブレイクがいつもの朝の時間にやってきた。
「少しだけです。そんなに心配しなくても……」
「心配するに決まっているだろう」
ブレイク様は椅子を引き寄せ、私のそばに座った。
座るんだ。——そう思ったら、そのままごそごそと色々と取り出して……。
水とか、果物とか、本とか。
「ブレイク様が看病してくれるんですか」
「もちろんだ」
忙しいはずなのに。
でも、久しぶりに一緒にいれると思うとちょっと嬉しい。
とはいえ……そこまで重症じゃないから、暇だ。
ブレイクはいつも話をしてくれるのに、今日は看病だからなのか、私に寝るように言って横で本を読んでる。
じゃあ私も——そう思って昨日読みかけていた本に手を伸ばす。その手をそっと遮られた。
「どうした? 何が欲しいんだ」
「あ、ちょっと。暇なので、本でも読もうかと」
「病人なのに?」
ブレイクが眉を寄せた。
私って大病を患ってたんだっけ——と思うような反応だ。
本当に問題ない程度なのに。
「そんながっかりした顔をするんじゃないよ。私が読んであげよう」
「え、ブレイク様が」
「ああ。だからほら、目をつぶっていなさい」
ブレイクが本を読み始めた。私は目を閉じてその声に耳を傾ける。
低く優しい声が、静かな部屋の空気をすこし震わせているのを感じる。
ただのこの国の著名人の伝記なのに、ブレイクが読むと、何だろう。ものすごい壮大なストーリーが目に浮かんでくる。映画のナレーションみたいだ。
「ふふ……」
思わず笑ってしまって、ブレイクの声が止まる。
「面白いところがあったか……?」
「いえ……すみません、続けてください」
私は目を閉じた。
あまりにも不似合いな感じがして笑ってしまっていたけど、慣れてくるとやっぱりその美声に酔ってしまいそうになる。
ページをめくる音。ブレイクの声。
そのすべてが、じわりと全身に染み込んでいく。
「——こんな難しい本まで読むようになってるんだな」
切りのいいところでブレイクがしみじみと言った。
「急に進めるのは、大変じゃないか……?」
「いいえ、楽しいです」
本心から私は言った。
「礼儀作法も、色々な事を知る勉強も。いつか全部完璧にしたい——」
私は言いかけて、口をつぐんだ。
ブレイクのために、ブレイクの横に立つのにふさわしくなりたくて。本当はそう言いたい。
そんな風に思い詰めて、結局熱を出してしまったら本末転倒だったなあ。
はあ——小さくため息が出る。
パタン、と静かな室内に音がした。
ブレイクが本を閉じて、私を見ていた。
「ナノリア。そんなに急がなくていい」
「え?」
「もっとゆっくり歩いていけばいい。何も逃げてはいかないんだから」
「何も……そうでしょうか」
何も——何もかもが欲しいわけじゃない。ただ、ブレイクただ一人、貴方だけが、行ってしまわなければいい。
そんな私の気持ちを分かってはいないだろう。でもブレイクは私をしっかりと見つめてくれていた。
「——私は、ナノリアがゆっくり大人になっていくのを、ちゃんと見ていたいんだ」
ブレイクはそっと私の頭に手を置いた。
「今しかない時間を焦って手放す必要はない。君は十分に美しく、十分に立派だよ」
その言葉が、染み込んだ。
「……だから、急いで大人になろうとしなくていい」
「でも、それだと……ブレイク様は——あ、いえ」
私は思わず目を伏せた。
言うつもりはないのに。——まだ」
「どうした?」
本当に分かっていないんだろうか。ここ最近の私の努力がどこから来るのか。
もう一歩。もう少しだけ。
「私が子供だと、相手にならないでしょう?」
「相手?」
「私……ブレイク様とずっと一緒にいたいんです。ずっと側に。そのためには、公爵家にとって相応しく——」
「まってくれ相応しくだなんて。相応しいかどうかなんて、考える必要ないだろう? 私がお願いしてここにいてほしいくらいなのに」
「そうじゃなくて。——本当に?」
私は顔を上げた。
「本当にわからないんですか」
ちょっとだけ、怒りを含んだような声になったかもしれない。
ブレイクが一瞬、戸惑ったように視線を彷徨わせる
「私が何のために猛勉強して、どうして急いで相応しくなりたいって言ってるか……分かりませんか」
「いや……」
ブレイクはまだすこし迷ったような顔をしていた。けれどここで、それはただの憧れだとか、私がまだ子供だからとは、もう言わない。
そういう事を言わない人だから好きなんだ。
そう思うとまっすぐブレイクの目を見ることができた。
——あれ。
ブレイクが、突然顔を覆った。
「ブレイク様?」
「見ないでくれ……ちょっと今、見せられない顔になっていると、自覚している」
え……えぇ!
急にどうしてそんな反応になったのか分からなくてびっくりする。
だって脈なしも脈なし。本当に望み薄だと思ってたのに!
顔は見えないけど、少しだけ覗いた耳から頬のあたりが、うっすら赤いような気もする。
「え、そんな。見たいです」
「君は時々……意地悪だな」
はあ、とブレイクが深呼吸した。
「いや、考えないようにしていたんだ。情けないよな。君はまだ子供だからと自分にも人にも言い聞かせて、体よく逃げていた——女性にここまでいわせて、私がのらりくらりとするわけにはいかない」
顔を上げたかと思うと、ブレイクは突然立ち上がり、そのままその場に膝をついた
「ナノリア」
真剣な声だった。
跪いたまま、そっと私の手を取る。その手がものすごく熱い。
「ずっと君を後ろから支えたいと思っていた。つまづいた時に手を差し伸べ、立ち上がる手伝いができたら、と思っていたんだ。でも——君が望むなら——私は、私こそが、君の隣に立ちたい。
美しい瞳と目が合う。いつもと違って下から見上げるような瞳に、そこから逸らせなくなった。
「できることなら、この先ずっと、いつまでも」
驚いた。これって……そうなの? そう思っていいの?
私がほんの一歩、もう一歩だけ頑張って伝えたら……ブレイクが、応えてくれた。
急激にこみあげてくるものがあって、視界が霞む。
「本当に? 私、そのつもりでいて、いいんですか」
ブレイクは優しく微笑んだ。
「私はいつまででも待っている。だから、急いで大人にならないでほしい。自由に、いつでも私を捨てる気でいてくれ」
私が成長して別の方を見るんじゃないかって、まだ思ってるのだとしたら。そんなことはないって言いたいけど。
今はまだ、そんな未来を私が言葉にするよりは——。
「その時はちゃんと追いすがってくれるんですよね」
ちょっと掠れた声で尋ねたら、ブレイクは心得ているように笑って見せた。
「もちろん。涙ながらに跪くだろうな」
私は嬉しくなって笑った。
二人の笑い声が夜の部屋に響く。
てはにぎりあったまま。そこがぽかぽかと温かい。
気持ちが通じ合って、その手の中から生命力が溢れ出ていくようだった。——実際、力のみなぎる不思議な感覚があった。
何でもできるような気がする。この自然豊かなコーンワルドの地で、愛するブレイクと一緒なら。
でも今はとりあえず、ブレイクと繋いだこの温かい手をゆっくりと感じたい。
こんなくすぐったい会話が、いつまでも続くといいなと考えていた。
お読みいただきありがとうございました。
これにて、完結となりました。
年の差の包容力とか、こんなおじさんイジイジ、みたいなのを書きたかったのに、なかなか難しかったです・・・。
それでもお読みくださっている読者様に、本当に感謝です。
もっと精進せねば・・・。
自作はもっとお楽しみいただけるように頑張りたいと思います。
本当に、ありがとうございました^^




