5.部屋の掃除
パウラが持ってきてくれた朝食は、固くて黒いパンと具のないスープだけ。
質素だけど弱った胃腸にはちょうどいい。
「いただきます」
部屋にはパウラも出て行って誰もいないから、手を合わせて、気楽に食事にすることができた。
スープにパンを浸しながらゆっくりと食べ進める。
ダイニングに行けば、アディノスと同じく王族に出される朝食が出てくる。アディノスは嫌そうな顔をしたが、かといって粗末な食事を横に並べるわけにもいかないし、何よりドローネの遺言がある。
しかし、部屋で食べる時は人目が減るから一気にレベルが下がって……多分これは使用人の残り物だな。
まあ、食べられるなら何でもいい。
モグモグと口を動かしながら周りを見渡した。
あまり味はないので、ごくごくとスープで流し込んで、私は立ち上がった。
本当に薄汚れた部屋だ。それほど広い部屋ではない。
物も全然ないから掃除も楽そうなのに、一切されている様子がない。
「よし。まずは、掃除ね」
呼び鈴でパウラに来てもらって食器を返して、雑巾とバケツの水をお願いした。
パウラは怪訝そうな顔を隠しもしなかった。
「はあ……雑巾?」
声音も表情もひどいものだったが、それでも言う事を聞いて持ってきてくれた。
よくよく観察すると、態度がそっけないのは性格なんじゃないかな。言葉に棘を感じてたけど、そこに悪意はなさそうで、私の事は別に嫌っていないようだ。
ただ、感情の幅が狭くて、淡々とした人なんだろう。
お礼を言ってから、私は袖をめくった。
さあ、大掃除だ。
***
私の家は田舎にある大きなお寺だった。
父はそこの住職で、子供は私一人。
古くから続くお寺だから檀家さんの高齢化はすさまじかったけど、その数は結構たくさん抱えていたから寺を畳むこともできなくて。
子供の時から父の読経を聞きながら育ったし、寺は継ぐつもりで一応仏教系の大学に進学した。
進学したものの——頭を坊主にする踏ん切りがつかなかった。いや、宗派としては何も剃る必要はないのだけど、何しろ田舎だから、檀家さんたちの手前一度は剃った方がいいんじゃないかと言われて。
大学卒業間近22の夏。ひたすら迷って迷って、いよいよ、もう逃げだすか? なんて考えながら眠りについて——その後の記憶がない。
寝て起きたらこの世界だった。
死んでないなら、輪廻転生とはまた別の現象なんだろうか。
——とはいえ、考えてもしょうがない。
とにかく今は、この住処を人の住める場所にするのが先だ。——人じゃないかもだけど。
私は雑巾を硬く絞った。
雑巾がけって、やっぱり、いい。この磨かれていく感じがいい。
色々迷った時は掃除が一番だ。それも、雑巾がけ。
混乱してた気持ちも、胸の空虚なもやもやも次第にすっきりとして来る。
「掃除は心の垢を落とすわあ~」
やってるうちに楽しくすらなってくる。
雑巾はすぐに汚れて水場と何往復もしたけど、どんどん綺麗になっていく部屋と、体を使うすがすがしさがたまらない。
特に床の雑巾がけにはちょっと自信がある。——いや、この身体は貧弱だからかなり苦労したけど。でもこういうのって、コツがあるから。
だてに実家の寺の長い廊下を何往復もしてない。
そうして部屋の中を全て拭き終わる頃には、昼過ぎになっていた。
まだ愛されていた、幼い頃に与えられた部屋だから磨けばそれなりに綺麗になる。
ただ、全てが4歳くらいの子供用だから、小さめではあるのだけど。
足の出そうなベッド、所どころ破れたカーテン。
でも磨き上げられた木の床と石の壁は光ってるようにも思う。
すっきりしたらお腹が空いてきた。
再び呼び鈴を鳴らすと、パウラはすぐにやって来た。
そっと顔だけ入れて部屋を覗いてくる。——その態度はとても王城のメイドとは思えないな。
「どうしたの」
「なんか……ナノリア様が変だって。みんながびっくりしてますよ」
「え?」
「羽を出して歩いてるし、しかも雑巾持ってるって」
「掃除しただけよ。綺麗になったでしょう?」
今度は何を企んでいるのか——と続きそうだ。
その不審な顔を変えたくて、私はさっさと扉を全開にしてを中を見せた。
「うわ……」
パウラから驚いたような歓声が聞かれる。こうやって素直に驚いてくれるのはちょっと嬉しい。
「綺麗になったでしょ」
「はい。え? ナノリア様がしたんですか」
「そうよ」
「一人で? これは……すごい」
「へへん」
「その調子で、クローゼットルームに行きませんか。私の午後の担当箇所なんですよね」
「……………」
この子、やっぱりちょっと変わっているかもしれない。そう思って黙ったら、はたと目が合う。
冗談だったのかな。
「すっきりした顔してますね。イライラを掃除で解消することにしたんですか」
「イライラっていうか……」
ナノリアは確かに癇癪持ちだった。子供の時から閉じこめられていたら、無理もないのか。
ストレスが溜まりに溜まると、もうどうにも抑えきれなくなって部屋の中で突然叫び出す。メイドたちに物を投げたり、暴れて部屋に引きこもる。
朝の癇癪に加えて、今日もまた毒蛾のナノリアが発狂した——なんて陰口をたたかれているのも知っている。
「えっと、その節は、物を投げたりして、ごめんなさい」
もう一度謝っておく。
パウラはまた驚いたように眉を上げた。
今日はとことん驚かせてばかりだ。ナノリアの記憶を探っても、こんな顔は見たことがない。
別人みたいだなって思われてるのかも。中身は別人だけど。
「いいですよ。当たったことないし、兄弟喧嘩で慣れてるんで。——ああでも、そうですね、事前に言ってもらえると助かります」
「今から暴れますって?」
「はい」
イライラが極限に達した時にそれは難しいのでは。
「伝えたらどうするの」
「しばらく近づかないんで」
淡々と言われた。パウラはどうにも掴みどころがない。
とはいえ、癇癪を起こすことももうないだろう、多分。
——それよりも、意外とパウラは私の事を見てくれているのかなと思った。
そうでなければすっきりした顔をしてるなんて、なかなか出てこないんじゃないかな。
「パウラって……変わってるって、言われない?」
「さあ。私は平民なので、ここの人達とは誰とも話さないんで」
「え、そうだったの?」
王城の、しかも内城のメイドとなると普通平民ではなれない。
身元のしっかりしている貴族階級か、それに準ずる子女がなるものだ。
「何か、伝手があったの?」
「いえ。みんな嫌がるから私が雇われたんです。結構給金もいいので満足してます」
「ああ、なるほど……」
原因不明の病に倒れたのは国王ドローネだけだったで、ナノリアの羽に毒があるのでは、という話はすぐに収まった。
それでも最大の後ろ盾でもある国王を失ったというのは、何より大きい。
王家で最も権力を持つのは、王妃だ。その王妃が公の場でナノリアを糾弾した。内城の主であるサフィアに嫌われたナノリアに味方する者は一人もいない。
触らぬ神に祟りなしだ。
その上癇癪持ちで、人気者の王子殿下のストーカーだからね。
ま、評判も最悪だ。
けれど遺言がある以上世話が必要、というわけで平民から連れてきたのか。
「パウラはいくつなの?」
「22です」
「へえ、私と一緒——」
「え」
「では、ないわね!」
危ない。妙に親近感を持ってしまった。今の私は15だった。
「ナノリア様」
「ん?」
「なんか……羽、伸びてません?」
こらこら、指をさすな。
言われて鏡を見る。確かに、記憶の中の羽はもっとしおれて一部破れた、それこそぼろ雑巾ようになっていた。
「脱皮したのかも。なんかね、痒いから掻いたら、ボロボロと落ちたの」
パウラは変な顔になった。
うえぇ、とでも言いそうな失礼な顔だ。
そうね。羽が脱皮ってちょっとおかしかったかな。
その時。
扉がノックされた。
パウラが用件を聞きに行って、またすぐに帰ってくる。
「ナノリア様、王子殿下がお越しだそうです」




