滅びゆく世界
「思えば、学生の頃が一番楽だった。
なぜって?
問いには必ず答えがあった。
しかし、大人になると気がつく。
世の中には答えのないものだらけなことに。
世界平和と我が子を天秤にかけるとか、
自分の行動が世界の命運を決めるとか、
息子と娘にどう接したらいいかとか、
そんな授業は受けていない。
私はどう生きるべきなのか。それが問題だ」
「何をぶつくさ言ってる舎利弗」
桜井が言った。
白髪頭をかきながら、眉をひそめている。
一体いつ来たのか……、
存在感の薄い奴だ。
それとも、俺が考え込んでいたのか。
マホガニーの木製両袖デスク、目の前にはノートパソコン、黒い革張りの椅子に俺は座り、手を目の前で組んでいる。
鼻先に珈琲の匂いがする。
桜井は珈琲カップを俺の前に置く。
砂糖もミルクもなく、
ただ黒く苦い液体。
だれかが
「珈琲は人生のようだ」
と言ったが、本当にそうだ。
人生は苦いが癖になる。
そして飲み過ぎると眠れなくなる。
俺は目で礼を言う。
桜井は俺の目を見て、
笑みを浮かべた。
「独り言だ。気にするな」
俺は桜井への答えを用意する。
桜井はふーっと溜息をつく。
「しかし、お前、息子の件はどうするんだ?」
桜井はデスクの前にある黒い革張りのソファーの肘掛けの部分に腰をかける。
「どうもせんよ」
短く答える。
「どうもしないって、もう一匹の巨火子は、お前の息子にしか動かせんのだぞ」
「わかってる。しかし、娘は差し出したんだ。なぜ俺ばかりが」
またこの議論だ。
イライラする。
「あぁ、わかっている。世界は残酷だ。しかしお前達の力がないと……」
「もう言うな桜井」
「わかった。まぁ茶でも飲んで、気持ちを落ち着かせろ」
俺は珈琲を一口含む。
苦みが口に広がり、香りが鼻腔に広がる。
桜井にしろ、
他の連中にしろ、
いつも同じ台詞だ。
お前達の力がないと……。
……
俺はふと思い出す。
あれは15年前のことだった。
俺と桜井、そして美明は大学の調査で、ある遺跡を調べていた。
発掘調査にしては、珍しく予算が潤沢なプロジェクトで、当時最先端の機器が使えることに、俺たちは興奮した。
「しかし、こんなに知名度の低い遺跡の調査で、よくこんなに予算がおりたな」
俺は言った。
「なんでも、とある財団が多額の寄付をしたそうで、裏に何かあるのかもな」
桜井は笑った。
「もう何言ってるの? 陰謀論とか、もう少し科学的なことを考えなさいよ」
美明は言った。
思えば、あの時手を引いておくべきだったのかもしれない。
調査を始めて、半年が過ぎた時、何かの入り口が発見された。
「入口らしきものを発見」
と写真付きで大学に報告したところ、
調査の一時凍結を命じられた。
俺たち三人を残して、作業員全員は他の仕事を命じられた。
表面上は、成果が出たので、凍結もしくは打ち切り。
各作業員には二十万ばかりの賞与が与えられた。
邪推すると、あれは口止め料代わりだったのかもしれない。
三人だけになった遺跡には、
大学からは学長と、財団からは二人、うち一人は外国人、そして軍から十名、うち七名が外国人、それぞれ派遣された。
「やはり、様子がおかしいな。こんなローカルな遺跡になぜ外国人が来る」
桜井は警戒していた。
「手を引きましょ」
美明は言った。
「まずは学長に話をしてみよう」
俺はそう答えた。
「学長。これは一体……。手を引いたほうがいいのでは?」
「いや……、君たちには、こちら側に来てもらう」
学長はそう言った。
こちら側……。
その言葉には裏があった。
しかし時すでに遅し、
俺たちには、逆らうことができなかった。
石室の入口は最新の技術で厳重に処理し、内側に未知の細菌がないか調査された。
そしてこちら側の細菌が入らないようにした上で、慎重にロボットを使い、中が撮影された。
そうとうデリケートなものがあると推測した上でのことだろう。
画像がモニターに映し出される。
真ん中に黒い狼のような形をした棺状のものが三つ。
そして周りの壁には壁画があった。
壁画には、黒い狼がいなびかりに包まれた獣のようなモノを喰らう絵が描かれていた。
学長や財団側、軍の関係者は、あきらかに喜んでいた。
「一体これは……」
俺は尋ねる。
「この黒い狼は、巨大な火の子と書いて、巨火子。このいなびかりのようなものに包まれた獣のようなモノは、害雷だ」
学長は答えた。
「この遺跡にどんなものがあるのか、ご存じだったのですか?」
「あぁもちろんさ。これは我々にとっての唯一の希望なのだ」
学長はそう言った。
俺たちには何がなんだかわからなかった。
しかし、質問はやめた。
「世界には知ってはいけないことがある。
知識は聞くと後戻りできない一本道。
情報を持つことが常に正しいとは思わないで」
そう美明が耳元で囁いたからだ。
それから、安全性の確認や、壁画の調査や撮影などに丸一ヵ月が費やされた。
そして、ようやく石室内へ入ることが許可される。
許可されたのは、俺と美明の二人。
防護服に身を包んだ俺たちは、石室の中に入った。
石室の素材は固い岩石。表面に削りあとはなく、溶かされたように美しく整っていた。
壁画は、表面に書かれたものというより、染められたような雰囲気。
そして黒い狼のような棺は、黒いオパールのような光沢があり、とても滑らかだった。
俺達は細かく写真を撮る。
見惚れるほどに美しい。
憑りつかれるように写真を撮った。
撮影を始めて十分ほどしたとき、
「痛い」
美明の声がした。
「どうした?」
「棺に触ったら……」
美明は震えていた。
防護服の上からでもわかった。
美明の指からは血が出ていた。
何かが刺さったような跡がある。
しかし、棺は滑らかで、なぜ傷がついたのか不明だった。
しかも防護服は分厚い。
一体どうやって……。
美明を戻らせ、治療を行う。
それから、しばらく調査は続けたが、
棘のようなものは見つからなかった。
そして、
最終的に、
何らかの偶発的事故。
そう結論付けられた。
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