↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
煩音  作者: 黒猫ミー助
PR
9/9

◆9 煩音




 中神は天井点検口から中に入ろうとして藻掻いた。

 「あ…くそ……

 この脚立、少し低い…!」

 何種類かあった脚立の内、持ち運び易いサイズの脚立を担いで来た。

 コレはコレで長いのだが、少しばかり目測を誤った。

 点検口に頭は通る。天板に乗れば胸まで届く。

 でもそれ以上は、つま先立ちでも届かない。

 せめて腹まで越えないと、天井裏には上がれない。


 「あと少しだってのに……!」

 なぁぁぁん……なぁぁぁん……!

 音はますます大きくなる。

 天井裏で反響し、中神の鼓膜を激しく震わせた。

 『うるせぇんだよ!!』

 鳴き声を消そうとして怒鳴り返した。

 その時……


 上階から、地下まで貫くP・S(パイプスペース)の縦穴には、沢山並んだ排水管。

 懐中電灯の照らす先。排水管が作る陰の中。

 細い棒の様なモノが『ペタン』。光の中に這い出てきた。


 「…ん?」

 それは、節のある白い棒に見えた。

 ペタ…ペタ…ペタ……

 白い棒は二本、三本と増えていき…

 「虫か?気持ち悪い…」

 五本に増えた所で全体が見えた。

 壁にバンッと叩きつけられたそれは、『手』だった。


 小さな白い手。

 「ひっ…!」

 中神は驚いて、咄嗟に頭を引っ込めた。

 急に動いた所為で、片脚を脚立天板から滑らせた。

 「う…うわ!」

 体勢を立て直そうと、両手で天井点検口にしがみつき、残った片足を脚立に引っ掛けた。

 足下の脚立が激しく揺れる。


 トイレの床は硬い磁器タイル。

 閉店作業中に行われた清掃の時に撒いた水が、まだ乾ききっていなかった。

 脚立の足が横に滑った。

 「や……!!」

 ガッシャーン!!!

 言葉を発する間もなく、中神は脚立と一緒に転倒した。


◆


 なぁぁぁん……!なぁぁぁん……!

 煩い声が、中神の左耳を震わせた。

 「……ぐっ…ごほ…」

 中神は目を覚ました。

 一瞬の間だが、気絶していたらしい。

 彼の直ぐ横には、自分と同じ格好で倒れている長脚立。

 天井には開けっ放しの点検口。


 「何を…してたんだっけか…」

 記憶が混濁し、置かれている状況が理解らない。

 「ぐっ…!」

 意識がハッキリして来ると同時に、激しい痛みが彼の全身を駆け巡った。

 右足首から右膝、右太腿を上って右腰、右脇腹を庇う様に右腕…そして何より、酷く痛む右側頭部。

 その辺りを触ろうとして、気付いた。


 右手が…動かない…!?

 指に力を入れようとしても、意思(めいれい)通りに動かない。

 右手を確認しようとするが、上手く力が入らない。

 仰向けで倒れている自分の目で見える位置まで、自身の右手首を持ち上げる事が出来なかった。


 なぁぁぁん……!なぁぁぁん……!

 左耳元辺りから、鳴き声が響いた。


 仰向けのまま、右手側から左耳へと視線を動かす。

 その途中、開けっ放しの点検口が視界に入った。

 点検口の縁に白い棒が一本…ペタン。

 中神は、ほんの数瞬前に見たものを思い出した。


 「ひぃ!」

 辛うじて動く左腕と左脚を必死に使った。

 仰向けで這いずり、トイレの出口へと向かう。

 その間も、真っ暗な点検口から目が離せなかった。

 ペタ…ペタ…ペタ…と、白く細い指が並ぶ。

 そして、点検口の縁から垂(・)れ(・)る(・)様(・)に(・)這い出して来た。


 なぁぁぁん……なぁぁぁん……

 相変わらず煩い。

 ただ、いつもと少し違う。

 常に、左隣に張り付いて居るかの様。


 『ふぅ…!ふぅ…!』

 漏れ出る呼吸が、遠くに聴こえる。

 口を開く度、肺が圧迫される様な奇妙な感覚。

 左腕と左膝でタイルの上を這いずると、胃の内容物が漏れ出そうになる。

 右半身は既に度を越えたのか、痛くない。その代わり、麻痺したかの様に動かない。

 中神は左半身の這いずりだけで、トイレの入口まで辿り着いた。


 中神の居る場所からは丁度、姿見を通して中の天井の様子が見えた。

 ぽっかりと開いたままの点検口から伸びるのは、細くて白い腕と長くて黒い髪。

 粘性の高い汚泥が滴り落ちるかの様なゆっくりとした速さで、そ(・)れ(・)は点検口から垂(・)れ(・)て(・)来ていた。


 なぁぁぁん……!なぁぁぁん……!

 垂れ落ちる『何か』に向けていた意識が、突然響いた『声』の方に引き戻された。


 『うるせぇ!…来るな!』

 中神は『声』と『何か』、両方に向けて怒鳴った。

 声を張る度、息をする度、吐きそうになる。


 『声』は今も、左耳の鼓膜を激しく震わせている。

 声の主は左耳に齧りつきそうな程に近く。

 生温い吐息を感じた。

 『うるせぇ!!来るな!!』

 中神は左手を振り回し、左隣の相手へ向けて一発。

 拳は空を切った。


 なぁぁぁん……!なぁぁぁん……!

 垂れ落ちた白い片手と長い髪は既に床に着いている。

 そ(・)れ(・)の腰は、既に点検口から這い出してきている。

 長く伸びた胴が下方の頭と天井の腰を繋いでいる。

 細くて長いそ(・)れ(・)の全体像が、少しずつ明らかになってきた。


 それと同時に広がる臭気。

 『う…!くせぇ!』

 中神は左掌で鼻を押さえた。

 臭い…凄まじい臭気。この臭いは、まるで……


 なぁぁぁん……!!なぁぁぁん……!!

 突然、『声』が爆音になった。

 『痛え!!』

 左耳が震えるのが分かるくらい。激しい音の暴力。

 すぐに左手で左耳を押さえた。

 臭気の不快さより、震える鼓膜が酷く痛む。


 音の振動で左側頭部が揺れる。

 細かい震えが、左耳の痛覚神経を直接撫でる。

 『…痒い…痒い…』

 音は『痛い』のに、触覚は『痒い』。


 左手で左耳を掻く。

 『…か…痒い…煩い…痛い…』

 段々と力が入ってくる。

 引っ掻いた所がヌルヌルと滑る。

 滑って上手く掻けない。

 『濡れ…滑…掻けない…。痒い…痒い…』

 垂れ落ちた『何か』を凝視したまま、中神は左手に力を込めた。


 ブツリ…

 何かの『音』が骨に伝わった。

 その途端、左耳を覆っていた『痒み』が消えた。

 だが、音は消えなかった。


 なぁぁぁん……!!なぁぁぁん……!!

 響き渡る『声』が、左耳の鼓膜を激しく震わせながら、頭の中を引っ掻き回す。


 …苦し…い…左耳の中…痛い……

 …ぁ…右から音が…しない…?


 その時になって初めて、中神は右耳の鼓膜が破れている事に気付いた。

 …鼓膜…無け…ば…煩わ、い音…消せ…


 中神は左耳に左手の指を突っ込んだ。

 だが、指が太くて入らない。

 その間も、『声』は左耳から脳内を刺激し、中身を激しく揺さぶっていた。


 …耳に突っ込むモノを…

 鼓膜を破る為に、尖った物を探した。

 だが此処は女子トイレの出入口。売り場から少し離れている。

 見える範囲には、細く尖った物は無かった。


 探す途中、姿見の方に視線が向いた。

 『真っ黒』なワンピースから伸びる『真っ白』な手足。

 白骨よりも白い首筋に、奈落の様に黒い髪。

 先程まで『粘体』だったモノは、『女』の形を造っていた。


 『化…物の…に…人…を…』

 『女』はゆっくりと近付いて来た。


 …武器…武器になる物…

 咄嗟に腰に引っ掛けていた無線機を手に取った。

 仰向けのまま、それを『女』に向けて投げつけた。

 ガシャン!

 無線機は姿見にぶつかり、落ちた。

 鏡と無線機、両方とも壊れた。


 なぁぁぁん……!!!

 響く『声』は未だ止まらず。彼の頭の中で反響していた。

 『音を…止めないと!……何か…』

 身体に装着した物で、尖った物を探す。

 『鍵!』

 腰に着けた警備員用の鍵を思い出し、左手で鍵ホルダーを掴んだ。

 『コレで!』

 思いっ切り引っ張る。

 だが、盗難防止用のコイルチェーンは専門の器具でないと破壊出来ない。

 自分の耳元までは届かず、引っ張った反動で足下の方へ飛んで行った。


 相変わらず、『鳴き声』は左耳の中。

 『声』で意識を失いそうになる度、女子トイレに居るであろう『女』から漂って来る『悪臭』が、無理矢理彼の意識を引き起こす。


 『他に…何か尖ったモノ…!』

 財布を取り出そうとするが、左手だけでは上手くいかない。

 必死に左手を動かし、そして気付いた。


 『あった!!!』

 彼は左手を口元に持っていき、人差し指、中指、薬指の三本の『爪』を、思いっ切り噛(・)ん(・)だ(・)。

 そしてそのまま、左手を勢い良く引っ張った。

 ぶちぶちぶち……

 三つの音が鳴り響いた気がした。

 左耳の中で反響している『声』が、他全ての音を掻き消していなければ、肉から剥がされた爪の音がハッキリ聴こえただろう。


 剥がれた三枚の爪を、左手の親指と小指を使って一枚ずつ。左耳の中に押し込んだ。

 ビキビキビキ…

 何かが切れた音が、頭の中に拡がった。

 同時に、ヌルヌルとした液体が耳から溢れ出す。

 『入る…!指が…入る!』

 左手の中指を自分の左耳の穴に押し込んで、先に入れた爪で鼓膜を破ろうとした。

 『い…痛くない…?これなら…いける!』


 なぁぁぁん……!!

 相変わらず『声』は続いていた。

 だが、彼には聴こえない。

 彼の爪は鼓膜を突き破り、中耳にまで届いていた。


 嬉しそうに笑みを浮かべながら、泣いていた。

 上下も正誤も判らなくなった静寂の世界の中で、彼は更に爪を押し込んでいく。

 既に正常な判断は出来なかった。


 『音』の消えた世界で、彼は安堵していた。

 彼の這いずった道には擦れた血の跡。

 右半身は動かない。左手の中指は耳の中。

 激しい恐怖と突き抜けた痛みは、彼から思考を奪っていた。


◆


 なぁぁぁん……!なぁぁぁん……!


 笑いながら『鳴く』彼の足下に、『女』が居た。

 凄まじい『悪臭』を伴って、それは『物体』として立っていた。

 哀れみを湛えた泣きそうな瞳で、笑う彼を見下ろしていた。


 内耳まで傷付け、上下も左右も判らなくなった彼には、目の前の『女』が見えていなかった。

 『女』はゆっくりと彼に跨った。


 白骨の様な細く白い両膝で、彼の脇腹を押さえる。

 細く小さな右手で、尚も左耳の中に爪を刺し込み続けている彼の左手を掴む。

 細く小さな左手で、ずっと『鳴き』続けている彼の口を押さえた。


 『駄目…お願い……静かにして……』

 『女』は強く、とても強く押さえた。

 『ゴメンね…ゴメンね……泣かないで…』

 『女』から溢れ出す『涙』は悪臭を伴った。

 『ゴメンね…。泣かないで…アタシの赤ちゃん…』

 『女』の破れた皮膚からは、『血』ではなく『汚泥』が漏れ出していた。


 彼女の左手の下にある中神の口の中から、ゴボゴボ…という低い音が漏れ聴こえる。

 ヘドロの様な粘性の気泡が、押さえつける『女』の左手と彼の口の隙間で膨らむ。そして弾ける。何度も…何度も…。

 『お願い…泣き止んで…

 あの人が怒るから…静かにして……』

 押さえつけられている彼の身体が激しく痙攣した。


 『女』が押さえつけている時、トイレの中から声がした。

 声の元は開けっ放しの点検口の中から。

 真っ暗な闇の中から、低い男の声が響いた。


 『うるせぇぞ!眠れねぇじゃねえか!

 そのガキ、早く黙らせろ!!』


 『女』の身体がビクッと跳ねた。

 『女』は中神の身体を強く押さえながら、『ゴメンね』を繰り返した。

 『女』が『ゴメンね』を10回言い終わる頃には、彼の身体はピクリとも動かなくなっていた。


 『女』の『身体』はあちこちが破けていた。

 『女』の『茶色い血』が中神の制服を濡らしていた。

 彼の口からは、『女』の流した『血』が溢れ出ていた。


◆


 なんで居(・)る(・)かな…

 深夜発報だけ15分遅れて鳴る様に細工しておいたのに。

 発報してから見に来れば、『彼女』に遭わないで済んだのに……


 「…ああ、そうだ。15年前と同じ…。

 処理は…そう。頼んだ…」


 男は点検口を元に戻し、脚立を担いで三階売り場を後にした。




 

今回は王道です。


元凶や原因なども書きましたが、蛇足と思い、消しました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。