◆1 深夜発報
ビーッ!ビーッ!ビーッ!……
扉の向こう側。
磨りガラス越しに明かりの漏れる隣室では耳障りな音が響き渡り、此処まで届く。
「鷹梨先輩!いつものです!」
「…ああ、わかった。今、行く……」
「お手数お掛けします。宜しくお願いします!」
「…おぅ…」
深夜2時15分。
埼玉県にある某商業施設の防災センター警備室で深夜勤務をしていた新人の酒山警備員が、仮眠室に飛び込んで来た。
仮眠中だった鷹梨警備員は半覚醒状態で起き上がる。
欠伸をしながら目を擦り、椅子に掛けてあった自分の制服に手を伸ばした。
横の棚に置いてあった白い小箱を手に取り、中から小型の茶色い機械を二つ取り出し、両方の耳の中に押し込む。
綺麗に刈り上げた己の後頭部を左手で撫でながら、制帽を目深に被り、鏡の前に立った。
「ふぅ…。よし!行くか!」
そう独り言ちて、仮眠室の扉に手を掛けた。
◆
『俺が行く』
その言葉を聞いた酒山警備員は胸を撫で下ろしながら防災センターに戻り、警報盤のスイッチを操作して警報器を停止させた。
仮眠室から出てきた鷹梨警備員。
年齢は40歳前後。
背丈は170未満。大柄とは言えないが、肩幅が広くガッシリとした身体つき。
色黒の肌、筋肉質な背中、太い首。警備員というより、肉体労働者の様。
警備員の制服がそれらを覆い隠しているが、生地が引っ張られ、隠しきれていない。
対する酒山警備員は色白の痩せ型。
年齢は20代前半。
背丈は鷹梨警備員より頭一つ以上高いのだが、痩身、撫で肩の所為で、彼よりも小さく見える。
酒山警備員は、まだ大学生。
本来、警備のパートタイム勤務者は深夜作業が出来ない。
だがしかし、今は学業との兼ね合い、加えて今後の可能性のひとつとして、表向き『試用期間』という体で雇われている。
実際は就職の為に…というより、今はお金の為。
深夜勤務は稼げる。奨学金返済を早く済ませたい。
彼にとって此処は、一石二鳥にも三鳥にも成る仕事。
彼は己から言い出して、此の時間帯を希望した。
一般的な警備員の深夜勤務は、商業施設の閉店作業、所定時間での深夜巡回、発報時の現場確認、開店前のトラック搬入路の解放等など。意外とやる事は多い。
しかし、それ以外の時間は仮眠しても、勉強しても、ゲームしていても構わない。なので、結構人気のある時間帯でもある。
但し、此処の商業施設の深夜勤務を除いて…だが。
◆
「いつも…すいません…」
「気にするな。もう…15年だ。
こういうのは慣れてる俺に任せておけば良い」
酒山警備員は申し訳無さそうに頭を下げる。
鷹梨警備員はそれを手で制し、ニカッと笑って白い歯を見せた。
酒山警備員は、警備日報の横に置いてある参考書とノートを閉じて、点滅している警報盤のランプを睨んだ。
赤く明滅するランプの下には『3-c』の文字。
この商業施設の三階北側通路にある、女子トイレ前のセンサーが熱源を捉えた事を意味している。
警報器は停止させているが、警報盤のランプはまだ消さない。
深夜勤務している警備員が現場確認をした後に、相方の警備員が警報盤を操作して消す…という手順が定められているから。
鷹梨警備員の『任せておけ…』は、その『現認』を酒山警備員の代わりに行ってきてくれる…という意味だ。
「やっぱり、まだ怖いのか?」
「はは……」
鷹梨警備員が警棒と無線機を身に着け、現認の準備をしながら、酒山警備員に訊ねた。
酒山警備員は乾いた笑みを浮かべ、ハッキリとは答えなかった。
此の商業施設の深夜勤務担当は、とある二名を除いて長くは続かない。
理由は複数あるが、その中に、一般的に言われる様な問題は無い。
人間関係は良好。給与も良い。
待遇も問題なく、試用期間者にも有給休暇が有る。
端的に言って、かなりホワイトな職場だ。
なのに続かない。
この商業施設、この深夜帯特有の問題の所為で。
問題の一つが…
「今日の閉店作業時にですね…」
酒山警備員は言葉を濁す。
「…黒いワンピースの女?」
「はい…」
閉店作業時に時々目撃される『黒いワンピースの女』。
作業をしている警備員は、時折、三階女子トイレ前で怯えている女性客に会う事がある。
理由を訊ねると、ほぼ必ず『黒いワンピースの女』の話を聞かされる。
「トイレに行こうとして…」と、女性客達は震えながら口を開く。
閉店作業中だけど入っても大丈夫かな…?と、トイレに近付くと、背の低い『黒いワンピースの女』が自分達より先にトイレへと入って行く。
ああ!まだ大丈夫みたい!…と思って、彼女の後からトイレに入ると其処には誰も居ない。
幽霊を見たかもと、怯えている女性客達。
その場合は、宥めて下のフロアへ案内するか、退店を促す為に出口まで付き添わなければならない。
「運悪く、今日はその対応したもので…」
色白の顔を更に白くして小さく呟く酒山警備員。
今発報している場所は三階女子トイレ、『3-c』。
「仕方無い。お前は此処で対応してくれ」
「すいません……」
鷹梨警備員は幽霊話を馬鹿にしない。
開店当初から15年も深夜勤務を専任しているベテラン。
幽霊が出ようとも気にせず、淡々と仕事をこなす。
「それに先日、件の異音が。日報に…」
「ああ、それも読んだ。…まぁ、いつもの事だ」
二つ目の問題が『異音』。
件の三階北側女子トイレ、更に、その下階の女子トイレ。
そこでは異音が鳴る…と、噂されている。
時間は不定期だが、静かな深夜には良く響く。
カーン…カーン…カーン…だの、コン…コン…コン…だの。
人によっては聴いたことがないと言う。
毎晩聴こえると言う者も居る。
実は、酒山警備員も聴いている人間の一人。
「鷹梨さんは、異音は…」
「ああ?聴いたことないねぇ。だって俺、コレだからな」
そう言って彼は、自分の耳の中に入れた機械をコンコンと軽く叩いた。
茶色い小さな機械。
生まれつきではなく、前の仕事中の事故で難聴を患った。
その為、此の職場に転職したとの話。
だから仕事中は補聴器を使用している。
「音が怖けりゃ、スイッチ切れば良いんだよ」
「…バレたら主任に怒られません?」
「クロちゃんか?
知ってるよ。けど、何も言わねぇ。
…アイツ、実はビビリだからな。深夜勤やらねぇんだ」
黒山警備主任をアイツ呼ばわり出来るのは、鷹梨警備員がこの商業施設で最古参だから。
その主任も、異音の事も幽霊の噂の事も、当然知っている。
彼の口癖『現認大事!』。
しかし、何かあった時の現場確認は他の者にやらせるくらいに、肝が小さい。
だから実際に担当している深夜勤務者達、特に、ベテランの二人には何も言えない。
「あ…すいません、そろそろ…」
「駄弁り過ぎたな、行ってくる。
センサーと照明操作は警報盤で頼むわ。
鍵は持ってくが、暗い中でのボックス作業は面倒だから」
「了解しました!」
鷹梨警備員はマスターキーを腰に引っ掛け、懐中電灯を片手に、警備室の出入り口に向かった。
三つ目の問題は、今起こっている此の事。
毎晩必ず決まった時間に鳴る、原因不明の『深夜発報』。
午前2時15分に3-c。三階北側女子トイレ。
午前4時45分に2-c。二階北側女子トイレ。
決まった時間に鳴り響き、仮眠中に起こされる。
コレが開業当初より15年間。毎晩。
定時の深夜巡回は、深夜0時と午前5時の2回。
本来ならば、0時の巡回が終われば仮眠出来る。
朝の搬入路開放前の巡回までは自由時間。
午前4時45分の発報は、規定の5時巡回と被るし、目覚ましになるので大して問題ではない。
しかし、午前2時15分の3-cの発報は完全に時間外。
原因不明なのも相まって嫌がられるし、幽霊話や異音等と関連付けて怖がる者も居る。
黒山警備主任は、数度の深夜勤務で音を上げた。
「…防犯カメラには、相変わらず何も映ってない…」
酒山警備員は、発報範囲内を映せる防犯カメラを操作しつつ、鷹梨警備員が現場前に到着するのを待つ。
ザザッ…ザー……
暫く後、警備室に置いてある無線の親機に通信が入る。
『こちら鷹梨。これから売り場に入る。スイッチ宜しく』
『了解しました!』
酒山警備員は警報盤のランプを見ながら操作する。
従業員扉の開閉センサー、女子トイレ周辺の熱源感知センサーを切って、照明を入れる。
『切りました。入れます!』
『照明…確認。売り場に入る』
すぐ横の親機から、鷹梨警備員の声がセンター内に響く。酒山警備員は安堵の息を吐いた。
「今日は興呂木先輩と…じゃなくて良かった…」
酒山警備員は防災センターの中で一人、小さく呟いた。
溜め込んだ僅かな不満を、他人に聞かれない様に気を付けながら。




