第9話 再会
「え、え、エリスさん…?」
勉強部屋のいつもの椅子から立ち上がり、ぽかんと口を開けたユージアルに、あたしは穏やかに微笑む。
「こんにちは。あの時以来ですね」
「あ、は、はい、こんにちは…!」
ユージアルは顔を赤くし、それから慌てて髪やら服装やらを整え始めた。
「やべ、寝癖が…!」とか言っているが、あんたのその癖毛は生まれつきだろうが。
今日のあたしは若い方の姿、つまりエリトリットの弟子エリスだ。計画通り、ユージアルの家庭教師をやるためにゲータイト伯爵邸にやって来たのである。
ちなみに伯爵との面接は先程済ませて来たが、ごく普通に得意教科やら趣味やらを訊かれただけで特に問題なく終わった。
ただ一人、何も聞かされてなかったユージアルだけが慌てている。
「な、なんでエリスさんが?一体どういう事だよ、ババ…じゃなくて、先生」
「この娘に会わせてくれって言ったのはあんただろう。約束通り、連れてきてやったよ」
あたしの隣で答えたのは、変化の首飾りを着けエリトリットの姿をしたハロイスだ。
さすがに最初くらいは同席しておかないとまずいだろうから、頼み込んで代役をやってもらっている。
他に頼める人間などいないし、ハロイスはあたしの事をよく知っているから適任だ。今の所、特に違和感なく演技してくれている。
「…実は先生は最近少し忙しくて、あまり体調も良くないんです。だからこれからは、弟子の私が主にユージアルさんの家庭教師代理を勤めさせていただきます」
「え…ババアの代理?エリスさんが俺の、家庭教師…!?」
「はい。授業の範囲については予習してきましたので、ご安心…」
「ぃやったーー!!!!!」
あたしが言い終わるよりも先に、ユージアルは文字通り飛び上がって喜んだ。
16にもなってこの落ち着きの無さよ…。やる気はありそうだから良いけどねえ。
ユージアルは何やらガッツポーズを取っていたが、はっと気付いたようにハロイスの方を見る。
「…でも、ババア具合が悪いのか?大丈夫か?」
「ああ、大した事はないから安心おし。今日は後ろで見てるだけにさせてもらうけどね」
「そうか…。ならいいけどよ」
ユージアルはちょっとホッとした顔をした。
それから、「…で」とあたしの後ろを睨みつける。
「何でセピオまでここにいるんだよ?」
そう突っ込んだのは、案内のセピオがいつもの騎士服ではなく、私服に眼鏡という姿で来ているからだろう。
手にはしっかりと筆記用具まで持っていて、どう見ても勉強スタイルである。
「もちろん、授業を受けるためですが?近頃僕も学力が低下してきたような気がするもので、ご一緒させていただこうかと」
「お前もうとっくに学院卒業してるんだから勉強必要ないだろ!俺を見張りに来たって正直に言えよ!」
「おや、バレてしまっては仕方ありませんね。では正直に申し上げますが、ユージアル様がエリスさんに不埒でいかがわしい真似をなさらないよう、見張りに参りました」
「いやもう少しオブラートに包めよ!?」
クイッと眼鏡を持ち上げ平然と答えたセピオに、ユージアルが顔色を赤くする。
「正直に言えと言ったのはユージアル様ですが?」
「もっと何か言い方があるだろ!!それじゃ俺がこう、や、やらしい事とか考えてるみたいじゃねーか!!」
「しかしユージアル様はエリスさんに異常な興味をお持ちだと…」
「誰が異常な興味だ!!!俺はただ、エリスさんにこの前をお礼をだな…!」
そう言いかけて、ユージアルはハッとして自分の口を押さえた。
「ああ、ユージアル様が一人で下町をうろついていた件なら、先生からお聞きしていますよ」
「ば、ババア!!」
「別に口止めはされてなかったからね」
あたしの姿のハロイスが肩をすくめる。妙に堂に入った演技だが、この爺役者の才能でもあるんじゃないか?
ユージアルは「このババア…!」と睨んでいたが、あたしの呆れた視線に気付くと慌てて居住まいを正し、向き直った。
「…あの、この前は、本当にありがとう。エリスさん」
礼儀正しく丁寧な所作で頭を下げたユージアルに、セピオが少し驚いたような顔をする。
「あの時も言いましたけど、私はちょっと手助けしただけです。あの男を倒したのは、あなたの実力ですよ」
あたしは首を振って言った。
感謝されて嬉しくない訳じゃないが、それよりもユージアルには自信を持って欲しいのだ。
あの時と、それから先週も。ユージアルが一瞬見せた暗い目を見て思った。
この小僧は本当は、ただ自分に自信がないだけじゃないのか。
失敗するのが怖いから、わざと本気を出さないで不真面目な態度ばかり取っているんじゃないのか?と。
「でも俺、あの時エリスさんに『胸を張れ』って言って貰えて嬉しかったんだ。俺は誇るべき事をやったんだって…そんな事言われたの、初めてでさ。…だから、ありがとう」
…どうやらあたしの言いたい事は、こいつにちゃんと伝わっていたらしい。
うつむかずに礼を言うユージアルに、あたしは小さく微笑んだ。
「あなたは本当に立派な騎士でしたよ。その心を、これからも失わないで下さいね」
「は、はい…!!」
まーたキラキラした目をしてる…。
あんまり「エリス」に興味を持たれても困るんだけど、これで小僧が自信を持ってくれるなら、まあ良いかねえ。
やっぱり若者は、前向きでいるのが一番良い。
さっきまでは不信の目を向けていたセピオも、珍しく真面目な態度に感心したのかすっかり大人しくなってるし。
「…あっ!あと、エリスさんに一つ訊きたい事があるんだけど」
「何ですか?」
笑顔で尋ね返したあたしに、ぐいっとユージアルが迫ってくる。
「あのさ、エリスさんって、恋人いないって本当!?」
「…やっぱり、ユージアル様はユージアル様でしたね…」
眉間を押さえながら、セピオが呟いた。