第8話 テストと提案(後)
授業後に部屋を出ると、すぐにメイドが迎えに来た。
約束通りセピオが待ってるんだろうと思ったら、案内されたのはゲータイト伯爵の執務室だった。
どうやら伯爵もユージアルの突然の異変について知りたがっているらしい。あたしも伯爵に話をしたかったので丁度良かった。
中に入ると、やはり伯爵とセピオが待っていた。
ゲータイト伯爵は濃茶色の髪を丁寧に撫でつけた、いかにも紳士という感じの落ち着いた男だ。まだ伯爵位を継いで数年だが、なかなかのやり手だと評判である。
ちなみにユージアルは母親似らしく、伯爵とはあまり似ていない。
「まずは座ってくれ」と言われ、あたしはソファに腰掛けた。
てきぱきとメイドがお茶を淹れ、目の前に静かに置いていく。
「ご無沙汰しております、伯爵」
「エリトリット殿、息子がいつも世話になっている。…早速だが、聞かせてもらえないだろうか。先週から、ユージアルの様子が随分変わったと聞いたが」
「ええ、それなんですが…」
「…という訳で、ユージアルはあたしの弟子のエリスに興味があるらしいんですよ」
「ふうむ…。そういう事だったか」
あたしは、下町での出会いからの一連の話を全て話した。もちろん弟子のエリスからの伝聞という形でだが。
伯爵とセピオは呆れ半分納得半分の何とも言えない顔をしている。
「まあ興味と言っても、一時の気まぐれでしょうがね。若い時には誰でもかかるはしかみたいなもんです。…でも、あたしはこれを利用できると思ってる。今日ユージアルは、あたしの作った数学のテストで90点を取りました。驚くべき進歩です。上手くやれば、このままあの子のやる気を引き出し続けられるかもしれない」
「…上手くとは、具体的にはどのように?」
尋ねたのはセピオだ。この男は、ユージアルの集中力を維持させるのがどれほど難しいか誰よりもよく知っている。
あたしもまたそれを知った上で、先週から考えていた作戦を提案した。
「…あたしはエリスに、ユージアルの家庭教師をやらせてみたいと思ってます」
「ほう…?」と、伯爵がわずかに目を瞠る。
これはあたしにとっては一石二鳥の作戦だ。
変化の首飾りの貸与期限は半年。誰かに正体がバレる前に王都を離れたいあたしとしては、できるだけ早くユージアルの成績を上げたい。
そうして勉強の意義や面白さを教え、今後も成績を維持する土台を整えるのがベストだ。
エリスを使えばユージアルがやる気を見せるのは今日ので証明されたし、「エリスに会わせる」という約束だって守る事ができる。
…正直あたしは、プライベートで「エリス」としてユージアルに会うなどまっぴら御免なのだ。
ユージアルはこの家の跡取り、将来はどこぞの良家のお嬢さんを妻に迎え伯爵となる人間だ。身分が違う魔術師の女など、遊び相手かせいぜい愛人がいい所だろう。
身分を与え正妻にする手段もある事はあるが、あたしは当然、そんなつもりなど一切ない。
まああの小僧はそこまで考えていないだろうが、しっかり距離を保っておくに越したことはない。もし傷つけることになったら可哀想だ。
「家庭教師と生徒」という立場は、その点でぴったりなのだ。
「エリスは今19歳ですが、地元の学校じゃ常に上位で、優秀な成績を収めてました。少なくとも学院の1年生程度の勉強や魔術を教えるのに何の支障もない。あたしが保証します」
説得力を持たせるために年齢は少し上…一般的な学校を卒業済みの歳にしておいたが、それ以外は別に嘘じゃない。
あたしは実際、学生時代はとても成績が良かった。だから今もユージアルに魔術以外の勉強まで教えられているのである。
「もちろん毎回って訳じゃありません。あたしも時々様子を見に来るし、進捗具合も細かくチェックして、ちゃんとやっているか監視するつもりです。…いかがですか?」
伯爵は「ふうむ」と少しの間考え込むと、あたしに尋ね返した。
「エリトリット殿の推薦ならば、問題ないだろうとは思うが…。そのエリスとは一体どのような女性なんだ?」
「少々気が強い所もありますが、しっかり者ですよ。今はあたしの家に住み、あたしの世話もしてくれてます。将来はブロシャン領あたりで魔術師として生計を立てたいそうです」
これも嘘ではない。ブロシャン領はあたしの隠居先の候補の一つだ。
この国でも王都の次くらいに栄えている場所であり、しかも魔術の聖地とも呼ばれるほどに魔術師が多く住んでいる領だ。
隠居先としては少々賑やかすぎる気もするが、魅力的な土地なのは間違いない。
「魔術師をやれるだけの魔力の持ち主か。親戚と言っていたが、どこの出身なのかね?」
「グロッシュラー子爵家の縁者です。身分は平民ですがね」
グロッシュラー家はあたしのお祖母様の家だ。あたしは実家とは縁を切っているが、この家とは悪い関係ではない。
伯爵もわざわざ身元調査まではしないだろうし、今回は名前を使わせて貰うことにする。
「ユージアルが興味を持つくらいの美人なのだろう?結婚は?恋人は?」
「未婚ですし恋人もいないそうですが…」
「ふむ、なるほど」
伯爵は何やら考えている顔だが、おいおい…。勘弁しとくれよ。
良い相手がいるのにわざわざ王都に来て魔術師に弟子入りというのもおかしな話だろうと思ったのだが、恋人がいる設定にしておいた方が良かったか。
「言っておきますが、あたしはあの娘を立派な魔術師にするつもりですよ」
「それを決めるのは本人だろう?」
「そりゃそうですが、あたしにとっちゃ大事な弟子ですよ。例えばどこかの貴族のドラ息子と一緒になりたいなんて言い出したら、反対するでしょうね」
「ドラ息子か…耳が痛いな」
伯爵はため息をついた。息子の嫁探しも伯爵にとっては頭の痛い問題なのかもしれない。
まあ、あたしには関係ないがね。
そもそもあたしは貴族自体好きじゃない。ユージアルの家庭教師を引き受けたのはゲータイト家とちょっとした縁があったからで、伯爵だってその事を知っている。
「…えー、それでですね。まずは一回エリスに授業をやらせて様子を見てみようかと。もちろん、上手く行かないようだったら元通りにあたしが家庭教師をやりますよ」
「良いだろう。では早速、来週にでも来てもらおうか」
伯爵はあっさりと許可を出した。
セピオは何やら複雑な顔をしているが、反対する程でもないようだ。
思ったよりもずっとすんなり話が進んで拍子抜けだが、二人もそれだけユージアルの成績に危機感を覚えていたという事だろう。
そりゃ、学年で下から2番めじゃねえ…。
「ただ、授業前に一度私の執務室に寄ってくれ。その娘と少し話がしたい」
「承知しました」
息子の勉強を任せるんだから、面接くらいは当然しておきたいだろう。
これは少し細工が必要になりそうだね…と考えかけ、あたしは二人に訊きたい事があったのを思い出した。
「ああ、それと、一つ尋ねたいんですが」
「何だね?」
「ユージアルが平日に一人で下町を歩き回ってた件についてです。…一体何でそんな事をしてたのか、伯爵はご存知で?」
息子が護衛も使用人も連れずにほっつき歩いていたっていうのに、伯爵はそれほど驚いた様子はなかった。原因に心当たりでもあるのか。
またあんなチンピラに絡まれるような事はそうないとは思うが、放っておいていいのかと少々気になる。
すると伯爵はちらりとセピオの方を見て、その意を汲んだセピオが口を開いた。
「実はユージアル様は、学院でご学友とあまり上手く行っていないご様子なのです。恐らくそれが原因かと」
「…学院や寮には居辛いから、それで下町なんかをフラフラしてるって事かい?」
「いつもという訳ではありません。門限を破ったりもしていないようですし…」
ならもしかして、あのサボりたがりが毎週日曜にちゃんと屋敷に帰って来てるのも、そのせいだったりするのか。
上手く行っていないというのは随分と曖昧な表現だが…。恐らくとも言っているし、ユージアル本人ではなく別の誰かから聞いた話なのかもしれない。
思わず伯爵の方を見たが、表情の読めない目で見返されただけだった。
親として、この件について特に口を出すつもりはないって事か。
ユージアルも伯爵家の跡取り、学院でのトラブルくらい自分で解決するべきだ…って所かねえ。
そして学院内の話となれば、家庭教師のあたしが口を挟むような問題でもない。
とりあえずその話は、あたしの胸にしまっておく事にした。




