第27話 濁流からの救出
魔術を解除し目を開くと、すぐに後ろを振り返った。
「ユージアル!大丈夫かい!?」
「かすり傷だってば」
「だけど、血が」
服の袖が裂けて血が滲んでいる。折れて飛んできた枝が当たったせいだ。
「治療は後でいいよ!それより、アンディを見つけたんだろ?早く行かないと!」
「…ああ、こっちの方角だ」
あたしは水路の上流の方を示した。
皆、アンディが流されたのかと思って下流の方ばかり探していたから見つからなかったのだ。
「セピオ、お前は他の人にこの事を知らせろ!俺はババアと一緒に行く!!」
「分かりました!」
「ババア、乗れ!しっかり掴まってろよ!!」
「ああ!!」
ユージアルに背負われ、杖の先に灯した明かりで前を照らしながら周囲に防壁を張る。
大雨で足元が悪いというのに、走るユージアルは驚くほど速い。身体強化がすっかり上手くなっている。
…こいつ、この短い期間で本当に頼もしくなったねえ。
「…いたよ!!あそこだ!!」
あたしは明かりを飛ばして水路の中を照らした。
2つの流れが合流する場所、そこに設けられた古びた鉄柵の所に小さな頭が見えている。
肩まで水に浸かっているから、水深は1メートルちょっとくらいか。
どうしてこんな所まで来て水路に落ちたのかは分からないが、鉄柵に引っかかったお陰で何とか流されずに済んだのだろう。
「アンディ!!」
名前を呼ぶと、アンディはわずかに顔を上げた。
良かった、大分弱っているように見えるが、意識はあるようだ。
しかし流れがあまりに激しいせいで、身動きが取れずにいるらしい。
「早く助けないと…」
「ババア、あれを見ろ!!」
ユージアルが叫んで上流を指差した。
激しい風雨の中、水路際に植えられた木が大きく傾いてせり出し、今にも倒れそうになっている。
…何て事だ。あの木が倒れて水路に落ちたら、アンディは流木と鉄柵の間に挟まれてしまう。
それに、鉄柵はかなり錆びている。流木の衝撃で壊れて流されたりしたら、もはや助からない。
今すぐに救い出さなければいけないが、どうする。
アンディの所までは数メートル、とても手が届かない。魔術で水を操ろうにも、これほど激しい流れではとても操りきれない。
考え込んだあたしの肩を、ユージアルが掴んだ。
「俺が行く!!」
「一体、どうやって」
「水路の中に入ってだよ!!他にないだろ!!」
…確かに身体強化があれば、あの濁流の中でも鉄柵伝いに何とか動けるだろう。
だが…。
「大丈夫だ、ババア!!俺は必ずやってみせる!!」
迷うあたしに、ユージアルはきっぱり言い切った。
根拠のない自信。…いや、違う。
これは決意だ。
「…分かった!」
不思議だね、この目を見ていると、つい信じたくなっちまう。
それに、迷っている時間はない。事は一刻を争う。
「水流に干渉して、できるだけあんたの周囲の流れを弱める。だが、あくまで少しだけだ。十分に注意しな」
そう言いながら、あたしは懐からハンカチを取り出し、ユージアルの腕の傷に巻き付けた。
気休めだが、傷口を剥き出しにしているよりはマシだろう。
「これ、エリスさんのハンカチだ。使ってるの見た事ある」
「え?ああ、間違って持って来ちまったかもね」
「エリスさんが付いててくれるみたいで良いな。…じゃ、行ってくる!!」
水路の中に入ったユージアルが、鉄柵に掴まりながら進んでいく。
杖をかざしてその周囲の水流を操るが、重い。わずかに干渉しただけでも凄まじい水圧を感じる。
こんな中じゃ子供のアンディが動けないのも当然だろう。
ユージアルはアンディの所に辿り着くと、水音に負けない声で話しかけた。
「アンディ、しっかりしろ!!今、岸まで連れてってやる!!」
アンディは小さくうなずいたようだった。
その肩をしっかりと抱え、岸に向かって進み始める。
…このまま無事に戻ってきてくれ。
そう祈った時、遠くからバキバキと何かが折れる音が聞こえた。
「……!!」
はっとして上流を見る。水しぶきと濁流の中に飲まれる木。
水路際のあの木がついに倒れ、水の中に落ちたのだ。
この流れの速さ。数秒後にはもう、流木が2人にぶつかってしまう。
「ユージアルっ!!!!」
叫びながら、全力で2人の前に防壁を張る。
…次の瞬間、轟音と共に流木が激突した。
「くぅっ…!!」
歯を食いしばり、必死で防壁を維持してその圧力に耐える。
絶え間なく叩きつけられる水流。押し付けられる流木。
重い。重すぎる。とても支えきれるものではない。
だがもし防壁が破られれば、流木は2人に当たり、鉄柵はきっとその重みに耐えきれずに壊れる。
驚きで一瞬動きを止めていたユージアルが、慌ててまた動き出す。
頼む、急いどくれ。
水圧に防壁が軋みを上げるが、最大の魔力を注いでそれに抗った。
重い。だが保たせる。
絶対に2人を守ってみせる。
あたしの魔術は、人を助ける為にあるんだ。
ユージアルが必死の形相でアンディを岸に押し上げる。
もう少し。もう少しだ。
「ああああああっ…!!」
岸の上にユージアルが這い上がった瞬間、防壁は甲高い音を立てて粉々に砕け散った。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…!」
荒い息と共に、その場にがっくりと膝をつく。
苦しい。こんなにも消耗したのはいつ振りだろう。
耳鳴りの向こうに、激しい水音と誰かの声。
「……ババア!!大丈夫か!?」
「ユージアル…、良かった、2人共無事かい…?」
助け起こされたあたしは、ほっとしながら顔を上げた。
その途端、ユージアルがぎょっとしたように硬直する。
「エリスさん…!?」
「えっ…」
あたしは慌てて地面についた自分の両手を見た。
泥で汚れた、皺のない白い手。
…エリスの手だ。
『その変化の効果は平静にしている時だけだ。お前さんが大きい魔術を使おうとすれば魔力が乱れ、幻影が解けて元の姿が見えてしまう。十分に気を付けるようにな』
ハロイスの言葉が脳裏に蘇る。
全力で防壁を張ったために、変化の首飾りの効果が解けてしまったのだ。
「え…どういう事?なんでエリスさんが?ババアは…?」
「……」
…一体なんて答えればいいのか。
ただ呆然とするあたしの後ろから、いくつもの足音と、あたし達を呼ぶセピオの声が聞こえた。




