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第25話 嵐の到来

「わっ…!」


 いきなり吹き付けた強風に、あたしは慌ててスカートと髪を押さえた。

 見上げた空は薄曇り。だが、やたらと風が強い。

 嵐が近付いているのだ。


 剣術道場の門をくぐると、慌ただしく行き来をしている者がいていつもより少し騒がしい。

 奥に入った所でセピオの姿を見つけた。すぐにこちらに気付き、歩み寄ってくる。


「エリスさん。今日も来てくださったんですね」

「ええ。大変そうですね」

「今回の嵐はかなり大きそうですからね。12年前の大嵐を超える規模だという予測なので、皆で準備に追われている所です」


 この国は初夏のこの季節によく嵐が来る。

 雨よりも風が強いのが特徴で、木や建物が倒壊したり、物が吹き飛ばされる被害が出やすい。

 内陸にある王都にはそれほど大きな被害が出ない事が多いが、それでも10年に1度くらいは大規模な嵐に襲われる。

 なので、嵐が来そうな時は窓に板を打ち付けたり、植木鉢などを家の中にしまったり、窓や屋根に補強の魔術をかけて回ったりして皆で備えるのだ。



「ユージアルさんは?」

「今日も稽古をしていらっしゃいます。武芸大会は2日後ですからね。でも、あまり荒れないうちに早めに切り上げて寮に帰って頂く予定です」


 それがいいだろう。嵐のピークは恐らく今日の深夜から明け方にかけてだが、遅くなれば危ない。

 2日後にはもう嵐は去っているだろうから、武芸大会の日程には影響ないだろうし。


「良ければ、私も補強の魔術をかけるのに協力しますよ。未熟ですが、今夜一晩くらいは十分保ちます」

「それは有り難い。実はユージアル様の提案で、ここに門下生とその家族を避難させる事になりまして」

「そうなんですか」


 王都内は今たくさんの魔術師があちこちに補強の魔術をかけて回っているだろうが、とても全てには手が回らない。

 魔術師の当てがない家や古いアパートに住む者たちなどは、教会や集会所などの大きな建物に避難する事になるのだが、当然かなり混雑する。


 この剣術道場はゲータイト家が経営しているだけあってかなり丈夫そうな造りだし、少人数の避難所として十分に使えるだろう。

 しかし、ユージアルがそんな提案をするとはねえ…。

 少しは次期伯爵としての自覚が出てきたって事かね。


「一度稽古場に顔を出しましょう。その後で、補強をかけて頂きたい場所に案内します」

「分かりました」




 ユージアルを激励してから道場内のあちこちに補強の魔術をかけ、あたしも早めに帰宅した。

 一度家に入って変化の首飾りを身に着け、エリトリットに変身してから外に出る。


 夕方になるにつれてますます風が強くなっていて、近所の住人たちもそれぞれ嵐に備えて物を片付けたり、家の中に篭ったりしているようだ。

 あたしはまず、庭の掃除をしている隣の住人の男に声をかけた。


「やあ、大変そうだね。補強の魔術は必要かい?」

「ああ、エリトリットさん、良かった。窓が不安なんだ、お願いできるかい?」

「もちろん。あんたん家にはよくおすそ分けを貰ってるしね」

「助かるよ、こっちだ。それと、向こうのデンスの家が、ロバ小屋の補強を頼みたがっていたよ。後で行ってやってくれないか?」

「分かったよ」


 こういう時に近所の家に魔術をかけて回るのも、魔術師の務めだ。

 近所の者達は老人の一人暮らしであるあたしに普段から何かと親切にしてくれているが、それはいざという時にあたしの魔術が役に立つからでもある。

 持ちつ持たれつ、助け合いの精神だ。


 あまりに大きな災害が予想される時は王宮魔術師として城に召集されたりもするが、今回はそういう要請は来ていない。

 まあ、引退しているも同然のあたしまで呼び出すとなったらよほど切迫した状況だ。声がかからないのは喜ぶべき事だろう。


 近所を一周りした所でゴロゴロと雷が鳴り、いよいよ雨が降り出した。

 急いで家に戻り、しっかりと扉を閉める。この家の補強は既にやってあるので問題ない。

 ガタガタと揺れる窓には雨粒が叩きつけられている。やはり、かなり大きな嵐だ。

 …あまり被害が出ないと良いんだけど。




 夕食を済ませた後は早めにベッドに入ったけれど、雨風の音がうるさくてなかなか寝付けない。

 何度も寝返りを打ちながらウトウトしていると、夜半過ぎにドンドンと家の扉を叩かれた。


「婆さん!エリトリット婆さん、起きてるか!大変なんだ!」


 こんな事もあろうかと、すぐに外に出られるよう用意はしてある。

 あたしは「起きてるよ!」と返事をしながら変化の首飾りを身に着けてローブを羽織り、杖を掴んで玄関に向かった。

 扉を開けると、全身が濡れた若い男が立っていた。近所に住んでいる青年だ。


「どうしたんだい?」

「ジョンの家の庭木が倒れて、窓に突っ込んだんだ!割れたガラスで家族が怪我をしてる」

「分かった。すぐに行こう」

「背負って行くかい?」

「いや、大丈夫さ。新しい義足の調子が良いんだ。あんたの後ろに付けば、小走りくらいでなら行ける」

「そうか、足元には十分気をつけてくれよ」


 雨風避けに周囲に防壁を張りながら、青年の後ろを小走りで付いて行く。

 風がとにかく強いが、雨も結構酷い。それに時々雷が落ちる音がする。結構近い。

 さっさと済ませて安全な場所に避難したい所だが…。



 青年が向かったのはジョン一家の隣の家だった。激しい物音に気付いて助けに行き、何とか怪我人を運んできたらしい。

 中に入ると、ジョン夫婦とその子供がベッドに横たえられていた。特に父親…ジョンの傷が深そうだ。

 隣家の男がジョンの右肩に必死で布を押し当てているが、既に血で真っ赤に染まっている。


「大体がガラスによる切り傷みたいだ。とりあえず、目に見える破片は取り除いてある」

「分かったよ。まずはジョンから治療する。他の二人はもう少し待ってておくれ」


 励ますように声をかけると、妻と子供は苦しげにしながらもうなずいた。


「まず魔術で傷の具合を見てから治癒をかける。あたしが合図をしたら、傷を押さえている布をどかしておくれ」

「ああ」

「それじゃ、いくよ!」


 慎重に探知魔術をかける。ジョンはガラスの破片を浴びていて、万が一にも体内にそれが残っていたらまずい。

 全身くまなく探知したが、刺さっているのはごく細かい破片くらいのようだ。これなら問題なく治療できる。

 この破片は一旦後回しにして、先に肩の傷だ。隣人の男に合図をし、傷口が露わになると同時に治癒をかけ始める。


『慈愛の女神よ、傷付き倒れたる者に安らかなる癒やしの光を』


 傷を癒やすと同時に鎮痛の効果もある魔術だ。

 じわじわと傷が塞がり、苦痛に歪んでいたジョンの顔がだんだんと和らいでいく。


 出血は多いが、傷自体はそこまで深くないようだ。

 あたしは医術師のハロイスほどには治癒魔術が上手くない。傷を完治させる事まではできないが、これならとりあえずの所は大丈夫だ。

 ジョンはまだ若いし、きっと早く回復するだろう。

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