柳川の偉人北原白秋先生
誕生日が一日違いなんです。
川下りのガイドには、かかせない柳川の偉人は、北原白秋先生でございます。
その実、私はよく知りませんでした。
有名な詩人?って、ぐらいのイメージですね。
で、船頭に転職する前に、白秋の半生を描いた「この道」という映画を観に行きました。
・・・ん?思っていたのと違う。
頭に思いついたのは、「天才バカボン」などの作者赤塚不二夫です。
ああ、これっ個人的な主観ですからね、なんか、そう思っちゃったんですよ。
酒好き、女好き、不思議ちゃん(笑)。
「なのだ~」と言ってそう(笑)。
船頭の仕事をはじめてから、北原白秋の偉大さは感じるのですが、何を成して、どんな人物だったのか知ろうとしていませんでした。
・・・深掘りって訳ではなく、今回はざっくりと。
では、ウィキなんか読みつつ、白秋先生はどんな方だったのか、書いていきます。
北原白秋1885(明治18年1月25日)~1942(昭和17年11月2日)
日本の詩人、童謡作家(作詞)、歌人、本名北原隆吉。
生まれは熊本県現南関町、北原家の長男、まもなく柳川市の家へ帰る。
実家は酒屋でブイブイ言わせている商家のぼっちゃん。
彼が三歳の頃、大きな存在だった乳母のシカがチフスで亡くなる。
柳川の独特で情緒豊かな掘割に囲まれた環境に育ち、文学に興味を持つ。
友人の自殺、家が大火で燃える。
1904年(明治37)まで柳川で多感な青春期を過ごす。
上京、早稲田大学英文科予科に入学、若山牧水、中林蘇水と共に「早稲田の三水」と呼ばれ、新進詩人として注目されるようになる。
のち、処女詩集「邪宗門」第二詩集、故郷柳川を思い描いた「思ひ出」刊行。
1913年初めての歌集「桐の花」刊行。
1918年「赤い鳥」の童謡、詩集を担当。有名な曲「まちぼうけ」「ゆりかごのうた」「雨」
「雨降り」「あわて床屋」「この道」「からたちの花」「ペチカ」「城ヶ島の雨」など。
その後も意欲的に作家活動を行う。
1942年没。
1943年、白秋没後、柳川の写真・詩集「水の構図」が刊行される。
驚くことに、日本最初の童謡作家なんですよね~。
波瀾万丈、浮き沈みの激しい人生だったようです。
不倫、三度の結婚と離婚、そして逮捕歴もあります。
「この道」の映画の中では自殺未遂もあったような・・・。
でも、どこか憎めない子どものような・・・映画の中では、そういった印象を受けました。
きっと、心の豊かな人ですので、いろんな葛藤や苦しみもあったと思います。
私は、白秋先生の作品、全く読んでいません。
だけど、彼のつくった童謡は小さい頃から知っているし、「この道」を歌うと、情景がぱっと思い浮かびます。
凄い方なんだと分かっていますが・・・今、一歩、興味が持てない自分がいます。
もし、作品を読んだら、とても敵わないって気持ちが消沈しちゃうかも(笑)。
では、ガイドで北原白秋先生を改めて紹介するとしたら・・・。
現在・・・柳川で生まれた北原白秋先生は、明治時代から昭和の初期まで活躍された詩人で童謡の作詞家であります。
改・・北原白秋先生は、ここ柳川で幼少期から青年までの多感な時期を過ごしました。のち詩人、歌人、童謡作家としてすぐれた作品を世にだしています。詩集「思ひ出」、歌集「桐の花」、童謡作詞においては、「この道」「雨ふり」「まちぼうけ」など有名な作品があります。活躍の場は主に東京や神奈川(小田原)でしたが、故郷柳川をこよなく愛し、自身の詩歌の母体となったとも書かれています。
白秋先生は、日本を代表する近代作家の一人で、柳川を代表する偉人です。
ですかね~まだ改良の余地はあるかも。
今回はこのくらいで。
ちょっぴり親近感。