第二十七話 英傑レオン
彼女にとっての祖父は幼いころによく遊んでくれた愉快なおじいさんである。祖父の葬儀の際はかろうじてリオナも記憶があるが、やたらと体の大きな人がやってきて、祖父の棺桶やお墓に縋り付いて号泣している記憶があり、子ども心に「私のお爺様は何をしでかしたのだろう」とおののいていた。
まさか西方で暴れまわり、英傑とまで言われた傭兵だとは思っていなかったのである。
ドゥエニャスに嫁ぎ、グラシアノとともにダンジョンに潜るようになってからはリオナも英傑レオンの孫娘と言われることはあったが、そんなに長い時間ではなかったので気にしたことがなかった。
ここはやはりお爺様に聞いた現役時代の笑える失敗談を語って聞かせるべきか。と、リオナが思っていた時だ。リオナの思考が明後日な方向に向かったのを察したのか、グラシアノは、拘束していた腕を一つとくと、リオナの髪を撫でた。
金色の糸がグラシアノの指の間をするりと通り過ぎていき、一つにまとめいた髪飾りを引き抜くと、さらさらと肩より少しだけ長い髪が広がる。そのままグラシアノが太い指からは想像がつかないほど丁寧な手つきでリオナの髪を梳くと、リオナは気持ちよさそうに目を閉じた。
獣の毛づくろいのようだな。と、グラシアノは思いながらも話す内容は別のことだ。
「あいつの場合はそれだけじゃないからな」
「?」
ぱちりと、リオナが目を開く。グラシアノは金の髪をすくいあげるようにして後頭部を掴むと、リオナの顔を上からのぞき込んだ。
「なぁ金狼姫?」
「もう姫って年じゃないんだけどなぁ」
からかうようなグラシアノの言葉に、リオナはうんざりとした顔になった。グラシアノの手を後ろ手にはたき落とす。
グラシアノとの結婚式のために伸ばしていた髪は、その後のダンジョンアタックや子育てなどで短くなったり長くなったりを繰り返しているが、背中で一つにくくり、彼女の動きにあわせて動くさまは「金狼のしっぽ」と呼ばれている。
ちなみに金色の魔獣の毛で作ったチャームがドゥエニャスの幸運のお守りと売られている。土産としてもなかなか人気のアイテムらしい。
「お爺様は金獅子だったっけか。獅子と狼だとどっちが強いんだろ」
「知らん」
そっけないグラシアノの返事に、リオナはムッとした顔でグラシアノのもう一方の腕、腹に回っていた方をはたき落とし、くるりと膝の上に乗ったまま器用に体勢を変えると、夫の太い腕に腕を絡める。
途端に、まふん。という柔らかい感触がグラシアノの胸板に押し付けられた。
「お前、またでかくなったんじゃないか?」
先ほどはでは腹に回っていた腕で今度は尻を支えてやりながら、グラシアノはもう一方の手の指でリオナの胸をつつく。リオナの目がどんよりと澱む。
かつて、胸の小ささはちょっとだけリオナにとってのコンプレックスだったのだ。姉のマリアネラはそう大きい部類ではなかったものの、女性らしいふくらみはちゃんとあった。
リオナだっていつかは姉のような女らしい体つきになるのだと、剣士としての諦めと、少女としての憧れのはざまで思い描いていたのである。
ところがどっこい、いつまでたってもリオナの身体はストーンと滑らかだった。どこかとは言うまい。鍛えすぎて脂肪分が足りなすぎるせいではないかとニアとカルメラ姫に慰められたが、腹筋が六つに分かれているベニータの女性らしい体つきに羨望の目を向けずにはいられなかった。なお彼女には「人種の差だよ」と慰められた。ちなみにカルメラ姫の胸がささやかなのも人種の差らしい。本人がそう言っていたのでそういうことなのだろう。
北にいる生き物は寒さから身体を守るために耳や首、足などの突起物を小さくして凍傷を防いでいるそうなので、間違ってはいない。
同時に体温を保つために寒冷地では体が大きくなる傾向があるためか、ソリジャ国の人々は大柄なものが多い。カルメラ姫も今ではリオナやニアよりも背が高く、ベニータと同じぐらいである。だからきっと、彼女の胸がささやかで、暑い地方である西方出身のベニータの胸がたわわなのは理にかなっているのだろう。
婚約者であったバセット王子が自分との婚約を破棄して選んだ相手が、女性らしく艶めかしい肢体の持ち主であったことはそれなりにショックだったのだ。ただリオナがそれを表に出す前に友人達や姉が「これだから男は」と思う存分憤慨してくれたので表に出すタイミングがなかったのである。
そんな風に、人知れず悩んでいたリオナなのだが、王子との婚約破棄から半年の間に尻が丸くなり、胸は膨らみ、そしてもともとのくびれはそのままに、それこそあっという間に女性らしい体つきに変わってしまったのだ。
そのあまりの変化に、「よっぽど、王子と結婚したくなかったんだね」「恋をすると綺麗になるって言うけどさぁ」と、友人たちに呆れ半分、感心半分で揶揄われたのである。ついでにグラシアノには「育てる楽しみもある」と言われてリオナは顔を真っ赤にさせた。
もちろんあまりの変化に仕立屋が悲鳴を上げ、結婚式の予定がさらに延び、その間お預けを喰らったグラシアノがダンジョンを荒らしまくっていたのだが、些細な話である。
そうしてグラシアノのもとに嫁ぎ、ともにダンジョンに潜る様になり、子供が生まれるころになると、リオナのバストサイズは結構なサイズになっていた。それについてリオナは「あればあったで邪魔」と死んだ魚のような目でカルメラ姫に伝え、彼女にコブラツイストを喰らったのである。
そのせいかどうかはわからないが、ソリジャ国ではドゥエニャスへの旅行が大人気であるらしい。エステやら宝石のアクセサリーやら植物から作った化粧品だの、女性向けの商売が急成長だとかなんとか言っていたな。と、リオナはまたそれそうになった思考を元に戻す。
「あれかな、サラシが悪いの? 押さえつけてるせいなの?」
「わからん」
少しグラシアノから体を離し、まふん、まふんと、自分の胸を掬いあげるようにしてぼやくリオナ。それをじっと見つめていたグラシアノは、背中に回った腕に力を籠め、リオナの身体を強く自分へと引き寄せた。
自分の胸を掴んでいたリオナの両腕が自分の胸とグラシアノの胸板に挟まり、リオナは身動きが取れなくなってしまう。そのまま、グラシアノのリオナの尻に回った手がさわさわとある目的をもって動き出したことに、リオナは目を細める。
「んっ、こ、こら。話はまだ終わってな……」
「レオンのことなら大丈夫だ。俺たちの息子が簡単につぶれるほどやわじゃない」
「そりゃ、そうだけどさ」
それでも心配だ。というリオナの身体をグラシアノは抱えるように持ち上げた。ぐらりと傾いだ身体を支えるために、慌ててリオナはグラシアノの首に腕を回す。
あまりにもグラシアノに抱えあげられてきたせいで、完全に無意識の行動だった。もちろん、グラシアノにとっては都合がいいので、この先も指摘してやるつもりはない。
もう一方の手でリオナの頬を包み込むようにして引き寄せ、深く口づける。最初はわずかに抵抗するかのように強張っていたからだから力が抜けたのを頃合いにグラシアノはリオナを解放した。
はふ、と、大きく息を吸う彼女の唇に舌を這わせる。それから、リオナの瞳をのぞき込む。
彼女の青い瞳に映る己の赤い瞳が欲に飢えた獣の目であることを確認しながら、グラシアノは大股で寝室へと向かう。
「というわけで、次を作るぞ」
「へ? いやなにがというわけでなの? まって、まって」
リオナの静止を求める声はグラシアノの口内に消え、分厚い扉の向こうに二人の姿が消えた後は、朝まで誰もその部屋を訪れることはなかった。
翌朝、メディニ王国の王妃であるサラ・ティーリ・メディニと現国王との間に生まれた二人の子供が、王妃の実家であるフォッソ侯爵領へと避暑に向かう際に野盗に襲われ命を落としたという一報が、ハルフテル公国、およびドゥエニャス家にもたらされ、両家が厳戒態勢に入るのだが、それはまた別の話である。




