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第二十五話 昔話に花が咲く

「しかもリオナに未練たらたらなのが見え見えなの。ほんとあの男はどうかしてるわ!」


 ニアがそう言って自分の両腕を擦る。自分から疎み、遠ざけたくせに、自分から婚約を破棄したくせに。あの男のリオナを見る目は年ごとに暗く澱み、ここ数年はニアが悍ましいと思うほどの執着心が見え隠れしていた。

 そんなニアに、ずっと妹とその婚約者の姿を見守り続けてきたマリアネラが苦笑いを浮かべる。


「まぁ、もともとバセット王は王子であった頃からなんだかんだ言ってリオナに執着してましたからね」


 リオナはどうかはわからないが、バセット王子の初恋は間違いなくリオナだろうとマリアネラは言う。どこでどう拗らせたのか、次に会う時にはすっかり捻くれてしまっていた。

 正直なところ、マリアネラにはなぜバセット王子があぁも頑なな態度をとるようになったのか、いまだ理解できないのである。

 そんなマリアネラに、ベニータはクロテッドクリームをたっぷりとつけたスコーンをつまみながら首をかしげる。

 

「執着してたにしては、なんつーか、そっけなさ過ぎやしないかい? 学園であいさつしたら用もなく話しかけるなとか言われたらしいよ?」


 ねぇ? うん。と、ベニータの確認にニアが頷く。ベニータはスコーンを口に入れた。ほろほろとした生地がクリームと混ざり合って解けていく。

 そんなベニータにマリアネラはにべもなかった。


「何を話していいかわからず慌てた結果でしょうね」

「で、殿下の言葉だからと素直に受け入れたリオナは二度と用がない時は声をかけることがなくなったのかえ?」

「そんな感じでしょうか?」


 カルメラ姫と一の姫が顔を見合わせる。ごくりとスコーンを飲み込んだベニータが紅茶を一口の見込み眉間にしわを寄せる。


「いや、いくら用がないって言っても婚約者同士なんだからさぁ。いくらでも用事ぐらい作れるだろう? それこそグラシアノ様とリオナ様は暇さえあればいっちゃ、いっちゃしてるじゃないか」


 現ドゥエニャス侯爵夫妻の仲睦まじさは、側近たちがやさぐれ、子供たちがこちらまで逃亡するほどだ。ベニータが学園ではついぞ見なかった友人の幸せそうな顔を思い出しながらそう言うと、マリアネラが深いため息をついた。


「そこがあの男がヘタレなところですよ。自分から話しかけるなと言ったくせに、自分から声をかけることもできず、そのくせなぜ会いに来ないと癇癪を起こしていたわけです」

「…………あのさぁ」


 ベニータの声が低くなってしまったのは仕方がない。ないわぁ。というように、カルメラ姫と一の姫も口には出さないものの、バセット王への嫌悪感を隠せない表情で首を振った。

 そんな彼女にニアが思い出すように頬に手を当てて目を閉じる。

 あとから入学したカルメラ姫やベニータが知らない、貴族科にいた頃のリオナを知るのは彼女だけだ。


「一応、リオナだって最初のうちは細々とした用事を見つけて殿下に声をかけていたんだよ? でもずーっと不満そうって言うか、顔をしかめてて、極めつけに用事はそれだけか? だよ。それ以上の世間話をする気が起きると思う?」

「思わないわ」

「思いませんね」

「思わないのじゃ」

「そんなこと婚約者の殿方に言われてしまったら、とても悲しいですわ」


 ニアの言葉に、ベニータ、マリアネラ、カルメラ姫がそれぞれ首を振る。最後に一の姫が悲しげに目を伏せた。彼女の場合はまだ婚約者がいないが、想像だけでもつらい。と首を振る。

 だよね。と、ニアは力強くうなずいた。リオナの場合はそれ以前からいろいろバセット王子がやらかしていたこともあり、すでに悲しいと思うことはなかったのだが、かろうじて残っていた彼への好意メーターがゴリゴリと削られていったことは間違いない。


「そうこうしているうちにカルメラ姫様がこちらに来て、リオナが魔術科に編入して、まぁそれっきり。かな。正直それどころじゃなかったしね」


 違うカリキュラムに慣れる必要があったし、それまでの遅れも取り戻さなくてはいけなかった。加えて各派閥の調整などのために週一の茶会に、公爵家による超圧縮高密度の王妃教育。さらには剣の稽古だ。

 本人が望んでいたとはいえ、今思い返してみれば相当のストレスだったのだろう。


「強い男が第二騎士団に来た。って話をしていたリオナ様はそりゃもう楽しそうだったよ。まさかそれがグラシアノ様だとは思わなかったけど」


 ベニータとしてもメディニ王家とドゥエニャス家との微妙な関係は事前に説明されていた。だからこそ、楽しそうなリオナに、男のことを話すリオナに、男のことを話すのは非常に心苦しかった。

 名前しか知らないような、剣を交わすだけの男のことを話す彼女の表情は、確かに恋する少女のものだったからだ。

 それでも、だからこそ話さないわけにもいかず、結果としてそれがリオナにとっていろいろなものをあきらめきるきっかけになったようだ。ろくな恋も知らず、ただ心の中に荒れ地が広がっていたリオナの中で、ようやく芽が出たかもしれない恋の花。たとえどれだけ小さくても、咲けば可愛らしく、彼女にとってそれがひと時の夢のようなものであったとしても、彼女を支えてくれただろう。

 それを、自分の手で引き抜くことになってしまったベニータはたいそう悔やんだ。まさかその三か月後に王子が婚約破棄を言い出してくれるとは思わず、ベニータは張り切ってリオナをグラシアノに届けたというわけだ。


 一度は枯れたと思ったリオナの恋の花はあっという間に成長し、大輪の花を咲かせた。

 だからこそ彼女たちは願い、結託する。二度とあの男をリオナの傍に近づけてなるものかと。最大の協力者は言うまでもなく、彼女の夫であるグラシアノだ。

 リオナ本人はすでに気にしていないどころか、おそらくバセットの存在そのものが忘却の彼方だろう。バセット王子の婚約者時代のことを辛く思っているというわけではなく、「そう言えばそんなこともあったね」と懐かしく思い、「今はグラシアノと一緒にいられて幸せ」と笑うのだ。

 今が幸せなので、そうでなかった時代のことなど振り返る暇がないということなのだろう。

 だが彼女のことを余すことなく手に入れ、他の誰とも分け合うつもりがないグラシアノは、彼女が自分以外の男のために十六年間努力してきたという事実そのものが忌ま忌ましくて仕方がない。

 出来ないとわかっていても、過去に戻ってバセットと会う前に、彼が彼女を傷つける前にリオナを攫ってしまいたいと本気で思っているのだ。それを世間ではただの嫁バカという。

 リオナと会うまではそれなりに遊んでいたという話なのに、人間変わるものだ。と、ベニータは呆れながらも思う。もちろんたとえ過去遊び人であろうとも、今はパートナーに誠実な人間と、今も昔もパートナーに不誠実な人間ならば、どうあがいたって前者に軍配が上がる。いや、考えるまでもない。


 バセット王と言えば、いまだに自分がリオナの婚約者であるかのようにふるまい、それどころか彼とリオナとの間をグラシアノによって引き裂かれたかのように吹聴しているのだ。グラシアノにとっては不愉快で不愉快で仕方がないのだろう。


「いったい、あの男の脳みそはどうなってるんだい」


 ベニータは気味が悪いとでもいうようにカップを手にしてため息をつく。

 ひょっとして、自分がリオナとの婚約を破棄した後に婚約し、結婚したミレイユを「なかったこと」にしたから、リオナとの婚約が元に戻ったとでも思っているのだろうか。すでに別に王妃を娶り、子すら設けているのに?

 ニアはふとよぎった予想にゾワリと肌が粟立った。常人ならばそのような考えに至るはずはない。だが即位してから、いやそれ以前からのバセット王の思考回路は常軌を逸脱しているところがあった。


「一応、今のところサラ王妃とオークレア宰相が手綱を握ってくださっていますが」


 すでに相手が狂人だとすれば、どこまで持つかはわからない。とニアは思いながら呟く。そんな彼女の懸念は他の面々も同じなのだろう。


「わらわの方も気を付けているが……あの男は一度その()()を使っているのじゃ」

「ええ、その通りです」


 マリアネラとカルメラ姫はそう言って硬い表情で頷いた。ミレイユ王太子妃は先代国王と同じく病によってその命を落とした。少なくともそう世間一般では公表されている。

 だが、国の中枢にいる彼女たちは知っている。ミレイユは、国によって殺されたのだ。他でもない夫であるバセット王太子によって毒杯を賜るという手段によって。

 そして、バセット王は一度自身の妃を毒殺するという手段を利用している。人間、一度境界線を踏み越えれば、次に行うハードルが一気に下がるものだ。


「まさか、側近の実の妹だし、王子や王女だって生まれてるんだよ?」


 ましてバセット王とサラ王妃の間には男女一人ずつの子どもがいるのだ。子どもまで作った女性をそうあっさりと殺すのか。

 いくら何でもそこまで、と、ベニータが少しばかり咎めるような口調で言うのに、ニアは首を振る。


「そもそも、そんなまともな判断ができるなら、あの王はリオナと結婚してたよ」

「…………そうだったね」


 ベニータは肩を落とす。うまくいかない公国との外交の理由にいつまでもリオナとの婚約破棄があると思っているかの王が、いまだにリオナに執着を続けるあの男が、リオナと再婚するために自身の王妃を殺す決定をしても、ニアたちは驚かない。

 そもそも原因はそこではないとか、メディニの王妃が亡くなってもすでにグラシアノと結婚しているリオナには関係ないとか、そう言ったまっとうな考えは、あの手の人間には通じない。ただ目の前の問題を解決するために、自分にとって都合がいい解決策を実行に移すだけだ。決してそれが客観的に解決に至るはずがないものであったとしても、彼には関係ない。彼の中では、その方法で解決するのだから。

 得体のしれない恐怖に身を竦ませながら、ベニータは呟く。


「つくづく、リオナがあの男と結婚しなくてよかったよ」


 あの男はリオナを殺すと思っていた。彼女の美しさを、彼女の心を、あの男は殺すと。そしてそれは命までも脅かしていたかもしれないという事実に、ベニータは何度もそう思うのだ。

王子はガチでやべぇ人です。

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