9 「会得できた」
エレクトラの眼前で、世界が蜃気楼のように揺らいでいた。
ハルトに直撃するはずだった光球は、その寸前で止まっている。
まるで中空に張りつけられたように。
「あり得ない……」
エレクトラはうめいた。
ハルトは今、防御スキルを発動していない。
その気配はなかったし、そもそも発動するタイミングを与えず、機先を制した攻撃を仕掛けたのだ。
第一、これは予知の映像とはまったく違う。
中空で止まっていた光球は、ゆっくりと逆進を始めた。
狼の精霊が背負う大砲──その砲口に吸いこまれる。
まるで攻撃自体がなかったかのように。
「一体、何が起こっている!?」
理解不能の出来事に、思考が止まった。
しかも、異変はそれだけではなかった。
「……!?」
気が付けば、彼女の側には双剣の精霊がいる。
直前にハルトに斬りかかったはずの、精霊が。
さらに──、
「スキルを使うな。使えば、彼女たちを殺す」
気が付けば、エレクトラはそんな台詞を口走っていた。
(わたしは……何を言って……?)
言ってから呆然となる。
今の台詞は覚えがあった。
そう、数分前に彼女が告げた言葉である。
「まさか……!」
エレクトラは呆然とうめく。
ようやく理解できた気がした。
何が起きているのか。
ハルトが、何をしたのか。
「彼の防御スキルの効果なのか? そんなはずは──」
エレクトラの放った攻撃がすべて逆行し、まるで時間が戻ったような状態にリセットされる──。
それは彼女の予知にもなかった光景だ。
確実に予知できる範囲には限界があるから、その先にあった未来ということなのか。
彼女が読み切れなかった運命。
あるいは──。
「運命をも超越した防御能力……だというのか」
「ああ、土壇場だったけど会得できた」
うめくエレクトラに、ハルトが静かに告げた。
「これが──お前の力と共鳴して、成長した俺のスキルだ」
呆然と立ち尽くしていた時間は一秒か、二秒か。
そのわずかな時間が勝敗を分けた。
「しまっ……!」
目の前には、すでにハルトがいる。
エレクトラが自失し、動きが止まった隙に、猛ダッシュで間を詰めたのだ。
「第六の形態『時空反転』」
ハルトの頭上に、十二枚の翼を広げた女神の紋様が浮かび上がる。
「ほんのわずかだけ時間を戻して、攻撃を無効化する──お前の予知はこれで封じた」
次の瞬間、エレクトラは避ける間もなくハルトに押し倒されていた。
※
俺はエレクトラを地面に押し倒した。
腕力ならこっちが上だ。
組み伏せ、中性的な美貌を見下ろす。
「時間を戻した……だと……!?」
愕然と俺を見上げるエレクトラ。
これが、さっき意識内の空間で女神さまに教わった新たな力だった。
たとえ未来を予知されて回避不能の攻撃を受けたとしても……『攻撃を受けた』という事実そのものをリセットする。
時間を逆行させることで。
発動すれば、絶対の防御能力を発揮する強力無比なスキル。
ただし、これは今までのスキルとは違い、俺が意識的に発動することはできない。
保持者が致命的な危機に陥ったときにのみ発現する、いわば自動防御である。
さらに、一日に一度しか発動できないという制限があった。
『お前の予知はこれで封じた』なんて強気な台詞を言ったのも、そのことを悟らせないためである。
もし、もう一度エレクトラが予知を行えば、俺がこれ以上『時空反転』を連続使用できないことがバレてしまう。
そうなれば戦況は再逆転だ。
だから一瞬だけでいい。
エレクトラがひるんでくれれば、俺はその隙をつく──。
「わたしにもう少しだけ先の未来が見えれば、君のスキルの正体を知ることができた、ということか。いや、仮に知ったところで……時間そのものが戻り、わたしが見た未来自体が改変されてしまうな」
エレクトラは苦笑した。
「『運命を操作できる』わたしの運命をも操作するとは……まったく」
自分の負けだと悟ったのか、小さく息をつく。
その一瞬の落胆が──気の緩みが、俺がほしかった値千金のタイミングだった。
「終わりだ、エレクトラ」
俺は不可侵領域を発動させる。
これでエレクトラは精霊に新たな命令を下すことはできない。
精霊召喚っていうのは、精霊に何か命令をすること自体が一つの呪文扱いだからな。
第六形態のスキルが明日まで使えなくても、この状態になれば俺の勝ちだ。
エレクトラに──もはや攻撃手段はない。
「四人の拘束を解くんだ」
俺は彼女から体を離した。
「……逆らうことはできないようだね」
ため息交じりに起き上がったエレクトラがぱちんと指を鳴らす。
召喚自体が解除され、三体の精霊はいずれも姿を消した。
同時に、リリスとアリスを縛っていたツタも消える。
「お前には色々と聞きたいことがある」
俺はエレクトラに近づいた。
何しろ未来が見える能力者だ。
有用な情報を手に入れておきたい。
この間みたいに魔将が襲ってくるかもしれない。
スキルを持った者の中には、グレゴリオみたいに暴れ回り、あるいは他の保持者を襲う奴もいるかもしれない。
実際、何人ものスキル保持者が戦う未来が視える、ってエレクトラ自身が言っていたからな。
対策ができるなら、しておきたいところだ。
「そして、用がなくなれば殺すか?」
冷笑を浮かべるエレクトラ。
「そんなことするわけないだろ!」
俺は思わず叫んだ。
「いや、するよ。君は私を消す……わたしには未来が見えると何度も言っているだろう」
「でも、その未来は変わるんだろ?」
俺が首を振った。
だいたい俺が彼女を消すなんて──殺す、なんて。
あり得ない。
「より良い方向に変えようとは思わないのか?」
「わたしを滅ぼす者が、どの口で言うんだ?」
話は完全に平行線だった。
「わたしはただ平穏に暮らしたい。生き延びたい。それだけさ」
エレクトラが寂しげに微笑む。
「別にこんな力なんていらなかったんだ。でも、否応なしに見えてしまう。わたしの意志で見た未来もあるが、そうじゃないものもある」
切れ長の瞳には、どこか虚ろな光が宿っていた。
悲しみか、苦しみか、あるいは絶望か。
「だから、わたしは──」
そのとき、俺の前方に──黒い何かが現れた。
「えっ……!?」
突然の出来事に、一瞬思考が止まった。
「これは──」
何かに似ている。
そうだ、確か──。
黒幻洞。
魔族や魔獣がこの世界に現れる際に出現する亜空間通路だ。








