9 「頼む」
「なんだ、これは……!」
俺は呆然と魔将ガイラスヴリムを見つめた。
狼のような顔。
異様に太くなり、長く伸びた手足。
腰の後ろから生えた長大な尾。
それに合わせて、有機的なデザインに変形した黒い甲冑。
人と獣の中間ともいえる、異形の騎士──。
「これが俺の……全力の姿、だ」
狼の口から、くぐもった声で告げるガイラスヴリム。
と、その全身から突然、紫色の火花が散った。
同時に、顔が、腕が、足が──すうっと薄れていく。
「ぐっ、うう……やはり、力を使い過ぎた……か」
苦しげにうなるガイラスヴリム。
全身を震わせると、その薄れはすぐに元に戻った。
「だが、構わぬ……たとえ、この場で消滅しようとも……武人として、敵に背を向けはせぬ……」
魔将が、長い両手で巨剣をゆっくりと振りかぶる。
「この剣に俺のすべてを捧げよう……うぉぉぉぉぉぉぉぉおおおっ!」
咆哮とともに、赤い剣が振り下ろされた。
「──!?」
俺はとっさにサロメを抱きしめ直した。
剣閃が、赤い軌跡となって一直線に伸びる。
俺の防壁に弾かれ、わずかにコースを変えつつ、そのまま直進した赤光は──。
強烈な爆光となり、弾け散った。
「そ、そんな……!」
前方の峡谷が完全に消失していた。
サロメと一緒に来た別働隊は、一人残らず消滅したようだ。
反対側のルカたちは無事のようだけど……とんでもない威力だった。
「がああああああああっ!」
なおもめちゃくちゃに剣を振りまわす魔将。
「手当たり次第かよ……!」
無数の赤光と化した斬撃を、俺は反響万華鏡で前方に跳ね返す。
「ぐっ、ううっ!? があああっ!」
自身の斬撃がカウンターで直撃しても、魔将は構わずに剣を振るい続けた。
デタラメな耐久力、そして生命力。
と──、
「ハルト、サロメ、お待たせ!」
背後からリリスの声が響いた。
ようやく合流できたらしい。
「リリス、マジックミサイルだ」
「任せてっ」
振り返った俺にうなずくリリス。
その杖には銀色の矢じりに似たパーツが三つ重ねて装着されていた。
魔法の威力をケタ違いに上げる魔道具、マジックミサイル。
それを三発、まとめて食らわせるしかない。
リリスとアリスの呪文が、美しい旋律のように響く。
攻撃役は、リリスたちに委ねられたみたいだ。
ダルトンさんが撃たないのは、今までの戦いですでに魔力を使い果たしてるってことだろうか。
やがて──マジックミサイルの起動呪文が完成し、同時にリリスが魔法を発動する。
「穿て、雷神の槍──烈皇雷撃破!」
かつて竜を一撃で屠った、リリスの必殺呪文。
それが今度はマジックミサイル三発分の増幅をかけて、ガイラスヴリムに叩きこまれる。
まばゆい閃光が弾けた。
「どうだ──」
俺はごくりと息を飲み、前方を見据える。
爆光の中で、だけど獣騎士は小揺るぎすらしなかった。
効いてない、わけじゃない。
俺が奴の斬撃を跳ね返したときと同じだ。
こいつ、もはや自分のダメージすら意に介してない──。
ガイラスヴリムは雷撃魔法のダメージで全身から青い血を流しながら、なおも斬撃を放ち続ける。
「こんなの、どうやって倒せばいいんだよ──」
俺は、とにかく反射に専念した。
側にいるサロメや背後のリリスたちには、絶対に攻撃を通さない。
一発でも通したら、俺とサロメはともかくリリスたちは消し飛ばされるだろう。
さっきの別働隊みたいに。
だから──一瞬たりとも気を緩めず、ガイラスヴリムの動きを注視する。
幸い、魔将の攻撃は破壊力こそケタ違いだけど、動き自体はそれほど速くない。
俺にもなんとか見極められそうだ。
──なんて、安心したのも束の間だった。
「打ち砕く……すべてを……すべてを……すべてを……!」
ガイラスヴリムが剣を掲げた。
その刀身に黒いオーラがまとわりつく。
「今度はなんだ……!?」
魔将の剣から赤と黒の混じり合った光弾が打ち上げられた。
中空まで上がった光弾は、十数個に分裂して降り注ぐ。
さながら流星のようなそれらが周囲に次々と着弾し、大爆発を起こした。
「くそ、無差別攻撃か……!」
俺と、俺に抱きついているサロメは護りの障壁のおかげで傷一つない。
だけど、周囲はひどい有様だ。
硬い岩盤は砂糖菓子のように簡単に崩れ、地面は大きく陥没してクレーターと化す。
「リリスたちは──」
振り返ると、白い光のドームが見えた。
どうやら直撃はしなかったらしく、余波も防御魔法でしのいだみたいだ。
だけど、もしまともに受けたら──たぶん防げないだろう。
ゾッとなった。
俺と側にいるサロメは生き残れると思うけど、後は無理だ。
スキルの守備範囲はせいぜいが数メティル。
その範囲外にいる人間は──全滅する。
「打ち砕く……打ち砕く……打ち砕く……打ち砕く……」
ガイラスヴリムはぶつぶつとつぶやきながら、ふたたび剣を掲げる。
こいつ、やっぱり完全に理性をなくしている──!?
俺は戦慄した。
『理性も、意志も、命すら捨ててでも……貴様らを討つ』
さっきの魔将の言葉を思い出す。
見た目通り、破壊本能だけの獣になったこいつを、止める方法なんてあるのか。
「くそっ、さっきのをまた撃たれたら──」
俺のスキルはけっして万能じゃない。
直進する斬撃なら反響万華鏡で跳ね返して、みんなを守ることができる。
だけど、今みたいに空から何発も降り注ぐようなタイプだと、俺から離れた場所に着弾するやつはどうにもならない。
不可侵領域は魔法の発動を無効化する空間だから、斬撃に対しては効果がない。
もしも次の攻撃がリリスたちに直撃したら──。
俺には、防げない。
「……私が行くわ。なんとか隙をついて、奴の首を刎ねる」
サロメが前に出た。
「今のあいつの攻撃力はとんでもなく上がってるし、近づくのは危険すぎる」
「私は気配を消せるのよ。気づかずに奴の首を刎ねるくらい──」
言いかけたとき、ガイラスヴリムがこっちを見た。
「があっ!」
牽制の一撃を、放つ。
俺のスキルによって難なく弾かれるものの、もしもサロメが単身で突っこんだら吹き飛ばされていただろう。
赤い眼光は、なおもサロメに向けられていた。
「……こいつ」
サロメが表情をこわばらせる。
「私の気配を察知してる……!?」
駄目だ。
彼女の隠密歩法も獣騎士と化したガイラスヴリムには見極められてしまう。
どうする……!?
どうやって、次の一撃を食い止める──?
考えている間にも、魔将は次の一撃を放つ体勢だ。
赤い巨剣をゆっくりと振りかぶった。
今までの攻撃を見るかぎり、次の一撃が放たれるまで、あと数秒──。
今度こそ、リリスたちに直撃するかもしれない。
だけど俺には止められない。
嫌だ。
死なせたくない。
俺はリリスを、アリスを、ルカを、みんなを護りたい。
全部を、護りたい。
護らせてくれ──。
「頼む……っ!」
──やっと聞こえました、ハルトの声。
突然、声が響いた。








