3 「最終局面だ」
かつて、俺が防御スキルの完全な形態『封絶の世界』へと踏みこんだとき、女神イルファリアはこう言った。
『そこへ踏み出せば、あなたはあなたでいられなくなるかもしれません。覚悟は、ありますか?』
今ふたたび、その言葉を実感する。
あのとき以上に、強く実感する。
俺という存在が、俺以外の何者かになってしまう──。
それは絶対的で、圧倒的な恐怖だった。
だけど、
「とりあえず、お前の攻撃を防げるなら──なんでもいい。今必要なのは、みんなを護るための力だ」
俺は魔王に向かってニヤリと笑った。
込み上げる恐怖は消えない。
だけど、闘志が失せることはない。
「……精神が高ぶっているな。それに合わせてスキルも上昇する──なるほど。人間固有の現象だ」
魔王がうなる。
「やはり、イオと同じか」
「何?」
「『冥天門』の力は、さらに増しています」
イオが魔王にうなずいた。
「人の精神の力は、神や魔のスキルを増幅させる模様」
「ならば、よし。お前こそが『あの者』に対抗する切り札になれる──必ず」
魔王が、一歩踏み出した。
「さあ、最終局面だ。あまり時間をかけては、我々全員が『あの者』に消されるかもしれぬからな」
全身を覆う黒い炎が最大限に燃えあがった。
上空数百メティルまで届くほどに──。
それが、奴の最終攻撃の合図だった。
※
ジャックの渾身の一撃が、魔族を打ち砕く。
「はあ、はあ、はあ……!」
全身からごっそりと力が抜けたような疲労感があった。
次に、体の内側から何かが崩壊していくような感覚が訪れる。
自分の中の決定的な何かが──。
「……まだだ」
ジャックは『強化』のスキルであらゆる耐久力を底上げし、それに対抗する。
抗わなければ、おそらく自分という存在は崩れ去り、消えてしまう。
そんな予感があった。
すでにジャックは、戦える体ではなくなっているのだろう。
レヴィンの呪いを受け、ハルトと激戦を繰り広げ──。
その果てに訪れた心身のダメージは、もはやスキルを正常に操ることさえ困難にしていた。
「それでも──俺には、まだできることがある」
たとえ不完全でも、『強化』のスキルは未だジャックとともにある。
全力を出せなくても、戦うことはできる。
この目に映る大切な人たちを守ることだって、できるはずだ。
──ぞくり。
ふいに、背筋が凍りついた。
「あ……ぐ……っ……!?」
全身の硬質化が一瞬にして解け、もとの姿に戻る。
いや、戻らされたのだ。
「なんだ、これは……!?」
ジャックは戦慄した。
神のスキル──『強化』の効果が強制的に解除されてしまった。
そんな、感覚。
だが、あり得ない。
神の力をも圧する力など。
それでは、まるで──神すらも超える存在ではないか。
ジャックはゆっくりと振り向く。
そこには何もいない。
ならば、心臓が爆裂しそうなほどの鼓動はなんだ?
ならば、呼吸ができないほどのプレッシャーはなんだ?
(見えないが──確かに、何かがいる)
知覚するだけで精神が破壊されてしまいそうなほどの、圧倒的な何かが──。
※
王都グランアドニス──。
「な、なんだ、この感じは──?」
ランクAの冒険者ダルトンがうめいた。
「異常なまでのプレッシャーですわ……!」
少女戦士アイヴィが声を震わせる。
「精霊たちが怯えている──」
ランクSの精霊使いアリィが唇をかんだ。
他の冒険者たちもいちように青ざめた顔をしていた。
恐怖ではなく。
戦慄でもなく。
絶望でもなく。
誰もが、畏怖していた。
まるで神以上の絶対者に出会ったかのように。
ふいに──空が激しく揺れた。
淡く輝く何かが、空の一角から降り立つ。
巨人だ。
成層圏にまで届くほどの、巨体。
半透明の体は、無数の鬼火をまとっている。
「あれは──」
ダルトンが、そしてその場にいるすべての冒険者が巨人を見上げた。
それは、地上をゆっくりと見回す。
おぉぉぉぉぉぉ…………………………ん。
澄んだ歌のような声を奏で、巨人はゆっくりと歩き始めた。
※
古竜の神殿。
「『あの者』が降臨したのか……」
罪帝覇竜がつぶやいた。
全身の震えが止まらない。
かつて神や魔と渡り合い、最強と謳われた古竜である自分が。
今、はっきりと──。
恐怖、していた。
「これは……世界の終わりのときか? あるいは再生の──?」








