2 「俺も、今できることを」
アドニス王国、王都グランアドニス──。
上空に現れた黒幻洞から大量の魔族や魔獣が現れ、押し寄せていた。
かつて、王都がここまで大規模な魔の襲来にさらされたことはない。
そもそも、これほど多くの魔の者が一度に現れたこと自体がなかったのだ。
「なんて数だ──」
ランクA冒険者ダルトンは、迫りくる魔族や魔獣を険しい表情で見据えた。
髭面に三白眼、荒くれ者のような風貌だが、戦士ではなく魔法使いである。
歴戦の猛者である彼だが、これだけの数と戦うのは初めてだ。
聞けば、他国にもそれぞれ多くの魔の者が襲来しているらしい。
かつてない規模の、攻勢。
(あの日、世界が揺らいだ影響がここまで強くなってきている……!?)
人間の世界と魔界の境界が緩くなり、行き来が容易になっているということなのか。
それが、かつてないほどの魔の大規模攻勢を引き起こしている。
(あるいは──これは、世界の終わりなのか)
戦慄が込み上げる。
だが、自分にできることは戦うことだけだ。
普段、彼が指導している若手の冒険者たちの模範になるような戦い方を。
「火獄炎葬!」
得意とする火炎魔法を、魔の一団に叩きこんだ。
爆発とともに、何体かが吹き飛ぶ。
「効くかよ!」
だが、ほとんど無傷で向かってくる者もいた。
おそらくはクラスAの上位か、クラスSの魔だろう。
「強い──」
ダルトンが思わずひるむ。
魔といっても様々な種族がいるし、得意な攻撃、苦手とする攻撃なども様々だ。
彼必殺の火炎に強い耐性を持つ魔も、当然存在する。
と、
「弱気になってる場合じゃないでしょう! こんな連中くらい、あたしが仕留めてみせますっ」
一人の少女戦士が鞭を繰り出した。
強烈な打撃が、残った魔族を吹き飛ばした。
「君は──」
炎を思わせる真紅の髪をセミロングにした、美しい少女だ。
小柄な体にまとう金属鎧は胸や腰を重点的に覆い、どこかビキニ水着を連想させた。
アイヴィ・ラーズワース。
十三歳にしてランクAに上がった若手冒険者の有望株である。
「さあ、どんどん片づけていきますよ。王都はあたしたちで守りましょう!」
アイヴィが元気よく冒険者たちを鼓舞する。
応、と力強い声を上げる冒険者たち。
ふたたび繰り出された鞭が魔族を二体ほど弾き飛ばし、さらにその先端からほとばしった炎が追加で一体を燃やし尽くした。
「爆熱の連撃・一の型──」
自らの技のコンビネーション名を朗々と告げ、アイヴィはなおも鞭を振るう。
「俺たちもやるぞ!」
「戦士たちは前へ! 魔法使いや僧侶は後衛から援護だ!」
その戦いぶりに他の冒険者たちも闘志を湧き上がらせたようだ。
剣士は斬撃を、魔法使いは攻撃や防御魔法を、僧侶は補助魔法を──それぞれの得意分野で連携し、魔を次々と打ち倒す。
「よし、俺も負けていられない……!」
ダルトンは仲間たちの戦いぶりに勇気づけられる思いだった。
杖を握り直し、残りの魔と向き合う。
と、そのときだった。
──ずんっ。
強烈な地響きが周囲を揺らす。
上空に開いた黒い穴──亜空間通路『黒幻洞』から新たな魔獣が降り立ったのだ。
全長三十メティルを超える、鱗に覆われた巨体。
皮膜状の、四枚の翼。
そして全身から吹きつける、すさまじいまでの威圧感。
「竜……だと……!?」
世界最強と呼ばれるクラスSの魔獣だった。
「ちっ、これ以上は進ませんぞ」
たとえ倒せなくても、とにかく足止めする。
避難する住民たちや援軍が来るまでの時間稼ぎだけでもしなくてはならない。
「その意気です」
隣にアイヴィが並ぶ。
彼女にアイコンタクトで合図をし、
「いくぞ!」
ダルトンの火炎魔法が、アイヴィの鞭が、同時に竜の巨体に叩きこまれた。
すさまじい爆炎が弾け──それでもなお、竜は歩みを止めない。
さすがに桁違いの耐久力だった。
「ちっ、まだまだ──」
次の呪文詠唱の準備に入るものの、敵はすでに数十メティルの距離まで迫っていた。
竜の巨体を考えれば、目と鼻の先といってもいい距離。
(次の呪文を撃つのは間に合わない……!)
竜の口が開き、そこに閃光があふれる。
ドラゴンブレスがくる──。
背筋が凍りつくような恐怖を覚えた。
竜の代名詞ともいうべきその攻撃は、辺りを焦土に変え、人間の体など一瞬で消し炭にしてしまうだろう。
ここまでか、と唇を噛みしめる。
刹那、
「精霊召喚七重奏!」
凛とした声が響き渡った。
炎、氷、風、雷、土、光、闇──七体の精霊が同時に現れ、竜の巨体を吹き飛ばす。
「あんたは……!」
ダルトンは驚いて振り返った。
その顔に笑みが浮かぶ。
見覚えのある女性が立っていた。
年齢は二十代前半くらいだろうか。
すらりとした体に革鎧を身に付けた、妙齢の女性だ。
「ここが踏ん張りどころでしょ。冒険者の意地を見せるときよ」
ランクS冒険者『深緑の巫女』アリィが不敵に笑った。
「そうだな、俺も──」
若き冒険者たちの活躍に胸が躍る。
自分もまだまだがんばらなくてはならない。
「火襲弾!」
ダルトンは火球の魔法を魔族に叩きつけた。
得意の火炎魔法で、時には攻撃を、時には牽制を──他の冒険者と連携しながら、魔の軍勢と渡り合う。
「剣士や騎士は前衛を、魔法使いや僧侶は後方から攻撃と支援を。全員の力で追い払いましょう!」
アリィがランクSの冒険者らしく、凛とした態度で指示を出す。
応、と吠える冒険者たち。
全員の士気が上がるのを感じた。
「俺も、今できることをやらないとな!」
ダルトンは巨大な杖を魔獣に向ける。
「火獄炎葬!」
渦巻く火炎が、魔獣を焼き尽くす──。
※
押し寄せる魔族や魔獣を前に、町ぐるみでの避難が始まっていた。
「くそ、次から次へと──」
ジャック・ジャーセは迫りくる二十体以上の魔を見て、歯噛みした。
(俺が万全の状態で『強化』のスキルを使えたら……)
先日の戦いで大きなダメージを負った体はまだ回復していない。
神のスキルが関係しているのか、治癒魔法のたぐいがジャックには効果を発揮しないのだ。
『修復』のスキルを持つセフィリアならば治せるかもしれないが、そもそも彼を暴走させたのはそのセフィリアの仕業のようだ。
そんな相手に治癒を頼むわけにはいかない。
だからジャックの体は今、自然治癒に任せて回復させているのだった。
日常生活を送ることができる程度には回復したものの、まだ運送の仕事はできないし、まして戦闘などとても無理だった。
現在、王都にいる冒険者たちで魔の者を迎撃しているようだが、何しろ数がけた違いに多い。
しかも、中にはクラスSの強力な魔も混じっているらしく、押されている模様だった。
外縁部であるここまで救助が来る可能性は低いだろう。
とにかく逃げるしかない。
勤め先である『ハイマット運送』の社長や社員たちもすでに避難を始めているし、ジャック自身も恋人であるハンナとともに魔から逃れている途中だった。
「きゃあっ……」
と、彼女が何かに足を取られて転ぶ。
振り返ると、背後に無数の触手が蠢いていた。
「美味そうな女じゃねーか」
イソギンチャクのような姿をした魔族が、触手をうねらせて笑う。
「肉も、骨も、食っちまうか、へへ……」
「……彼女に触るな!」
ジャックが叫んだ。
体調が不完全だろうと関係ない。
せめて目に映る範囲内だけでも、守る。
まして最愛の女性を、魔の毒牙にかけてたまるか──。
「そんな状態で戦う気か? 人の体は、脆い。再起不能になっても知らんぞ」
声が、響いた。
「お前は──」
彼にスキルを授けた戦神ヴィム・フォルス──正確にはその欠片の声だ。








