4 「つまんないね」
未来とは絶えず変化し、揺らぎ続けるものだ。
しかも、その揺らぎは加速を続けている。
自らが滅ぶ未来を回避するため、エレクトラは毎日、数時間置きに未来予知を行っていた。
数秒から数分先の未来を視るならともかく、もっと先の期間まで見通すのは大量の精神力を消耗する。
エレクトラといえど、これくらいの頻度が限界なのだ。
「どうなっている……彼女が殺されるとは……!?」
エレクトラは足元に倒れているバネッサを呆然と見下ろしていた。
屋敷の中庭に出たとたん、彼女に出くわしたのだ。
もはやピクリとも動かず、物言わぬ躯と化した彼女に。
「だが、直近の予知にこんな場面はなかった……」
眉を寄せてうめく。
数時間の間に、未来が激しく変動してしまったのだろう。
空間を操る神のスキル──『移送』の力を持つバネッサを殺したのは、一体何者なのか。
そしてその目的はなんなのか。
何よりも──。
「彼女を殺した者が、わたしを狙ってくるかもしれない……」
エレクトラが第一に考えるのは、自身の安全である。
「運命の女神は逆巻く虚無を夢見る」
スキルを発動した。
エレクトラの予知には、より遠くの未来が視える代わりに精度が落ちる『運命の女神の鐘が鳴る』と、近い未来を確実に予測する『運命の女神は虚無を夢見る』の二種類がある。
今使ったのは前者のバリエーションである過去視だ。
バネッサやセフィリアとの邂逅でスキル能力が上がって以来、彼女は未来だけでなく過去に起きた出来事もある程度視ることができるようになっていた。
ただし、このスキルは消耗が大きい。
しかも最近では、今まで以上に頻繁に使っていた。
共闘しているとはいえ、バネッサは底が知れず、セフィリアも何を考えているのか分からない。
二人への警戒から、精神の消耗を承知で予知を連発していたのだ。
「とにかく今は、情報を集めないと……」
ぎりっと奥歯を噛みしめた。
「誰だ……誰が、バネッサを殺した……?」
過去を、探る。
五分前。
十分前。
十五分前──。
脳内に浮かぶ映像を早戻ししながら、真相を探る。
やがて、その場面にたどり着いた。
「まさか、これは……!」
エレクトラはうめいた。
バネッサにスキルを授けた女神──ゼガリア自らが、彼女を殺したのだ。
まさしく天罰だった。
「神をも畏れぬ所業には、報いが下るというのか……!?」
ぬるい汗が額から滴り落ちる。
「ならば、わたしも同じように……?」
神に、殺される。
込み上げる破滅の予感で、バネッサは全身を震わせた。
嫌だ。
嫌だ……!
わたしは、絶対に生き残ってみせる。
たとえ神に背き、悪魔と手を組んででも──。
「運命の女神は虚無を夢見る」
スキルを過去視から未来予知へと切り替えた。
「っ……!?」
虹色の輝きに消し飛ばされるエレクトラの姿が見えた。
「こ、これは……わたしの、破滅の……!?」
何度となく見てきた未来。
彼女が回避しようと試行錯誤を続けてきた未来。
それがあと十分先か、二十分先か、三十分先か……とにかく、そう遠くないうちに起きようとしている。
「何が起こるんだ。わたしの身に……」
今度はさらに近い未来を予知しようとする。
まずは今から一分後の──。
「あれ? バネッサ、動かないね?」
「っ……!」
背後から声が響き、エレクトラは予知を中断した。
振り返ると、そこに立っていたのは黒髪を三つ編みにした少女の姿。
「セフィリア……か」
エレクトラは先ほどの予知で見たことを、セフィリアに語った。
「ねー、何があったの?」
「わたしたちはやり過ぎたんだ」
たずねるセフィリアにため息をつく。
「神々は人間のやることには関知しない。ただ見守るだけ──実際、わたしの予知でもずっとその通りだった。だが、それが突然変わった」
「んー、神様もさすがに我慢の限界ってことかな?」
セフィリアは何がおかしいのか、くすくすと笑っている。
「……状況が分かっているのか? わたしたちだって、いつ殺されるか分からないんだぞ」
「天罰ってやつだね。怖い怖い」
「わたしは真面目に話している! いい加減にしろ!」
彼女の茶化したような態度に、さすがに怒りを覚えた。
ただでさえ切羽詰まった状況だというのに、神経を逆なでされているように感じる。
「もう、怒らないでよ~。あ、でもそういう顔もキュートだね、おねーさん」
ちゅっと投げキスをするセフィリア。
ますます癇に障る態度だ。
「それにおねーさんは予知で未来が読めるじゃない? 先読みし続ければ、いくら神様でもおねーさんを殺すなんて無理だと思うな?」
「わたしの予知にも限界がある。連続して使い続けることはできないし、未来そのものも絶えず変化するんだからな」
告げて、エレクトラは背を向ける。
先ほどの予知が気になった。
一刻も早く、この場から立ち去りたかった。
先ほどの予知の詳細を確認しなければ──。
「どこに行くの、おねーさん?」
「ここから離れる。バネッサに味方をしたのは、もともとわたしの未来を変えるためだった。計画は順調に見えた。だが、それが崩れた」
ふんと鼻を鳴らすエレクトラ。
「また違う道を探すさ。わたしは、わたし自身が生き延びる道を──絶対に諦めない」
「逃げるんだ?」
「違う道を行くだけだ」
揶揄するようなセフィリアに、エレクトラはもう一度鼻を鳴らした。
「──つまんないね」
セフィリアの声音が、変わった。
驚いて振り返る。
「こんなに楽しいゲームなのにドロップアウトしちゃうんだ?」
こちらを見つめるセフィリアの瞳は、冷たい。
先ほどまでの朗らかな光は、そこにはなかった。
「っ……!?」
彼女の気配の変化に、背筋が凍りついた。
「……ゲームだと? 冗談じゃない、こっちは破滅の運命がかかっているんだ」
「それくらいじゃなきゃ面白くないでしょ」
「気楽に言ってくれるな……」
舌打ちする。
「とにかく、わたしはこの場から離れる。身の安全が第一だ」
「一番面白いところで試合放棄? 何それ」
セフィリアは、はあっ、と大きなため息をついた。
「もういいや。おねーさん、美人だから好きだったけど、つまんない人は嫌い」
突き出した手のひらに、輝く紋様が浮かび上がった。
二つの顔と四本の腕を持つ女神──地と風の王神を意匠化した紋様だ。
「飽きたから消えて」
明らかな殺意のこもった瞳が、エレクトラを見据えた。
「……『修復』の力で、わたしと戦う気か?」
エレクトラは唇を噛みしめた。
この状況は、まさか──と背筋を汗が伝う。
虹色の光に消し飛ばされるエレクトラの予知映像。
状況から考えると、それを為すのはセフィリアかもしれない。
逃げるか。
それとも、いったん戦って退路を切り開くか。
どちらが正解なんだ。
だが、それを予知する隙をセフィリアが与えてくれるかどうか。
「言っておくが、わたしには精霊召還能力がある。冒険者としてはランクCごときの君に後れを取ることはあり得ないぞ」
言いながら、エレクトラはじりじりと後ずさった。
「そう言ってる割には腰が引けてるね? もしかして、嫌な予知でも見たの?」
「……!」
「戦う必要なんてないよ。ただ消えてもらうだけ」
セフィリアは笑った。
「おねーさん、おっぱい大きいし、揉み心地もいいし、好きだったんだけどなー」
「……こんなときまで、ふざけた女だ」
無邪気な笑みが、逆に不気味でたまらない。
「精霊召喚!」
エレクトラは己のしもべたる精霊たちを呼び出した。
全身が樹木でできた巨人。
翼を備えた虎。
二本の剣を構えた全裸の美女。
そして背中から大砲を生やした狼。
「へえ、精霊を同時に四体も呼べるんだ。すごいねー」
四体の精霊が展開し、セフィリアを半包囲した。
「これで詰みだ」
エレクトラが冷然と告げた。
「わたしには未来の動きが読める。君が前後左右どの方向に逃げようと、回避も防御も不能のタイミングで攻撃を叩きこんでやろう」