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選ばれた夢  作者: はいぼーる
第三章
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10/13

今度はあなたが世界を選んでください

「お気づきになりましたか、ハルト様」


 リタは床に倒れ込んでいるハルトにかがんで話しかけている。


「リタ……なのか」


 ハルトは重たい頭を手で押さえながらゆっくりと立ち上がった。


「こちらにお掛けください」


 リタはハルトをイスの方へと案内する。イスを引き、ハルトを座らせた。リタは自分の席に戻り、イスに座ってハルトを見ながらじっとしている。


「空間酔いがひどいようですね。もうしばらく時間を置いてから話をはじめましょう」


 そういうと、リタはあの錆びた金色の懐中時計を取り出して一度時間を確認すると、その時計をテーブルの上に置いた。そして、両肘をテーブルの上にのせて、少し前のめりにしながら、ハルトのことを眺めている。一方のハルトは、空間酔いによる頭痛も少しずつ収まってきた。だんだんと物事を考えられるようになってきたので、ハルトは今見てきたことを簡単に整理しようと考えた。


 ハルトは資料を提供すると言われ、何もない、真っ白な空間へ飛ばされた。彷徨いながらも一つの映写機を見つけ、そこから再びある世界へと飛ばされた。それは、『はると』が活躍し、『まゆ』が見守る立場にある世界だった。そして、その世界では一年前の今日、『はると』が交通事故にあっていた。悲しみにくれる『まゆ』の前にリタが現れた。そして、リタは『まゆ』に世界の選択する権利に関する契約を持ちかけた。『まゆ』は契約を結ぼうとしたが、リタが反対していた。それでも、契約は結ばれ、そして、リタは『まゆ』の専任担当として『まゆ』が善行をするサポートをすることになった。


「そうですね、それで概要としては間違っていません。細かな違いはありますが、それは仕方がないことですから」


 リタが急に話しかけてきた。ハルトをまっすぐ見ながら話している。


「お前、人の心読んだのか」


「読めてしまいますからね」


 リタはあっさりと答えた。言い終えると、テーブルの上に置いた両手を一度膝の上に置き直してから、姿勢を改めた。


「では、ハルト様。そろそろ体調の方も問題なさそうなので、補足の説明をさせていただきたいと思います」


 リタはそういうと軽くお辞儀をした。ハルトはイスの背もたれに身体を預けた。話はできる状態ではあったが、すこし楽な姿勢になりたかったのである。


「まず、ハルト様は私とマユの契約までご覧になったと思いますが、間違いないですね」


「あぁ、その通りだ」


 ハルトは頷きながら話した。見たというよりは、そこまでそばにいた、という言い方が正しいのかもしれないと思った。


「分かりました。では、その後のお話をさせていただきましょう。といっても、あなたがここにいらっしゃいますから、結果はお分かりですよね」


「マユは、善行を重ねて権利を得るに十分だと認められたということか」


「はい、その通りでございます。マユは立派でした。私がアドバイスしたことを忠実に行い、わたしが予想したよりも高い評価があたえられました。普通の人間ではありえないような結果です」


 リタは誇らしげに話していた。マユのすごさを伝えるとともに、その過程を思い出して懐かしんでいるようにも、ハルトには見えた。


「リタ。お前はずっとマユと連絡を取っていたのか」


「はい、メールでしたが、情報のやり取りはしていましたね。といっても、具体的なことは伝えられないので、大雑把なアドバイスしかできませんでした。しかし、マユは的確に読み解き、実行してくれました。そこは彼女の能力の高さがあったからだと思います」


 リタは話を続ける。時々、目を閉じながら話すこともあった。今も目を閉じていたが、目を開けるとどこかさびしそうな目をして言葉を選んでいた。


「とにかく、マユの頑張りが素晴らしかった。ハルト様、だから今、あなたに世界を選択する機会が与えられているのですよ」


 リタは一つ息をつくとハルトの方を向いた。


「それでは、ハルト様、何かご質問はございませんか」


 リタはじっとハルトを見つめている。ハルトはその視線を感じながら、この契約の空間に戻ってきてから気になっていることを尋ねた。


「リタ、一つ聞きたい。どうして、オレは過去しか見せられなかったんだ?お前はオレが選んだ世界の未来を見せるといったはずではなかったか。オレが見てきた世界のマユもオレが死なない世界を見ていた。なのに、どうして、オレは未来ではなく、過去しかみせられなかったんだ?」


 ハルトはイスに座り、リタの話を聞きながらもずっとこのことを考えていた。仮契約の話を聞いた時とは話が違うように思えてならなかった。実際に、未来を見た『まゆ』は自分が一年後に死ぬことを見せられて泣いていた。だが、ハルトには未来は見せられなかった。見たのは何故、ハルトが契約を結ぶに至ったのかといういきさつだけだった。


「それは、よいご質問ですね」


 リタはハルトに答えた。そして、言葉を続けた。


「実は、今回ハルト様が選択する世界では、未来の出来事がわからないんです。だから、はっきりとした形でお見せすることができなかったんです」


 リタは申し訳なさそうに頭を下げながら話している。ハルトはそんなリタの態度を見ながら、自らが聞いていた話との矛盾点について問いただした。


「いや、変わった後の世界を見せるとお前は言っていなかった?」


「えぇ、『資料には選択後の世界の可能性について示されたものも含まれている』とお伝えしたかと思いますが、今回の場合明示されていませんでしたね。それは、先程も申し上げた通り、今回の世界の選択では未来が分からないんです」


 リタはゆっくりと話をしていた。しかし、ハルトはその発言を聞いて身を前に乗り出して話し始めた。


「いや、それじゃあ、マユを確実に救うことができないとでもいうのか?」


「そのことを保証しかねるというのが、私に言えることです。以前にもお話ししましたが、世界の選択に提供される資料は本部によって決定されます。そのために、こちらからはどの資料が提供されるのか分からないんです。特に、今回の契約では未来の出来事が分からない世界を、ハルト様がなさると思われるので、このような資料が提供されたと思います」


「オレがどんな契約をするっていうんだ。マユを確実に助ける契約をするに決まってんだろう!」


 ハルトは語気を強めた。自分はマユを助けるためにここに来たのだから、それ以外の契約があってたまるかという思いが、ハルトを怒らせた。


「しかし、ハルト様は今回、そのような世界の契約はなさらないかと思います」


「どうしてだ」


「それは、実際にその目で確かめれば分かることですが、ご覧になりますか?」


 ハルトは頷く。


「ハルト様には刺激が強すぎると思いますが、それでもですか」


「あぁ、見るさ!」


「わかりました」


 そういうと、リタはため息交じりに指を鳴らした。ハルトは再び空間酔いを感じて気分が悪くなった。二度も酔うとさすがに吐き気を催してしまう。しかし、ハルトはそれに耐えた。そして、机の上で意識を失った。



※ ※ ※ ※ ※



 数秒後、意識を取り戻すと同時にハルトは吐き気を我慢できなくなった。イスから転がり落ちるように床に丸くなった。ことを終えて、吐き気から解放されると、今度はそのままの姿勢でハルトは泣き始めた。恥ずかしげもなく、大きな声と大粒の涙を流しながら咽び泣く。ただただ泣いているハルトの身体は、震えている。頭の先から足の先まで震えていた。


「いかがでしたか。もしも、ハルト様がマユ様をただ単に生かすという選択をなさった場合の未来をご覧いただいたかと思いますが、この未来を選択いたしますか」


「じょ、冗談じゃない!こんな未来、誰が選択するか!」


 ハルトは頭を乱暴に振ってリタを見上げながら言い切った。それは、頭の中の先程見てきたおぞましい映像を振り払うためでもあった。


「そうでしょうね。私はこんな未来を見たくありません。誰ひとりとして幸せになりませんから。このような絶望的な未来の可能性まで見せてしまうと、たいていの人は世界を選ぶことに躊躇してしまったり、ひどい場合だと人格が破壊されてしまったりしますから。その辺の調整を本部が行なってくれているんですよ」


 リタは淡々と話を進めている。ハルトはまだ泣きながら震えていた。目を大きく開き、肩で息をしている。こんなに怖い思いをしたのは生まれてから初めてかもしれない。


「だったら、お前は、オレがどんな契約を結ぶと思っているんだ!」


 ハルトは身体全体が震えていたので、両手でそれぞれ反対の肩をぎゅっと握り、身体の震えを押さえつけるようにした。ハルトはどうしようもない恐怖と思い通りに行かない苛立ちをなんとか抑えようとしていた。


「たぶん、ハルト様の望みに一番近い世界の選択は、マユ様が交通事故に遭う直前の世界に十五分間干渉する方法だと思われます」


 リタは座りながらも、ハルトの目を見ながら落ち着いて話している。


「事故に遭う直前?世界に干渉するってどういうことだ?」


 突然の提案にハルトは目を丸くしていた。変更ではなく干渉とは何なのか、ハルトは気になった。


「ハルト様が驚かれるのも無理はないかと思われます。世界の選択には色々な方法がございます。マユが契約した時のように、特定の『事実』を望まれる結果へと変更する方法の他にもあるんです。今回提案しているように、過去の『事実』に干渉することによって、『事実』を変更する方法もございます」


 リタはハルトの方を何度も見ながら話している。


「ハルト様にもご理解いただくためにも例を上げますと、前者の場合には、『事実』を容易に変更することができますが、周りへの影響も大きく、また、その範囲も想定しにくいものになっています。世界の『事実』を変更してしまう方法は、例えるなら、コース料理を頼むようなものです。契約者様はメインディッシュの注文した後は何もする必要がなく、ただ目の前に出てくる料理を食べるようなものです。つまり、変更すべき『事実』だけ決めて、それ以外はお任せの世界を選ぶことができるとお考えください」


 リタは一つ咳払いをして、話を続けた。


「一方、後者の場合には、契約者様が『事実』を直接変更しなくてはなりませんが、周りへの影響も必要以上には大きくありません。分かりやすく言うなら、世界に干渉する方法は、契約者様ご本人に料理をしていただくようなものです。つまり、『事実』の変更についてより細かなカスタマイズしやすくなっていると、お考えになってよろしいかと思います」


 リタは説明していたが、その間特に表情を変えることもなく、また、ふざけることもなくハルトの目を見ながら話していた。リタは余計なことを言うつもりもないようだった。


「要するに、自分で世界を作り変えろとでも言うのか?」


 ハルトは、真剣な面持ちを崩さないリタに問いかけた。


「そのようにお考えになってもよろしいかもしれませんね。具体的には、ハルト様はマユの事故が起こる前の世界に、つまり事故が起こる十五分前から事故が起こるその瞬間までの世界に干渉できます。その十五分間でマユを事故から救ってください。これが、今回、ハルト様にご提案させていただくプランです」


 リタは騒ぎ立てることもなければ、取り乱すこともなく淡々と説明していた。ハルトは、落ち着いたリタの話を聞いているうちに、自分も落ち着きを取り戻していることに気がついていた。リタはその様子をみながら再び説明を始める。


「しかし、この選択の方法には一つ大きな問題があります。それは、確実にマユを助けることができないという点です」


 その言葉を聞くと、ハルトはもの言いたげにリタの方を見た。リタはペースを乱すことなく、先程までと同じ調子で説明を続けている。


「この世界の選択はあくまで、時間の遡行による世界への干渉です。つまり、起こった『事実』に対して、こちらから干渉できるということだけです。そこには、マユが事故に遭うという『事実』の変更は含まれていません。ただ、事故に遭うという『事実』を、ハルト様、あなたの働きによっては、変えられるかもしれない。そんな機会が与えられたというだけに過ぎません」


 リタはゆっくりと話している。ただ、リタの目線はハルトの目を離さなかった。落ち着きを取り戻し、じっと話を聞いていたハルトには、話をより理解しようとする思いが湧いてきた。


「事故に遭わないという『事実』の変更は、さっき見た世界をもたらすのか」


 リタは首肯した。ハルトは先程見た世界の思い出しそうになった。あの世界の光景は二度と見たくない。そう思うと、ハルトは頭を振った。


「オレは事故が起こる直前に、世界に干渉してマユの事故という『事実』を変えることができるのか」


「ハルト様にはその機会がある。そのように申し上げたつもりです。後もう一点注意すべき点がございます。過去への干渉中にハルト様が亡くなるような事態がございますと、未来への帰還ができなくなります」


 リタはこの説明をしている時は、じっとハルトの顔を見ていた。仮契約を結ぶまではふざけていることも多かったが、今はそのような姿はない。むしろ、それがハルトには新鮮だったが、同時に、重たく感じられた。


「オレが死ぬようなことがあると、ダメだということか」


「はい。ハルト様が過去の世界に干渉中にお亡くなりになる、つまり、干渉中の十五分間に死亡なさった場合には、過去のハルト様が亡くなったと判断されます。その場で過去の世界のハルト様がお亡くなりになり、未来でのこの選択はなかったことになります」


 リタは長い説明を終えて一つ咳払いをした。ハルトはじっと考え込んでしまった。


「説明は以上になります。ハルト様には、大きな責任を押し付ける形になってしまうかもしれませんが、あなたにしかできないことなんです。今、世界の選択権を行使できる立場の人は、あなたしかいないんです。マユを救えるのは、ハルト様、あなただけなんです」


 リタが徐々に語気を強めた。紅い瞳にはうっすら光るものが見えていた。


「オレにしかできないのか」


 ハルトは自分で自分の言葉を確かめるようにつぶやいた。ハルトは目線を落とし、膝の上に置いた二つの握りこぶしに力を入れた。じんわりとかいていた汗を握りつぶした。


 ・・・オレにそんなことが、できるのか


 仮契約を結んだ時には、もう迷わないと心に決めたはずだった。しかし、『まゆ』が世界を選択した経緯や思い出したくもない未来、そして、真剣な面持ちのリタがハルトを動揺させた。人ひとりの命が、ハルトの選択に懸っている。そのことについて、ハルトが自分自身の決意を確かめるために、時間を必要とした。


「ハルト様、あなたのお気持ちはお察しします。私は運命の使者として、この手の決断に迷われる方はこれまで数えられないほど見てきました。そして、私はその度に、壊れてしまいそうないくつもの心を感じてきました。ですから、急に重責を果たさなくてはならなくなったあなたの心境を、よく分かっているつもりです」


 リタは、ハルトの心を読んだのか、何も話さなくなっていたハルトに代わって、話し始めた。その口調は、ゆっくりとしながらも、一語一語を選んでいるようだった。


「ですが、私はあえて、ハルト様がより苦しまれることをお願いしなければなりません」


 リタは下を向いたままのハルトを見つめていた。ハルトは下を向いて表情をリタから隠していたが、心の読めるリタには無駄なことだった。


「ハルト様、あなたがマユを救ってください。お願いします。それしか、あなたもマユも幸せになる方法がないんです。運命の使者としてではありません。マユの友人としてお願いします」


 リタはそういうと、立ちあがって頭を下げた。腰から上半分が四十五度曲がっている。ハルトはうつむいたままだった。リタは頭を上げない。


「リタ、お前は今のオレの心が読めるんだよな」


 永遠に続いてしましそうな静寂を破ったのはハルトだった。小さな声であったが、他に音を出すものもないこの空間で、その声は良く響いた。


「はい、ハルト様の抱いているお気持ちは手に取るように感じられます」


 リタは頭を下げたまま、ハルトに答えた。それは、ハルトの心をいたわるかのように、やさしく穏やかな答え方だった。それを聞き終えるとハルトは再び同じように話し始めた。


「リタ、それなら、オレの考えは分かるか」


「考えですか?」


 リタははっとして顔を上げたが、ハルトはすぐに話を続けた。


「この世界はマユが選んだんだよな」


 ハルトはゆっくりと立ち上がった。そして、リタに向かって歩き出した。


「は、はい。その通りです」


 リタはただ答えることしかできなかった。


「だったら、今度はオレがマユを助ける番だよな」

ハルトは決して目線をリタの瞳から離さなかった。そして、自分の言葉を確かめるように話していた。リタはそんなハルトに訴えるように答えた。


「はい。ハルト様に、マユを救っていただきたいのです」


 リタの力強い眼差しがハルトの決心を支えていた。ハルトは一歩ずつリタに近づく。


「オレは必ずマユを助ける。そのためにここにいる」


 だんだんと近づいてくるハルトに、リタは何も出来ず、立っているだけだった。


「だから、世界を選ぶ。今度はオレがマユを助けるために世界を選ぶんだ」


 いつの間にか、ハルトはリタの正面まで来ていた。そして、ハルトはリタに言った。


「リタ、オレはお前と契約する。そして、マユを救いに行く」



※ ※ ※ ※ ※



「う、承りました」


 目線をそらさず近づいてきたハルトに思わず、一歩引いてしまったリタであったが、運命の使者としての役割を思い出すと、必要な手続きを行なうためにハルトを誘導することにした。


「では、本契約のための確認事項がございますので」


 リタはハルトをイスに座らせた。はじめこそ慌てたそぶりを見せていたが、次第に落ち着きを取り戻し、今までと同じ手順で手続きを進めている。


「そう言えば、オレの生体確認ってどうしておでこなんだ?」


 ハルトは生体確認のために近づいてきたリタに尋ねた。


「生体確認は私がハルト様と接触することができればいいのですよ」


「だったら、マユの時みたいに握手でいいじゃあないか?」


 ハルトは最初に見せられた世界で『まゆ』が握手で生体確認を済ませていたことを思い出した。それまで、ハルトはおでこを重ねて生体確認を行なわれていたので、その違いについて問いただしたのであった。


「それは、私の趣味ですよ」


 リタはハルトに笑いかけた。


「なんだ、それは」


 ハルトのあきれる顔をよそに、リタはハルトのおでこに自分の額を重ねた。じっと三秒。


「はい、生体確認終わりました。確認が取れたので、こちらにサインをお願いします」


 頬をほんのり赤く染めたリタは、照れ隠しに微笑みながら、書類をハルトの前に出して署名を催促した。ハルトもリタのあきれた答えに拍子抜けしていたが、表情は笑っていた。ここまで、緊張した場面が続いていたので、二人は一息つくことができた。


「さてと、そろそろ契約期限の時間が近づいていますね」


 サインをしているハルトを待ちながらリタは机の上に置いた懐中時計で時間を確認した。


「本契約完了直前ですが、私に聞いておきたいことがありますか?せっかくだから、契約関係以外のことでも何でも聞いていいですよ」


 リタはハルトを見ながら尋ねた。


「だったらついでだ。契約とはあまり関係ないことだが、もう一つ聞いていいか?」


 ハルトはサインをした書類をリタに手渡しながら話している。


「なんでしょう?」


 リタは書類を受け取り、机の上に置くとハルトの方を向いた。


「お、お前はオレとはじめて会った時のことを覚えているか?」


 ハルトはリタと話を始めたのに、目線をそらすために、左を向き目線を落とした。左腕で頬杖をつきながら、ハルトは左頬をかいている。


「リタ、お前はなぜオレにだな、その、あれだ、なんであんなことをしたのか……」


「あんなことってどんなことですか、ハルト様?」


 リタは首を左に四十五度傾けて聞き返した。ハルトはこんな場面ではあったが、どうしても確かめたいことがあった。


「つまりだな、その、どうして、オレに、お前が……」


 ハルトは自分の顔が赤くなるのを感じていた。突然、美少女が目の前に現れて奇怪な高説を垂れたかと思えば、帰り際にそっとハルトの頬に忘れられない柔らかな感触を残していったのか。ハルトが聞きたかったのはその出来事についてであった。


「あぁ、ハルト様は、なんで私がハルト様にキスをしていったのか聞きたかったんですね」


「……」


 ハルトは沈黙した。リタの心を読める能力の前に、彼は言葉を自ら足す必要がなかった。


「それはですね」


 リタは、一つ咳払いをしてから答えた。


「私の趣味ってことではだめですかね」


「趣味って……お前、まさかビッ」


「それ以上言ったら、問答無用で人生の夢の島送りなぁ」


 ハルトはそこで発言することをやめた。眉だけをピクリと動かしてひきつった笑顔を崩さないリタは、ハルトを睨みつけていた。


「まぁ、もう少しマジメに答えるなら、ハルト様を確かめたかったっていうのが理由ですかね」


「確かめる?」


 ハルトはリタから出てきた予想外の答えに思わず聞き返した。


「そうです。友人であるマユが惚れた男がどんな男か確かめてみたくなった、というのが私の本音です。友人が命を懸けてでも守りたい男が、本当にそれにふさわしい男かどうか確かめてみたい。そんな確認方法のひとつが、あのキスだったって言えば、納得してもらえますかね?」


 ハルトには頭を右四十五度に傾けていた。そんなハルトを尻目に、リタは話を続けた。


「しかし、そんな前のことをよく覚えていましたね、ハルト様」


「いや、昨日の夜、正確には今日の未明のことだから、忘れるはずがないだろう」


「でも、頬に軽くですよ。なんでそんなことを、こんな直前に聞いたんですか?」


 リタはハルトに逆に疑問を投げかけた。ハルトは更に顔を赤くしながら、うつむき加減で答える。


「いや、はじめてだったから、その、なんでかなって思って」


「(うぁ、マジお子様感覚か)……そ、そうだったんですか」


「う、うるさい!」


 ハルトが大きな声を上げると、リタは大声で笑っていた。その声は他に遮るもののないこの空間でよく響いていた。


「けど、それでよかったですよ」


 リタは笑いすぎて溢れてきた涙を手でぬぐいながらハルトに話しかける。


「あなたは、マユに相応しい方です」


 自分の発言に少し頬を赤らめながらリタはハルトに向き合っている。


「いや、オレのどこがマユに相応しいっていうんだよ!」


 ハルトは右手を左右に振って否定した。あの非の打ちどころがないマユに相応しい男なんているとは思えないし、まして、自分が相手を務めることなんてありえない、とハルトは思った。

「あなたは、私のような美少女にキスされても、変な勘違いを起こしたりしませんでした。まぁ、あの挨拶程度のキスで勘違いされても困りますが」


 リタはハルトに目線を送るが、ハルトは反応しない。リタは続けた。


「また、自分が苦しくなるかも知れない方法でも、マユ様のためにその方法を選ぼうとしていらっしゃいます。ハルト様もそろそろ自分の気持ちに向き合われたらどうですか?」


「いや、向き合うって……」


 ハルトはオウムのようにすぐに返事をしたが、後が続かなかった。確かに、ハルトはリタにキスをされても何もできなかったし、今はマユを救うための選択をしようとしている。だが、前者は、ハルトにとってはじめての経験であったからで、後者については、幼なじみのマユを助けたい思いからであった。そして、それ以上のことをハルトは考えてはいなかった。


「いいんですよ、細かいことは。ハルト様、ご自身の気持ちに素直に向き合ってください。マユのことをよく考えてみてください」


 リタはテーブルの上に身を乗り出しながら、ハルトに迫ってきた。顔には人をからかうことを楽しんでいるような、いたずらした子どものような笑みを浮かべていた。


「あなたにとってマユがどういう人なのか。そのことをよく考えておいてください。それがマユを救うヒントになるはずです」


「リタ、それは、どういうことだ」


 リタから出てきたマユを救うヒントという言葉に、ハルトは反応した。


「それ以上のことは申し上げるまでもないと思います」


 リタは乗り出した身を再びイスの上に戻して、いたずらっ子のような笑みを浮かべたまま腕を組んだ。


「リタ、ふざけないでくれ。マユの命がかかっているんだぞ!」


「ふざけるも何も、ハルト様、もう一度よくマユのことをお考えください。あなたにとってマユがどんな存在であったか、マユは今まであなたにどんなことをしてきたのか。そして何より、あなたが見てきた過去の世界で、マユはあなたのことをどう思っているのか既にあなたは知っているはずです。そのことをもう一度よく考えてみてください」


 興奮したハルトに対して、リタは腕を組んだ姿勢を崩さず、ただ、表情を少し固くして話している。ハルトはリタの答えを聞きながら、マユのことを考えようとしていた。


 ・・・オレはマユのことをどう思っているのか?


 ハルトは自分自身にマユのことを問いかけていた。日頃、幼なじみとして接していたマユに、自分は特別な感情を、過去のマユが話していたほどの強い思いを彼女に対して抱いたことはあったのだろうかと、ハルトは考えた。だが、深く考える間もなく、リタが話をしてきた。


「ハルト様、逆に私から一つ質問させてください」


「なんだ?」


 考えることを遮られたハルトは、リタを見た。リタは、また悪いことをした子どものような目でこちらを見ていた。


「私が初めて、ハルト様に世界を選ぶように言った時になんて言ったか覚えてますか?」


「初めて?」


 ハルトは思い出そうとした。しかし、歴史が得意でないハルトは自分の記憶能力の曖昧さに嘆くことしかできなかった。


「よく覚えていないのだが」


「えっ、大丈夫ですか?昨日のことですよ」


 リタは驚いて組んでいた腕を崩して、右手を自分の額に持っていくと頭を振りながらため息をついていた。


「はぁ、ハルト様。しっかりしてくださいよ。私はこう申し上げませんでしたか」


 リタは少し間をおいてから、もったいぶって答えを言った。


「『夢の世界へ行きたくありませんか』って申し上げましたよね」


 リタは左手の人差指を立てて、左右に振りながら答えた。


「あぁ」


 思わず声が漏れてしまったハルトは、昨日のリタの発言を思い出した。


「ようやく、思い出しましたか。だったら、その後になんて申し上げたか思い出してみてください、ハルト様」


 リタはハルトに答えるようにと左手のひらをハルトに見せながら、腕を突き出した。ハルトもそこまで言われれば思い出せる。ハルトは確かめるように話し始めた。


「『夢のスーパー超人はると』になりたくないか、だったかな」


 ゆっくりとハルトが言い終えると、リタは顔に満面の笑みを浮かべた。


「ハルト様、その通りでございます」


 リタは両手を軽く叩いて拍手をした。そして、そのまま話し続けた。


「ですから、なってください。今から事故現場に向かって『夢のスーパー超人はると』になって、あなたの願いを叶えてください。そうすれば、マユを救うことができますよ」


 ハルトはリタの最後の言葉を問いただそうとした。しかし、それよりも早くリタがテーブルの上に置いた懐中時計に目線を落とした。


「ハルト様、残念ながらお時間が来てしまったようです」



※ ※ ※ ※ ※



「ハルト様、最後にこれだけは覚えておいてください」


 時計から再リタはハルトへと視線を戻した。


「この世界はマユが選んだ世界です。あなたが生き残り、そして、マユが犠牲になる世界です。それをマユは『わたしの夢』と言いました。つまり、この世界のことをマユが選んだ夢とでも言えるでしょう」


 ゆっくりとしたリタの話し声を聞きながら、ハルトは自分が見てきたマユとリタの過去の場面を思い出していた。感情的になったリタに対して自分の考えを述べるマユの落ち着いた姿を今一度思い起こしていた。その時に、マユがこの世界を選ぶことが自らの選択であり、夢であることを語っていたことをハルトも覚えている。


「ハルト様。今度はあなたが世界を選んでください」


 リタは座ったまま頭を下げた。


「あなたが世界を選ぶこと、それはマユの願いです。わたしはマユの友人として友達の願いをかなえたい。そして、友達を助けたい。それは運命の使者という役割とは関係なく、私自身の願いでもあります」


 頭を下げたままのリタをハルトはじっと見ていた。


「どうか、ハルト様が納得のできる選択をなさってください」


 昨日まで美少女に頭を下げられたことのないハルトは、頭を掻いていた。


 ・・・こいつは、何度オレに頼みごとをするんだ


 ハルトは自分の信用の薄さに一つ深いため息をついた。


「リタ、オレがお前の期待していない答えを選ぶと思うか」


 ハルトはリタの透き通るような青い髪の頭頂部を眺めながら話しかけた。


「いいえ、ハルト様は必ず、私やマユが臨む世界を選択なさると思います」


 リタは顔を上げながら答え続ける。


「ただ、私の性格や仕事上何度も確かめなくてはなりませんので」


 リタは笑顔で答えた。まるで幼稚園児が書いたような半円の、口角を上げた口元と赤く染めた頬で笑いかけるリタから、ハルトは何も言えなくなっていた。そんなハルトを知ってか知らずか、リタは話し続けた。


「ハルト様、必ずやマユを救ってください。だってあなたは、私の友人が選んだ人なんですから。あなたに全てを託します」


 そういうと、リタは手を二回叩いた。


 それと同時に、ハルトの視界はねじ曲がっていくリタの顔を捉えていた。また、あの激しい空間酔いがハルトを襲った。


「リ、タ……」


 ハルトがその名前を言い終わるよりも早く、ハルトのいる世界は暗転し始めた。


 そして、ハルトは再びあの場所に立っていた。今日で訪れるのは五回目になる横断歩道の手前に立っていた。

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