第1話 ある鍛冶師の弟子
かつて「赤き魔剣の剣士」と呼ばれ、恐れられた男がいた。
彼は戦場を駆け抜け、伝説となった。
そして、伝説となった男は、今、鍛冶師として生きている。
♢
レディは、目の前に並べられた飯へ、食らいつくように箸を動かしていた。
夢中だった。
あの街のチンピラどもに盗みを強要され、そこから逃げ出して以来、まともなものなど何ひとつ口にしていない。
腹の奥はずっと焼けつくように痛み、身体はただひたすらに、食べ物だけを求めていた。
がつがつと、ほとんど噛みつくように飯をかき込む。
けれど――
「……あんまり」
ぽつりと漏れた声は、驚くほど淡白だった。
まずいわけじゃない。
だが、うまいとも思えない。
空腹が限界を超えてしまえば、味なんてどうでもよくなるのかもしれない。
それでもレディの手は止まらなかった。
飢えそのものに背を押されるように、出された飯を片っ端から胃に押し込んでいく。
やがて最後のひと口まで平らげると、レディは小さく息をついた。
「ご馳走様……」
きちんと手を合わせてから、静かに立ち上がる。
そのまま、レディは部屋の中へ視線を巡らせた。
「……鍛冶屋か」
鼻をくすぐる鉄の匂い。
どこか奥のほうから響いてくる、金属同士がぶつかる乾いた音。
それだけで、ここがどういう場所なのかはすぐに分かった。
――カーン、カーン、カーン。
不意に、先の部屋から金属を打ちつける音が響いてきた。
規則正しく、重く、腹の底にまで響くような音。
レディは顔を上げる。
その音に引き寄せられるように、忍び足で廊下を進みはじめた。
足音を殺し、気配を潜める。
やがて、少しだけ開いた扉の前まで辿り着くと、レディはそっと隙間から中を覗き込んだ。
「……っ」
その瞬間、思わず息を呑む。
カン、カン、カン――。
部屋の中では、長身の男がひとり、黙々と鉄を打っていた。
トレントだった。
燃えさかる炉の炎に照らされながら、トレントは一心不乱に金槌を振るっている。
その動きには一切の無駄がない。
振り下ろすたび、火花が散り、赤熱した鉄が形を変えていく。
相当集中しているのだろう。
扉の隙間から覗くレディの存在にも、まるで気づいていない。
ただ目の前の鉄だけを見据え、何かに憑かれたような勢いで打ち続けている。
大きく見開かれたその目は、真っ赤に焼けた刃を映して、赤く輝いていた。
顔中を流れ落ちる汗を拭おうともせず、ひたすら金槌を振るう姿は、鬼気迫るものがあった。
「……すごい」
気づけば、感嘆がそのまま口をついて出ていた。
自分でも驚くほど、素直な声だった。
そしてレディは、いつの間にか部屋の中へ足を踏み入れていた。
気配を殺すことも忘れ、ただ目の前の男の仕事ぶりに、心を奪われるように見入っている。
瞬きを忘れた瞳が振り下ろされる金槌を追い、鉄を打つリズムを寸分たがわず身体全体で刻んでいる。
やがて、トレントの金槌がぴたりと止まった。
熱を帯びた空気の中で、彼は小さく息を吐く。
「むっ」
その時になってようやく、先ほど連れてきた少女がすぐ近くで自分の作業をじっと見つめていたことに気づいた。
「なんだ!」
反射的に飛び出した一喝。
その声は鍛冶場の中に大きく響き、レディの身体がびくりと強張る。
「うわっ……ご、ごめんなさい……!」
肩をすくめるようにして、レディは慌てて顔を伏せた。
その目には、みるみるうちに涙がにじんでいく。
それを見た瞬間、トレントの顔色が変わった。
「い、いや……! そ、そんなつもりは……」
慌てて立ち上がるが、どう取り繕えばいいのかわからない。
大きな体を持て余すようにおろおろと視線をさまよわせ、落ち着きなく右往左往する。
「ど、どうすればいいんだ……」
本気で困り果てたように頭を抱えるその姿は、さっきまで鬼気迫る勢いで鉄を打っていた男と同じ人物とは思えなかった。
そのあまりの慌てぶりに、レディのこわばった表情も少しずつ緩んでいく。
「おっちゃん」
「あん?」
呼ばれて、トレントははっとしたように振り向いた。
「だ、大丈夫だよ」
レディは腕で涙をぐいっと拭うと、不器用ながらもぎこちなく笑ってみせる。
「……そ、そうか」
その言葉を聞いて、トレントはようやく胸をなで下ろした。
鍛冶場に、しばし沈黙が落ちる。
ふたりとも、なんとなく相手をまっすぐ見ることができない。
視線を合わせないまま、
けれど同じ空間に立ち尽くし、
どこか気まずいような、妙に落ち着かない空気だけが静かに流れていた。
「飯は食ったのか」
少し落ち着きを取り戻したのか、今度はトレントのほうからぶっきらぼうに声をかけた。
「……食べたよ。いただきました、おっちゃん」
レディはぺこりと頭を下げる。
「うむ」
短くうなずいたものの、トレントはどこか気まずそうに視線を外した。
しばしの沈黙。
けれど、レディはおそるおそる口を開く。
「……あ、あいつらは」
その問いに、トレントは少しだけ間を置いてから答えた。
「……もう案ずることはねぇよ」
トレントは不器用な笑みを浮かべ、安心させるように言った。
「おっちゃんが、あいつらをきっちりおしおきしておいたからな」
「……そっか、よかった……」
その一言を聞いて、レディの肩からの力が抜けていった。
ホッとした様子の少女を見つめながら、トレントが静かに尋ねる。
「ところで、名前はなんてんだ?」
「レディってんだ」
そう名乗ると、彼女は照れくさそうに笑いながら言葉を足した。
「見た目のとおり、ちっとも“レディ”らしくねぇけどさ」
自嘲気味に呟くその姿に、トレントも思わず口元を緩めた。
「よし、レディ」
そう言って、彼は手にしていた金槌を差し出した。
「打ってみるか」
「えっ……いいのか?」
あまりに唐突で、レディは目を丸くする。
差し出された金槌を前にしても、すぐには手を伸ばせない。
「興味あるんだろ。ほら、やってみろよ」
今度は促すように、ぐいっと金槌を突き出す。
「……オレにもできるかなぁ」
戸惑いながらも、レディはおそるおそるそれを受け取った。
次の瞬間――
「うわぁ、重っ……」
ずしり、と腕にのしかかる重み。
見た目以上の重さに、思わず声が漏れる。
トレントと入れ替わるように作業台の前へ座ると、レディはさっき見たばかりの動きを思い出しながら、見よう見まねで鉄へ金槌を振り下ろした。
カン、カン――。
初めてにしては、意外なほど澄んだ金属音が鍛冶場に響く。
「おっ、だいぶ筋がいいな」
それを見たトレントが、少し感心したように声を上げた。
「へへへ……そうですかぁ」
照れくさそうに笑いながらも、レディの手は止まらない。
「ちょっと教えてやれば、俺なんてすぐにでも抜かしそうだな」
「ほんとですかぁ、師匠!」
パーッと表情を明るくさせたレディが、勢いよくトレントに向き直る。
「おいおい、弟子に取ると決めたわけじゃないぞ」
トレントが苦笑いを浮かべて返すと、レディはニヤリと不敵に笑ってみせた。
「いいえ、もうオレの師匠です! 師匠!」
ひたすらまっすぐな眼差しに、トレントは一瞬ポカンとしたものの、やがて可笑しそうに口元を緩めた。
そうしてレディは、再び勢いよく金槌を構え直した。
カン、カン――。
真っ赤な鉄を叩く甲高い音が、少しばかり賑やかになった工房の隅々にまで響き渡っていった。




