後日譚・素敵な恋の結末(ウィリアム視点)
ソフィアのことが好きだった。
いつからかは覚えていない。でもいつの間にか、ただの『親友の妹』ではなくなっていた。
「さっさと告白しろよ」
「うるさいな、タイミングってものがあるんだよ」
まだ早い。まだ意識してもらえてない。なんてずるずる先延ばしにしていたら。
「あ、ウィル兄様。聞いてください、私、婚約したんです!」
頬を染めぺかぺか笑ってそう報告され、世界にヒビが入り音を立てて崩れた。「だから言ったのに」というルイの視線がぐさぐさ突き刺さった。その日は普段飲まないキツい酒を浴びるほど呑んで記憶を飛ばした。翌日起きたら頭痛が酷いわ現実は何も変わってないわで最悪だったけど。
だから。
「まだ誰にも、お兄様たちにも話してないことです。……私の婚約者のダミアンのことはご存知ですよね」
だから、好機だと思った。
◆◆◆
「ウィリアム坊ちゃま、先月分の報告書でございます」
「坊ちゃまはやめろジェルマン」
プラディロール侯爵家、次期当主の執務室。執務机と書棚が並び、床にはメダリオン柄の紺地の絨毯が敷き詰められている。あとは応接セットが一組あるだけの、そこまで広くない部屋だ。
ウィリアムは椅子に深く腰掛け、老練な執事から手渡された書類の束に目を通した。
街道の補修工事についてだの作物の収穫見込みだのの報告が並ぶ。それらを真剣に読み込んでから最後に一番下にあった報告書を一目見て……、顔をしかめて書類を机にバサッと置いた。
「相変わらずなのか?」
「そちらに記載してございます」
「読みたくないから聞いてるんだ」
「坊ちゃま」
「坊ちゃまはやめろ。……分かったよ」
渋々報告書に目を落とすと、そこにはできることならもう見たくない名前が連なっていた。
ダミアン・デミック伯爵令息、社交界を実質追放された彼は領地で療養することとなった。そして同じく道を踏み外したコリンヌ・ポティエ男爵令嬢は彼と新たに婚約を結び、彼についていった。
彼らは王都から遠く離れた辺鄙な地で慎ましく暮らしている――ことになっている。
「……」
報告書に書かれた文字を追っていく。相変わらずの内容にウィリアムは目頭を揉んだ。
あの断罪劇から三ヶ月。ダミアンが変な気を起こさないとも限らないので、こうして定期的に使者を送り報告させていた。
それによると、どうやら彼は随分と無気力になってしまったらしい。
「どうして、なぜ」と一言だけ呟いてその後はぼうっとしていた、悔いるような言葉を喋ってからソフィアの名前を呼んだ、かと思えばふっと正気に戻り、その間の記憶はないようだ――などと気が滅入るような報告ばかりが上がってくる。
〝領地での療養〟は正しく療養だったのだ。
コリンヌはというと初めこそ泣き暮れていたものの、今では甲斐甲斐しく彼の世話を焼いているらしい。近頃は簡単な料理なら一人で作れるようになったそうだ。
『やっとわたしだけのダン様になりました』
穏やかに眠るダミアンの頭を抱き締めながら嬉しそうに微笑む彼女。
赤い屋根の小さな屋敷の中で、あの二人は今後もずっとあのまま過ごすことになるだろう。
「意外だな。ポティエ嬢は地位と財産に固執していたように思っていたが。“次期デミック伯爵夫人”とはもはや名ばかりだろう」
「両家共に莫大な慰謝料を支払うことになりましたからね。ポティエ男爵は家財まで手放したとか」
「ああ、息子に代替わりして隠居したと聞いた」
「デミック家も跡継ぎをどうするかで揉めているそうです」
「療養に入った当初に比べたら少しずつ良くなって来てはいるようだが……あの状態だとな。当てが外れても見捨てなかったのか、彼女は」
「一度全てを失ったことで、ご自身にとって何が一番大切なのかが見えたのやもしれませんね」
「……そうだな」
欲しかったものを何もかも掴み損ねたことで心境の変化があったのか。それとも……
目を細め、ゆっくり瞬く。ウィリアムは書類の束を揃えると、いつも通り綴じておいてくれ、と額を押さえながら執事に手渡した。
左手の薬指に光るシルバーのリングを撫でる。揃いの指輪を着けた彼女がもうすぐここへやって来る。
彼女に二人の現状を伝えるつもりはない。優しい彼女のことだから真実を知ったらショックを受けるだろう。自分のせいで、なんて罪悪感すら抱くかもしれない。
それに何より、
(万が一にでも『会いに行きたい』とか言われたら嫌だし)
たとえそれが同情であれ良心の呵責からであれ、どんな理由だったとしてもだ。なんて自己本位な考えなのかと我ながら呆れるが、未来永劫この事実は自分の胸の内に秘めておく。
彼女の顔を曇らせないためなら何だってしようと決めているのだ。
◇
「ウィル、こんにちは。ジェルマンさんも」
「ご機嫌麗しゅうございます、若奥様」
「わ、若……。気が早いわ。ついこの間婚約したばかりなのに」
「若奥様か。いい響きだな」
「ウィルまで何言ってるんですかもう」
俺の婚約者が今日も可愛い。
ウィリアムは心の中でデレデレしつつ、表面上は間抜けな顔にならないように取り繕う。
桃色のワンピースに身を包んだソフィアの首元には、ウィリアムが選び抜いたネックレスが控えめに輝いている。
いつもは伯爵家で会っていたので、こうして自分の部屋に彼女がいるのは何だか新鮮で落ち着かない気持ちになる。もうルイを口実にしなくてもいつでも会えるんだよな、と。
執務室よりも広々した自室でソファに座り、おいで、と両手を広げる。ソフィアはジェルマンを気にしてか少しだけ悩む素振りを見せてから、トトト……と近づいてきてウィリアムの膝の上に座った。
「お茶を用意して参りますが、坊ちゃま」
「だから……もういい、何だ」
「婚約を結んだとはいえ他所様の大切なお嬢様です。浮かれてそれ以上変なことはなさいませんよう」
「お前は俺を何だと思ってるんだ」
早く行け、とジェルマンを手で追い払うとソフィアはくすくす笑った。
口うるさい執事が扉から出て行ったのを見届けると、はあっとため息をついて愛しい婚約者を抱き締める。
「会いたかった」
「昨日も会ったじゃないですか」
「毎日でも会いたいんだよ」
一日ぶりの彼女からエネルギーを補充していると、ソフィアはウィリアムの肩に手をつき、彼の額にキスをした。驚いて顔を上げると、ぴとっと胸元にくっついて安心したように目を閉じる。
晴れて恋人(これもいい響きだ)同士になったとはいえスキンシップには慣れていないだろうから、ゆっくり距離を縮めていこうと思っていたのだが。
意外なことにソフィアは積極的だった。
初めて手を繋いだとき、彼女は驚きつつも嬉しそうに照れていた。次からは彼女の方からも手を繋ぎたいと言ってくれたり自分から握ってきたりもした。抱き締めたりキスだって一度すれば倍になって返ってくる。当然こっちはさらに倍にして返すが。
今だってそうだ。照れたり恥ずかしがったりするかと思いきや幸せそうに腕の中に収まっている。
こうなると兄でいた期間が長すぎたせいで心配になってくる。
「……ソフィ。少し無防備すぎないか」
「そうですか?」
「俺だって男なんだから」
ソフィアは(婚約までしてるのに何言ってるのかしらこの人……)と心底不思議そうな顔をして、
「だってウィルになら何されてもいいかなって思う、から?」
と小首を傾げて見つめてきた。自然と上目遣いになっている。
ウィリアムはングッと変な声を出して額を押さえて死に、ソフィアはほろりと微笑んだ。
失恋を乗り越えて強くなった小悪魔に、初恋を拗らせまくった男が勝てるわけないのである。
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