1. 腕の中の見知らぬ令嬢
「ダン様ぁ、いつになったらソフィア様と別れてくださるの?」
「ごめんよコリンヌ。僕もずっと言ってるんだけど彼女が中々頷いてくれないんだ」
よく晴れた日の昼下がり、あちこちに人の姿が見える王都中央の噴水広場。
(どういうこと……?)
噴水からこんこんと湧き出る水の音を耳に入れながら、ソフィアことソフィア・マリーベル伯爵令嬢はその場に立ち尽くしていた。
何故か。
つい先ほど「体調が悪いから」と帰っていったはずの婚約者が、見知らぬ令嬢と抱き合っているところに遭遇してしまったからだ。
◇
デミック伯爵家の嫡男であるダミアンとは一年前に婚約した。いつも穏やかで優しく格好良くて、器量も頭脳も平凡な自分にはもったいないほどの人だ。彼が忙しくて中々会えないことだけが唯一の悩みだが、友人からは贅沢な悩みだとよく言われている。
そんな彼と一ヶ月ぶりのデートである。自分もメイド達も気合いが入り、今朝は普段より三時間も早起きしてオイルマッサージやら泥パックやらで全身つやぴかに磨き、一番お気に入りのドレスを着てきたのだ。肩より少し長いふわふわのダークブロンドは天使の輪ができていて、耳の上でさりげなく編み込みにしている。
「今日もすごく可愛いね、ソフィア」
「ありがとうダミアン。あなたと出掛けるのが楽しみでおしゃれしてきたの」
「嬉しいな。そのドレスもよく似合ってるよ」
王都の中心街まで遊びに来た二人はまず美術館を鑑賞し、予約していたレストランでランチを楽しんだ。その後は街を散策して雑貨を眺めたりワゴンで焼き菓子を買ったりして、足が疲れてきたところで流行りのカフェに入って一休み。さて次はどこへ行こうかしらとカップの中の紅茶を見ながら考えていると。
ダミアンが一瞬だけ辛そうな表情を浮かべ、こめかみを指で押さえているのが目の端に入った。視線を向けると彼は慌てた様子で手を引っ込めて姿勢を正した。
「どうしたの? 頭が痛いの?」
「あ、いや。なんでもないんだ、大丈夫だよ」
「ダミアン、正直に言って。体調が悪いのね?」
ソフィアがきつくならないように目を見つめながら尋ねると、彼は観念したように、
「……実は朝から頭痛がするんだ。でも寝不足なだけだと思うから心配しないで。それより次はどこへ行こうか」
そう言う彼の目元には薄っすらと隈ができているように見えた。
心配をかけまいと無理して笑っているのがバレバレで、ソフィアはゆっくりと頭を横に振った。
「そう……。今日はもう帰った方がいいわね」
「でも、せっかくソフィアと久々に会えたっていうのに……君も楽しみにしてくれていたのに」
「私のことは気にしないで。無理させたくないし、また元気になったら会えばいいのよ」
ね、と微笑むとダミアンはほっとしたように頷いた。やはり相当無理をしていたらしい。
「ごめんねソフィア、また連絡するから」
「うちの馬車で送るわ」
「辻馬車を拾うから大丈夫だよ。僕のことは心配しないでいいから、ソフィアはゆっくり休んでいって。愛してるよ」
彼はソフィアの髪先に口づけして微笑むと、案外しっかりした足取りで去って行った。
「……大丈夫かしら」
ぽつりと呟く。デートが中止になったことは残念だが、それよりも彼が無事に帰れるかが気がかりだ。ゆっくりしてと言われても、残りの紅茶をのんびり味わえそうにもない。今すぐ追いかければ間に合うかもしれない。
(やっぱり無理やりにでも送らせてもらおう)
ソフィアは残りの紅茶を一気に飲み干すと勢いよく立ち上がり、急いでダミアンの後を追った。
辻馬車の停留所は噴水広場の近くにある。きっと彼もそこに向かっていっただろうと当たりをつけて広場へ向かうと、そこそこの人で賑わっていた。噴水の中央にある大きな白い彫刻は初代国王の像で、街のシンボルであり待ち合わせスポットにもなっている。ソフィアが息を切らしながら広場を見回すと、思った通り噴水の近くにダミアンの姿があった。
「良かった、ダミア……ン……?」
声を掛けようとしたソフィアの動きが止まった。彼の腕の中に見知らぬ女の子がいる。
年齢はソフィアと同じか少し下くらいの、小柄で華奢な美少女。
人違い、見間違いだと思いたかったけれど、そのどちらでもなかった。
なんで。何をしているの。その子は誰。体調が悪いんじゃなかったの?
混乱しつつも乱れた息を整えて、バレないように二人に近づく。
美少女は零れ落ちそうなほど大きな瞳を潤ませてダミアンを上目遣いで見た。
――そして冒頭に戻る。
コリンヌと呼ばれた美少女は、ぷくっと頬を膨らませてそっぽを向いた。
「ひどいわ。ダン様はココよりもソフィア様の方がお好きなのね」
「そんなことない。僕が愛してるのは君だけだよコリンヌ、可愛いココ」
「本当?」
シロップをかけた鈴を転がしたような声。はちみつ色のツインテールがふわふわ揺れる。本当だよとダミアンが慌てたように言うと、コリンヌはぱっと笑って彼の胸に頬を寄せた。
ダミアンは蕩けるように微笑んで彼女の頭を撫でている。
どこからどう見ても仲睦まじい恋人同士にしか見えなかった。
(私のことは愛称で呼んでくれたことなんてないのに……)
あんな笑顔だって一度も見たことがない。
愛してると言ってくれはするが、抱き締められたことだって一度もない。せいぜい手を繋いだことが数回あるくらいだ。
どちらが本命なのかは明らかだった。
どうすればいいか分からなくて、割って入って問い詰める勇気だってない。でもこれ以上はもう聞いていたくなくて踵を返そうとすると、彼の声がやけにクリアに耳に響いた。
「ソフィアとの婚約なんて両親が勝手に決めたことだよ。だけど……」
「けど、なあに?」
「彼女には僕しかいないんだよ。……僕がいなくなったらソフィアには何も残らないんだ。そんなの、さすがに可哀想じゃないか」
(――――は?)
思わず足を止めて振り返る。
いつも通りの優しい笑顔を浮かべる彼がいた。
ほんの少しだけ片眉を下げ、困ったな、という顔をして。
「ソフィア様ってそんなに魅力がない方なの?」
「そういうわけじゃないんだけど……今から結婚相手を探し直すとしても、誰からも相手にされないと思うんだ」
「だから別れられないっていうの? 優しいのね、ダン様。でもココには関係ないことよ」
「別れ話をしようとすると泣いてしまって話ができないんだ。なるべく早く別れられるように努力するよ。それまでもう少し待ってて」
二人はこちらに気づく様子もなくベタベタお互いに触れ合っている。
無意識に握り締めていた手が震える。頭の中がぐるぐるして気持ち悪い。頭に熱が籠もっている気がするのに、同時に冷水をかぶったようにスッと冷えていった。胸からヒビが入り全てが崩れ落ちていくような感覚がして、全ての音が遠くに聞こえる。
絶対に泣いてやるものかと唇を噛み、口元を手で覆いながらその場を後にした。




