26-4 待ち続けた者
短いです。すいません。
玉座は、あまりに静かだった。
東京競馬場のパドックを満たす熱狂の渦。その中心で、一頭の馬が、悠然と周回している。彼が歩を進めるたび、他の馬たちは見えざる威圧に道を譲り、あるいは自らひれ伏すように距離を取った。彼の周囲だけ、真空地帯のようにぽっかりと空間が空いている。数万の観衆が発するどよめきは、もはや期待や興奮といった生温いものではない。神の威光を前にしたときのような、絶対的な畏敬の色を帯びていた。
いつからか、彼は「絶対王者」と呼ばれていた。
4歳時は影すら踏ませず、5歳で喫した敗北は、暮れのグランプリでのただ一度。ターフに刻んだ蹄跡は、そのまま競馬史という名の神話になった。
並び立つ者は、もういない。
誰もがそう言った。
それでも、6歳になった彼はターフに在り続けた。
まるで、砕け散ったはずの魂の片割れを、今も執拗に探し続けているかのように。
何度勝とうと、何度栄光を掴もうと、そこにヤツがいない。
3歳時。魂のすべてを焼き尽くすほどの火花を散らした、ただ一頭の好敵手。あの日、暮れの中山で演じた死闘の果てにターフを去った、傲岸不遜な天才が。
「さて、ホワイトフォース。行きましょう」
いつもの、肌の白いニンゲンが背中に跨る。やがて、狭い箱に押し込まれる。鉄の匂いと、隣の馬の荒い息遣い。
怖くはない。
ただ、この閉塞感が、早く終わればいいと思うだけだ。
前の扉が開く。
轟音と光。競争の始まり。
いつも通り、群れの後方で力を溜める。鞍上のニンゲンが手綱を通して伝えてくる意思はただ一つ、「待て」と。ターフを掴みたくてうずく脚を、必死に理性で宥めすかす。風を読み、前の集団のペースを肌で感じる。
・・・遅い
狩りの本能が、疼く。
前を走る群れは、あまりに緩慢だ。
そして2度のコーナーを曲がった先に道は開けた。
「ーーー!!」
騎手の絶叫が脳を揺らし、背中に稲妻のような衝撃が走る。それが、合図。
解き放て。
堰き止めていた激情のすべてを、四肢に注ぎ込む。
世界が、後方へと溶けていく。
風は絶叫に変わり、耳元で悲鳴を上げる。さっきまで遥か前方を走っていたはずの馬群が、まるで置き忘れられた標識のように、一頭、また一頭と視界から消え去っていく。
これが、彼の走り。彼だけの時間。
だが、この孤独な爆発に応えてくれたのは、世界中を探しても、アイツだけだった。
先頭で、喝采の壁を突き破る。
沸き立つ大歓声も、称賛の言葉も、今の彼にはただの雑音だった。
見ろ、フッカツノネガイ。自分は、ここにいるぞ。
この玉座で、勝ち続けている。
だから、早く戻ってこい。
3歳のあの日から、自分たちの歴史は途絶えたままだ。1勝2敗1分け。
このままじゃあ、オレの負け越しだ。
勝ち逃げなんて許さない。
ジャパンカップは、絶対王者ホワイトフォースが、また一つ、孤独な勝利を積み重ねた。
その瞳は、ターフの先、たった1頭の好敵手の帰りを、依然として待ち続けていた。




