九十八話
快晴。式典に相応しい眩しい朝日を片手で遮りながら、城下町の、その広がる裾野を見渡す。どこまでも和風建築でしかない金環国家バージルの首都である。昇る白い煙はご飯を炊くものだろう、和食を興じる家々の空気をなんとはなしに想像する私は一人勝手に頷きながら、
「うむ」
本日のこの目出度き儀を無事終えることを、願った。
(あとは、サトヤマハルカの身柄の保護、今後の確約だな)
すでにもう決まったようなものだが、念のため書面にしたためてもらうのも一考か、などと、金環王子の周りにいる人材の頭数を脳内で弾きつつ窓辺から振り返る。これほどまでに爽やかな朝なのだ、目覚めもすこぶる快調だろう。私と違って。
「おはようございます、殿下」
「……リディ」
ベッドに腰かけるリヒター殿下は目元を擦りながら、大きく欠伸をする。
供の者に着つけてもらっている最中である。そのすんなりとした太ももには明らかに昨夜のうっ血痕が残っていたため、ばっちり目撃してしまった当番の者は喰い入るように見開き、みるみるうちに赤面となった彼は鼻を抑えて唐突に寝室から出て行った。
私は大きく息を吐き、床に点々と落ちていった鼻血を拭いてやらねばなあと雑巾の在り処を探す手間を面倒に思いつつも、続きを行うがために殿下に歩み寄った。
「リヒター殿下、これ以上、我が国の民をたらさないでいただきたい」
「何を言うか、相手が勝手にやったことだ」
「それでもです」
腰を落とし、上着を拾い肩をすくめる殿下に着させてやる。
殿下は素直に両手を動かし、私の言うようにその袖に腕を通した。
「……ちゃんと入浴は」
「済ませた」
「は」
襟首に触れ、掬うようにしてその絹のように滑らかな赤毛を平手で掻き上げ、御前に移動、跪いてボタンを閉める作業に着手、殿下はただ私がやるのを見下ろしている。
手の動きは止めず、目玉だけ動かして見る限りでは顔色は悪くはなかった。むしろ、リヒター殿下のお相手を見送るまで徹夜していた私のほうが、目の下にクマが出来て目元がしょぼついている。
従卒などの者どもが皆、殿下のこの立ち昇る色香にしてやられてしまう確率は非常に高く、情事のあとは特に顕著であった。おかげで私が続きをしなければならくなるがこういう時に限って殿下は、
「殿下、足を動かしてください」
「殿下、そうではなく」
「殿下、私によりかかって二度寝はおやめください」
猫か犬のように構いたがる。
子供の頃からそうだったが、いつか治ると放置したのがいけなかったのか全然収まる気配がない。思春期時代もそう。それでいて普段の王太子らしい態度からは考えられないぐらい、寝ぼけ顔の殿下は言ったら大人しくいうことを聞くのだが離れたと思ったらすぐに引っ付き虫みたいになる。
今回はベッド前に跪いて上着の複雑なボタン操作に集中している私の頭を両腕で抱きしめて私の耳に生温かい呼吸音を聞かせるという、お昼寝体勢――――机の上で両腕に顔を伏せて眠るという、俗に言う一時休憩の文官らとまったく同じ状況であった。書類仕事に疲労した私もよくやるポーズだ。
「……リヒター殿下」
殿下の肩によって私の口は封じられ、籠る声になった。
ため息をつきたくなるのを堪え、渋々背中を軽く叩いて……不敬ながらもその後頭部を撫でながら、絡まることない心地良い赤毛を何回も指間で梳いて堪能してやると、ようやく身じろぎをして離れてくれた。美しき青の瞳が瞬く。
「おはようございます、王太子殿下」
「……おはよう、リディ」
ようやく覚醒してくれた殿下のお世話をし、今日のスケジュールを確認する。
副官殿も一緒だ。
「それでは式典の警護が少なすぎるのでは」
「……うむ」
彼女の言うこともごもっともだった。
応接室にて本国に比べると人数の少ない御前会議を金環国側が行っていたが、曰く、金環側が用意した警護の人数が急に少なくなった、と。それに目ざとく発見、不備になるのではと忠告してくれているのが現在の状況である。
王太子殿下は沈黙を保ったままである。
「……だがな、副官殿。
金環国家バージルでは、あまりにも人手が足りぬようでなあ」
「それは、そうかもしれませんが……」
「あくまでも、金環国主催でやらねばならん。
アーディ王国の関与はあからさまではあるが……、」
私は話を紡ぎながら、金環王子の様相を思い浮かべる。
きっと、自分ひとりぐらい、自分の身は自分で守れると嵩を括っていることだろう。事実ではあるがそれではいけない。万が一ということがある。確かに特務隊隊長としての腕前は知っている。だから分かる、分かるが駄目だ。
これからは王族として、国家の時期王位継承者として立たねばならぬ。国は、一人の人間で出来上がるものではない。知らしめねばならぬ、王位は民のためにあるのだと。
(でないと、今回みたくクーデター起こされてしまうだけだな)
地獄の番犬たる彼、金環王子がしたことは革命といっていいほどのことだった。なんせ、ずっと王に逆らう者がいなかったのだ。
だからこそ、勇者と同郷と目されるハルカサトヤマも一緒に式典に参加することで、箔がつく。それに選帝侯たる殿下の姿もあらばもはやあの番犬はただの犬ではない、王位継承者として十分の資格を持つ。主だった権力者どもは幽閉されているし、残った者は日和見か中立者どもばかり。下手な動きは今の所見せてはいないが油断はできん。
「……そうだな、ハルカサトヤマの護衛として黄金世代を幾人か。
力添えをしてもらおう」
本当は式典会場の前での門番をしてもらうつもりで鬼に金棒だったが、今回ばかりは。仕方のない事であった。
副官殿も、その意見に賛同した。
「はい。では、そのように……」
「待て」
と、ここで意見を挟んできたのは、我らが王太子殿下であった。
殿下は、その麗しい横顔を真っ直ぐに、ただ何やら思案顔ではあったがはっきりとした声で、我々護衛の提案を破棄した。
「適任の人間がいる」
(ほお)
私は驚いた。
「黄金世代の騎士、以外に、でありましょうか。
リヒター殿下」
「そうだ」
紅も引いていないというのに妙に赤い唇に微笑みの色をのせ、私に向かって返す刀で言い放つ。
「金環国主催、の主体性を尊重したいんだろう、リディ?」
「は」
「なら、やはり、あいつが適任だ」
「……それは、どなたでありましょう」
流麗なるリヒター王太子殿下は言明なされた。
「カエシナ」




