九十二話
厨房の隅っこにて、サンドイッチをいただく。和食じゃなかった。
少々がっかりだがこれはこれで美味しかった。そも和食だと決めつけるのも失礼な話だ、反省する。どうぞ召し上がれ! と渡されたお手製を咀嚼するとじわりと滲む胡椒の味。燻製肉や胡瓜などの葉物食材は豊富にあるので、バランスも良い。鳥ガラでとったスープまであるといのだから本格的だ。時間をかけて、コトコトと。
「……美味しい」
「でしょう?」
透明な艶のあるスープはコクがあって顆粒だしとはまた別の味わいがある。ふふふと自慢げなサトヤマさんに、改めて礼をする。
「ありがとう、サトヤマさん。
私の頼みを聞いてくれて……」
鏡みたいに磨き上げられたテーブルにて対面する彼女、やや苦笑気味ではあった。
「リディさんのお願いだったもの。
それに、
……悪い人じゃなかった」
彼女と番犬の遭遇は早かった。
案外と行動派な彼女は早速ながら金環王子のいる宛がわれた新居ともいうべき執務室に飛び込み営業のごとく、飛び込んだものらしい。
それに慌てた金環兵ら、そして、サトヤマさんの背後で頭を抱えている副官殿。当日のことを思い出している模様である。眉間に山脈が連なり始めた……現場の人間でなくて良かった、とちょっとばかり同情する。
……そんな副官ダリアの苦労を慮りつつ、サトヤマさんの言葉に耳を傾ける。
「わたしに頭を下げてきたもの。
後悔してた。申し訳なかった、って。
……わたし、いじめるの好きじゃないし。
だから、蕎麦屋のお爺ちゃんにこの人を許してあげて、って。
あの子にもお願いしたのよ」
あの子、とは小女のことだろう。
訊ねると特徴を教えてくれたし、副官殿も随行していったのでよくよく把握していた。頷き返してくれる。私は、しれっとした顔をしつつ。
(なんと、義理がたい)
内心、驚いた。平和な国に生まれたはずだろうに。とんでもない異世界に招かれ、成長したんだろう。彼女の顔を真正面から改めて見詰める。
黒い瞳には、芯なる強さが煌めいていた。美しい、魅力的な意志だ。
「激怒する人間、って怖いね。
あんなに激昂するって、当たり前といえば、当たり前だけど。
……リディさん、これでよかった?
わたし、間違ってない?」
これから先は政治的な問題である。駄目だったら駄目で、終わりだ。
辛い思いをさせた彼女に、私は力強く答えた。
「……大丈夫、間違っていない。
これでこの国は安定するだろう」
「リディさんにわたし達助けられたから恩返ししたくって。
……そっか。それなら、良かった」
ほーっと安堵している彼女に、私はさらなる現実を突きつけねばならぬことに悲しみを覚える。懐にあるノート。そこに書かれた文章を読めば、彼女は嫌が応にも直視せざるを得ない。
リヒター王太子殿下の前に、私は、彼女にこのノートを手渡さねばならなかった。証拠隠滅、ともいうが。物的証拠がなければ、たとえ殿下といえども私を追及できんだろうという憶測にのっとっての行為である。勿論、バレたら怒られるどころでは済まない。サトヤマさんには、それは私物だと言ってもらおう。もし気付かれたとしたらの話だが。どうせ日本語で書かれた不思議なノートとしか理解できんだろう。サトヤマさんはいくつか私物を金環王子から返してもらったそうだから。
(果たして、壊れるだろうか。それとも……)
私の場合、物心あった頃からの時間があった。長い、長い苦しみの時間が。
「副官殿。
私はこれから、大事な話をハルカサトヤマにせねばならない。
……席を外してもらえないか」
「……大事な話とは」
「日本に帰ることはできん、ということだ」
「……それは、時期尚早では」
「いずれにせよ、話さねばならん。
何故、私が彼女に、サトヤマさんに力添えをしてもらったのか。
それもまた、彼女のためになるからだ。
金環王子に貸しを作る。それこそが、彼女の身を守る盾のひとつにすぎん。
今しばらく誰もこの厨房に入らぬよう、人払いをしてくれないか。
何、すぐに終わる。食事の支度も忙しいだろうからな」
「かしこまりました」
気遣わしげな視線を送られ、きょとんとしている黒髪少女は夢を見る。きっと、私のように。それを思うと、不憫に思う。これから、長い長い、苦しみの果てに、生きるために縋るものを探さねばならぬからだ。
(私が、リヒター殿下を縁にしたように)
きっと、彼女にも、その長い試練に打ち勝つための力があると、私は信じた。
リヒター殿下は金環国に滞在できるうちに、この国で出来ることをしておこうという魂胆だ。なので、さらりと流してくれると期待していたが。
その灼熱の赤毛をさらりと片方に纏めて結んだ先にあるそれ、まさしく遺品である。黄金の蛇が殿下の髪に絡みついて、光に対しその冷ややかな体面を反射している。いや、モチーフはウミヘビだったか。あの海賊の親玉、厄介なものを渡してくれたものである。
「リディ」
「は」
どんな椅子も殿下が長い足を組んで座ると、豪華な椅子に早変わりして見えてしまうのが不思議だ。
「その忍び込んだ奴の話は分かった。
だが……何故、すぐに俺に知らせなかった」
「夜も遅い時刻でしたから」
「そうではない」
膝を折り、なるたけ齟齬がないように伝えているが、まったく。
(殿下は聡すぎるな)
サファイアの砌のお蔭で飛び道具など、私でも対応しづらいものに対する対抗策として素晴らしい防御を発揮してくれるが、リヒター王太子殿下は勇者の血を引く。すなわち、あのノートに書いてあった通りに、勇者の血筋を引く者は、遺品やアーティファクト国宝の、それらの力をさらに強めることができる。
「午前中、に! 何故! 報告してこなかった!」
叱責された。
宝玉の如き青き双眸が吊り上っている。すごいお怒りである。
実際、窓辺を見やると昼はとうに過ぎている。
ハルカサトヤマとの時間が想定以上にかかった、というのもあるが……彼女の嘆きを思い起こす。あとでフォローせねばなるまいて、と。
――――私が遠い目をしていたのを、殿下は鋭敏に悟る。空気が一変してしまった。怒髪天だ。ぴりぴりと肌を刺すこれ、間違いない。
(まずいな……)
相当、これは長引きそうである。気を引き締めた。
「リディ……。
お前は俺の護衛だろう?
何故、離れようとする」
「……はて、距離的には離れてなど」
「腑抜けたことを申すな!」
駄目だ、冗談も何も通じなくなっている。
(これは久しぶりにやらかしたか)
護衛の数は足りているはずだし、公務も今の所恙なく行われているはずなのに。どうやら私がすぐに殿下のもとに馳せ、私の身に起こった変異を報告しなかったことがまずかったものらしい。正論だから困る。
「お前は! すぐに裏からコソコソ手を回そうとする!」
「殿下、別に裏でもなんでもないです。
そも、このサファイアの砌があるから、
コソコソとしておりません。むしろ堂々としております」
「いけしゃあしゃあと……」
(あ、少し落ち着いてきたな)
このチャンスを見逃さない私は、すすすと殿下のすぐ目の前に近寄り、跪いた。
「殿下」
「……なんだ」
「必ず戻ってくるのは、殿下、貴方のところですと、
私は申し上げた。
そして、その通り、私はあなたの傍にいる」
胡乱げだが、私の忠義の言葉に一定の評価は示した様子のリヒター王太子殿下、これにて決着と思っていたら切なげな眼差しで、
「なら、もう少し俺のそばにいろ。
アーディ王国ではいつも一緒だったろう」
こんな忙しない時期に厄介なことを言いだした。
(殿下の近くで護衛は本職だからいいんだが、
長く拘束されてしまう)
今、この金環王国にとって大事な時期である。中途半端に関わってしまった以上、この国にとって何が良いか、できることをしておきたかったのだがな。黄金世代の頼りになる人らがいる現在だからこそ、王太子殿下をお任せできるのだが……私の怪訝さが目の奥にでも現れていたのだろう、顎を掴まれた。
「う、」
「リディ……」
すごい力強さだ。指力、というべきか。
にっこりと爽やかに麗しい顔を維持しながらも、捕まえた指の、その親指で私自身のカサカサな下唇を嬲られる。歯列まで突っ込んでくるのだから、始末に負えない。
「俺の騎士、なんだろう?」
「は」
「なら、決まったようなものだ。なあ、リディ。
これ以上、俺の近くから離れるな。
……お前は本当に、面倒な奴ばかり惹きつける……」
ものすごい至近距離から、また、言われ続ける。
そばにいろ、そばにいろ、そばにいろ。
まるで呪文だ。しかし、そんな洗脳に負けたくはない。同じ言葉を繰り返し頭に塗り替えて動かす手法は昔からある洗脳法だ、私だってやりたいことがある。
美貌王子の、その口調に負けず、引かず、じっと私は殿下の長く赤いまつ毛に彩られた蒼穹の瞳をガン見する。した、が。駄目だった。
「……リヒター殿下。
朝イチで、あなたのもとに訪れる。
ということでよろしいでしょうか」
言いあいの末、そういうことになった。
取っ組み合い自体していないというのに、なんでか疲れ切った私と、非常に満足げな殿下。結局、私は丸め込まれたようである。
(おかげで、私の動く範囲がますます狭まったな……)
リヒター王太子殿下の意図する通りになってしまったように思う。
そもそも、アーディ王国では毎日殿下のもとに朝、訪れてるといういつもの習慣が、金環国では外国だからずれてるだけだというのに。イレギュラーさえも許さない殿下の姿勢に、部下としては従うしか方法はない。




