表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
88/119

八十八話

 人の肌というものは、基本的に生温かい。それでいて弾力がある。

微かな衣擦れの音と共に身を離すと、殿下はぴくりとも動かなくなった。

横顔を彩る赤い髪がちょうど、殿下の整った目元を隠してしまっている。唇の先だけがわずかに開き、浅い呼吸を繰り返していた。


 「……殿下、これでお許しいただけますか」


 見下ろす限りではなんとも。

反応が無さ過ぎて途方に暮れる。

  

 「リヒター殿下」


 無反応なので耳元で囁くが、微かに身じろぎするだけだった。

 (どうしよう)

 全然、動かないんだが。純白の敷布をぐっと握りしめる指の強さから察するに意識はあるようだが、私の問いかけには無視する方向の模様である。さながら、まな板の鯉だ。

豪奢な設えの寝室、静かだな、と思うさ中、リヒター王太子殿下のご命令をなんとか遂行せねばならんが……それが私に適していない場合、これがまた大変難しい問題だ。出来うる範囲でしかやれぬがやってみた結果がコレである。殿下がどこぞの誰かにしてやったキスの物真似をしてみたところ、案の定、私は下手くそであることを再認識した次第だ。

 (やはり私如きでは殿下を満足差し上げることはできんな)

 そもそも、覚えがない。それなのにどうやって相手を楽しませることができようか、いや、できまい。練習試合さえこなしていない人間が、実戦に立ち向かえるはずもなし。今の私は素人同然である。ある意味経験豊富な殿下に私が勝てる要素はまったくもって一ミリたりとも存在しない。

(私を所望されたが……)

 掘ったり掘られるのは知ってる。伊達に殿下の閨の番をしていない、扉越しの艶事を聞かされ続けたせいで耳年増になってしまった。とはいえ、その道筋も暗中模索だ。そも、どうやって至れば良いのだ。興奮ってどうやるんだっけ。血でも見ればいいのか。戦場であればいくらでも叫ぶことができるんだが。

 (分からん。分からないことだらけだ)

頭を抱えたくなった。混乱し、唸りながらも想像できない。これ以上、何をすればいい。ナニか。だが、私は。

 想像した。

明らかに、無理だとしか思えぬ己自身の始末を。 

 ぐっと息をのみ。

 ――――降参した。


 「殿下、もう無理です。私にはできません……」


 白旗全開。項垂れて告げる。

ベッドから降りて膝づく私は、謝罪を告げることしかできなかった。

 ゆっくりと半身を起こし、頭を下げ続ける私に降り注ぐ言葉は、果たして。

身が竦む思いだ。結局私は、殿下のご期待に添えなかったのだから。ぐっと拳を握りお言葉を待ち続けること、しばらく。


 「……相分かった。許す」


 ぱっと仰ぎ見れば、受け入れてくださったリヒター王太子殿下。

麗しの顔はどこか疲れ切っている。赤毛を片手で掻き上げ、ため息をつかれておられた。

 

 「…………リディ」

 「は」

 「……次は、無い」

 「……は」


 コンティニューは一回こっきりのようである。





 片手で退出するよう振られたため、私はその指示に従う。

ハルカ・サトヤマの件はやや棚上げ状態ではあったが、リヒター殿下からあふれ出す空気の悪さに居たたまれず、これ幸いと思い、廊下へ出てしばらく歩き……途端、ふー……、などと。腹の底から二酸化炭素を思う存分排出したものである。

 本当に、勇気がいることだった。

武骨な私が。このような接触なんて。指先の挨拶程度しかしてこなかったのに。ハグだって、だたの慰め。互いに互いの健闘を祈るだとか、そういった健全な意味合いでしかなかった。私の人生において私自身を求められることなんてびっくりするほどなかったものだから人との接触なんて、少々接触過多だなと思う程度の、異世界流の挨拶にすぎなかった。だから、もしさらなるものを求められでもしたら平静に断る部分があったのは認めよう。私はそういったことに関してはからっきしだし、興味がなかった。

 けれど主君にそれ以上を求められたら、話は別だ。戸惑いはするだろうが、やりはするだろう。やろうと努力はするだろうが、それもこれも忠誠心からの義務であり、遂行までできるかどうかは不明だが頑張るだけで本心ではない。

 だからこそ今回、私はグレーゾーンを突っついた……直接、ナニを命じられなかったから。そこに賭けた。

 もしかすると見透かされていたのかもしれない。私が、実は嫌がってたことに。人と人との接触が苦手だってことを。そして、貫通したことさえにないってことも悟られていたのではないか。二十歳も年下のリヒター王太子殿下に。経験豊富な彼に。

私は、なんてみっともない歳の取り方をしてしまったんだろう。年上なのに。年下を指導できないなんて。

 嗚呼、

 

 「恥ずかしい……」


 掠れた声と共に、こみ上げてくる羞恥。

ぐいぐいと両手で顔を覆う金髪碧眼のおっさん。四十歳。

 (そもそも何故、首に……)

 多分、ただ単に目に入ったから、としか言いようがないが。

骨の浮き上がった白い肌のさまがまざまざと脳裏に蘇ってきて、感触さえも唇に戻ってきた。お蔭で、身もだえしたくなるがそれは他国ですべきことではない。

 (馬鹿だ……どうしようもなく。何故、殿下に諦めるように、

  別の提案を提示できなかったのか。

  もっと辛抱強く交渉を重ねなかったのか)

 いくら忠誠を誓った相手とはいえ、あまりにも言われるがままだった。

それは悔しさからなのか、頬に熱が集まる照れゆえなのか。伏せた視線、襟首にはサファイアのみぎりがあり。その存在感に胃が縮む思いをしつつ、自分自身のことなのに訳も分からず動揺した顔を引き締めながらも、夕闇の人影を引きずって歩き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ