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八十七話

 幼馴染スパイみにはよく言われたものである。


 「お前、ほんっと、殿下を可愛がりすぎ」

 「そうか?」

 「甘やかし過ぎだ。

  リディ、ちったあ、

  あのお方から離れたらどうだ。

  大切なのは分かるがな、

  朝から晩まで、寝る時まで一緒なんて、

  熟年夫婦だってそこまでしねぇよ」


 ――――目に入れても痛くねぇにもほどがある。

 警告された言葉を真摯に受け止め、殿下とはそこそこの距離を置いたようには思う。それから、だったか。机仕事が増やされ、王城より出られる時間は失われ。挙句の果てに王太子殿下はその身分に釣り合わぬほどの情事をあちこちで展開、まさしくその美貌を振り撒いた。私は護衛騎士なので、初めは一体何が起きたのかと思った。

 私は正直なところ、性欲が薄い。

いや、そうならざるを得ない、というべきか。

 女という意識のまま男の身体に生まれたという現実は、あまりにも私を俯瞰させ過ぎた。異世界ということもその拍車をかけたであろう。

 すなわち、私は、私という人間を、常に一歩引いてみるような癖がついてしまったのである。

 (男とは、どういった生き物か)(女っぽくならないようにしないと。……仕草や座り方が、オネエっぽいかもわからん、精進、努力、精進……)(もっと合理的に生きねば)(剣技を磨くのは楽しい。同僚と切磋琢磨すると、より自分が強くなったと実感できる)(鋼鉄の騎士? ……そうか。他人には我慢強く見えるものらしい……ガタイの良い男だからか。いや、平均より身長はあるから見た目から揶揄したものかもな。威圧的に見えるのかもしれん)(責任を持つということが、誇らしい。認められるのが自尊心をくすぐる)(それにしても、男の身体は非常に便利だな。不便、といえば。そうさな、時折、股ぐらが濡れることだけが気がかりだ。最初、病気かと思ったが……女の生理と考えれば良い、どうせ使い道のない生命の源だ、いずれ枯れる)(私の初恋を尋ねられたが……、そうか、殿下もとうとう思春期に。そういった御歳か。これは目出度い)

 

 「赤飯、炊くべきか……」


 などと呑気に捉えていた。しみじみと、自分も歳とったな、なんて考えてる場合じゃなかった。そのうち、男を相手にし出したものだから。

 (あれ、今回のお相手女性じゃ……)(いや、前は女だったよな。見間違いではない)(……お諫めしよう。殿下は王太子だ。色事ばかりかまけられては不味いぞ、将来的に)(……頷いておられたが、ご理解いただけただろうか)(分からん)

 大丈夫か、なんて不安視もしていたがいずれ現実を目の当たりにするだろうと楽観し過ぎた……まさか、悪化の一途を辿るとは。

 伏せた眼差しの奥にある、欲情した青い双眸が私の奥底を捕えようとしていた。まさに、私を。

喉の奥がひっくり返りたがって、懸命に酸素を取り入れようとしているが。ひゅう、ひゅうと良くわからない喉笛が、出てくるばかりだ。

 (まずい)

 このままでは、私はなし崩し的に……。それは、とんでもないことだった。私は、彼を教育した責任者としての立場がある。

 口づけされそうになるのを回避しようとしたが、すでにミリ単位で接近されていた。顔を斜めにし、さらりと垂れる赤毛が私の顔にまでかかっている。私の金の髪にも混じり合いそうになっているし、接触のタイミングがもうすぐ目の前、直前であった。息さえも。

 (く、)

 リヒター殿下の瞳が、ゆっくりと瞬く。

 緊急回避だったが、仕方ない。

位置的にもう逃れられる術はなかったので、私は。

 倒れた。後方に。


 「……リディ?」


 急な動きに驚いたのであろう、ぽかんとした表情をしてみせる殿下に、私はベッドに仰向けになった状態のまんま、ほっと息をついた。

 (あっぶね)

 タイミング的にも、あと少し決断するのが遅れていたら。

確実に私はしてやられていた。あの時、殿下に閨ごとの最中に呼ばれ、がっつり口づけされていた彼らのように。彼らは老いも若きも皆。皆が皆、殿下に吸われ、恍惚な表情を浮かべていた。

 思い出し、背筋が凍る。今の私には未知の領域だった。

自らを慰めることさえ試したことはあるにはあるが、面倒になってしまって放置して垂れ流し状態の、まさに禁欲生活をこなす私には、睡眠欲が何よりも最大の癒しだ。だから、彼らが何故そこまで無防備に体を晒してまで性欲に邁進するのかが理解不能だった。第一、男の身体でどうやって欲情すれば良いのだろう。まさしく、殿下に任せて天井のシミを数えていたらいいのか? この、ぞわぞわとした感覚は怖い。


 「……リヒター殿下。

  私では、不足です」


 ふわふわとしたベッドに身を沈ませたまま、私は王太子殿下に降参する。

 ――――無理だ。どれだけその情欲な瞳を向けられようとも、私ごときでは、殿下を満足にさせてやれない。


 「リディ……」


 切なげに私を呼ぶ彼の願いを叶えてやりたいが、そもそもが私はおっさんである。肉の盾程度がせいぜいの武骨な騎士だ。ずっと、このお方を守るためだけに仕事をしてきたのだ。とうが経ち過ぎている。

 

 「殿下を満足させるお方をお呼びします。

  それで、」

 「嫌だ」


 間髪入れず、殿下は私の言葉に被せてきた。事実、仰向け状態の私にその御身でもって四肢を張り、私を見下ろす姿勢になった。

 ――――リヒター王太子殿下の背後から覗く天蓋には、シミがないのが実に良く分かる。


 「リディがいい」

 「殿下」

 「リディ、君から誘ってきたことだぞ。

  たがえるつもりか」


 (ぐ)

 ぐうの音も出ない。

そうだな、私は確かに、幼馴染みの警告通り、殿下を子供扱いし過ぎた嫌いがある。あの金環王子にも情操が通じたから、同じ目線で彼も見てしまったようだ、私からしてみれば二人ともだいぶ年下になるものだから、軽く振る舞い過ぎたのかもしれん。

 それもこれも、私の体躯が立派なせいなのもある。

実際、こうして上から見下ろされる体位ではあるが、観察してみるとやはり、殿下は私より一回り小さい。正直な話、そういった閨ごとに合うような体型には見えぬ。が、そんな私を、殿下はご所望のようであった。

 無言のままでおられる殿下。

 その麗しいお顔立ちが、再び最接近を果たそうとしている。

 

 「で、殿下?」

 「……うるさい」


 まずいどころか、王配までも接近してくる予感がした。

 (……おっさんが、栄えあるアーディ王国の配偶者……)

 なんともシュールな絵面ではないか、しょぼくれた顔をした老いたおっさんの横には、見事な美貌でもって世界に名を馳せる赤毛の王子様がおられる。未来に思いを馳せるや、私の総身が早々に震え上がった。駄目だ、それは。それ以上は、いけない。想像した先は、どう考えても、同僚や王陛下らの冷たい視線が私に向かってくる。教育係としてのお前は、我が愛息をどうしてくれたものか、と。だから言っただろ、可愛がり過ぎだと言い張る幼馴染みの呆れた声も滲んだ。そしてそれは、金髪碧眼のおっさんを可愛がる宣言をしたリヒター王太子殿下にも向けられるだろう。手籠めにされたおっさん、立ちあがる術なし。

 瞬間、私はぎり、と強く噛み締めた。

 ……これ以上時間をかけると殿下に優位に立たれて誤魔化しきれないので、やってしまおうと思った。

深く息を吸い込んだ私は、ちょうど手近にあった殿下の衿首を強く掴みこんで私のほうへ引き込み、彼の脇に利き腕を突っ込む。そして、半開きになった殿下の股下に片足を絡ませ、反転。一気に、袈裟固めを決めた。


 「ぐっ」


 潰れるような声を発し、私の体重の乗った足技に対応しきれず仰向け状態になった殿下。涙目で見上げる彼に、私はなんとも申し訳ない顔になってしまう。


 「リディ……!

  何をする!」

 「申し訳ございません」


 (青年にあれこれと我慢させるのは酷だろうから、私よりは玄人に頼んだほうが……)

 と考慮しつつ、しかし、この状態のリヒター殿下を呼び寄せた彼らが御相手仕るには、少々、不機嫌にさせ過ぎた。

 怒りの感情に支配されつつある殿下の御尊顔に、閨はさて、どうなるだろうか、と。暴力沙汰になりそうだった。それに、翌日のご公務にも支障をきたしそうである。不満が募りすぎている。

 (それもこれも、私が悪い)

 身動きできず、私の決めた技からもがく殿下。私の腕の元で、殿下の燃え盛る赤毛が乱れる。動くたび、彼の怒髪天が近づいているようで困った事態になってしまった。


 「殿下……」

 「離せ!」

 

 しかして、その命令に従う先が恐ろしい。

仕方なく私は、彼の柔らかそうな首筋に、そっと口づけをした。

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