八十二話
案の定、私を見る目は一変したようである。
蔑視の目は別にどうだっていいが、遠くからのひそひそとした小声は耳に入るからタチが悪い。直接私にぶつけに来いと思ってしまうが、彼らは決してそういうことはしないで嘲笑するばかりである。
せっかく体調が回復しての職務だというに、なんたることか。
(それもこれも、二人の王子方が悪い)
もっといえば、あの変な噂だ。
私とリヒター王太子殿下の醜聞である。
実にそんなことはない。無いのに、リヒター殿下は決して否定しなかった。
曖昧に笑うことで相手がどういった想像を張り巡らせるのか、分かっているはずなのに。そのままになさっている。
おかげで、私とリヒター殿下はデキているという噂が、世界中で分散してしまっている。当たり前の常識、みたいな知識として、相手の王侯貴族にまで認知されてしまっている現状である。
痛い。
とてつもなく、痛い話だ。頭痛がする。
思わず回廊の只中に立ち止まり、眉間の間を解す。
(嗚呼、どうしてこんなことに)
眼を閉じ、邂逅巡らすが、ちっとも理由が分からない。
(否、メリットはあるにはあったが)
私が殿下と居るのは公然の事実のように扱われるので、護衛職務が便利になったのである。リヒター王太子殿下の居場所は誰かが必ずといっていいほどに率先して教えてくれるのでたちどころに判明するし、他国に出張していても、部屋が基本、両隣の場所を用意される。ある意味、便利な噂ではあった。
だが、これはないだろう。
「ほら、あれ、あの方」
「あれがうちの隊長とねんごろ……」
「すごく手が早い……若者ほど餌食に」
「やべぇ、目が合ったらヤられるぞ、逃げろ!」
(恨むぞ……殿下)
ただでさえあった噂に、悪い意味が脚色されてしまうとは。私の精神的な意味においてもたまったもんじゃない。流石の私も打ちのめされる。金環国に来るたびにこの調子では、やってられない。
また誰かの足音が遠くで立ち止まり。噂の私を目撃して戸惑ったのだろう、
どうせ逃げ去るとばかり思っていた。しかし、そうではなかった。
むしろ、その回廊を響かせる靴音をさらに高らかに響かせ、駆けるようにして私の背後に近づいてくる――――走り寄ってくる人物の存在に、私は異変だと思い、振り返る。
「オイ、もウ、回復したノか!」
今回の噂の元凶の片棒である、特務隊隊長兼金環国の王子様が正装の質の良い軍服を纏っていた。服装自体、昨日と変わらぬが良い目鼻立ちにその服は明るい王城内でもよくよく似合った、が、その斜めにかかるマントを宙にたなびかせてまで私の上半身にぶつかってきたものである。
「ぐ、」
(た、体当たりはやめろ!)
足を止めると思っていたのに、予想だにしていなかった頭突きダイブ。全力で彼の体重が体ごと私のほうへと伸し掛かってくる。そのせいで、私の体はひっくり返りそうになった。受け止めきれずにいたのだ。
(ぬ、)
が、私の体躯はなんとかこらえてくれた。
引いていた後ろ足がストッパーになり、両の手で彼の頭部を抱き込み、なんとか体位を安定させた。肺が詰まるような感覚を受けたが、呼吸はいつもの調子を取り戻すことに成功した。それにしても、病み上がりになんという仕打ち。
見下ろす私の腰に縋りつき、鍛えたゆえに固いとしかいいようのない胸部にぐりぐりと頬を擦り付けてくる。可愛らしいつむじがみえる辺り、まるで犬のようである。
それも、興奮状態のアホ犬。
「……落ち着け」
その微笑ましい頭部をぽんぽんと叩いてやると、人の両腕の中に収まったまま、微動だにしない。
「ヘヘ、ヨカッタ……。
急に、消えたから……、
びっくりシたんダ」
なるほど。それで、会得がいった。
何故、リヒター王太子殿下に喰ってかかったのかを。
「私のことを、気にしていたのだな」
柔らかな髪質はことの他なめらかで。梳いてやると毛艶が良かった。
「ドウしたのカと思って、ナ」
「そうか……、
心配かけたようだな、すまない」
「別に。
悪イのは、アイツだ」
そうして、じっと私から離れずにいる。
唸っているあたり、本当に犬かもしれない。
「……ただ、あのクソ王子の匂いがするのガ、気に喰わんガ」
回廊から先にある玉座の間へ、私と金環国の王子様は向かっている。
とにもかくにも、王太子殿下との対談をせねばならぬからだ。
一応だが、念のために聞いておく。
「ちゃんと情報を整理して、話すポイントや詰める話、
融通するところや、妥協するところとかを、
決めておいたか?」
「……そこまで考えるノか」
「いや、私が考えすぎなだけだな。悪い。
だが、一定のラインを決めておくのは良いぞ。
それで、相手が飲めないと馬鹿にしてくるなら、
交渉は決裂だと、テーブルを蹴ってしまえばいいのだから」
「……それっテ、喧嘩別レになるだけだロ」
「そうでもない。
相手にだって、決めてしまいたい時だってある。
そうしないといけない時期も。
だからこそ、情報は大事なのだ」
そう、そうやって、我がアーディ王国は生き残ってきたのである。
あまり、金環国の王子様に偉そうな口は利けんが。
回廊の、以前通ったときと同じ涼やかな風を感じつつ闊歩する。
私たちの後ろ、少し距離を置いてだが、二人の護衛の視線を感じる。
筋肉ダルマ君と、細身君だ。
金環国の王子様の豹変ぶりに戸惑っている様子ではあるが、感情が爆発したかのように躁状態になってしまった彼を遠巻きながらに見守っている状況である。
(護衛の任務を遂行するだけに、現在留めている最中だな)
多分、この金環の隊長殿にあれこれと進言はしているとは思うが、それでも彼は私から離れようとはしなかった。決して。
それが、これからの対談にどういう影響を与えるか。
私の衿に居座るサファイアの国宝は大した光もせず。沈黙を保ったままである。
(殿下は約束を守るだろう。だから、心配はしていないが)
無事に王としての道筋を整えることができれば、とは思っている。
それで、この三人組の命も守れることだろうと、黄金の扉に近づきつつある現状、楽観的に捉えることにした。でないと、やってられない。
「金環国の商家では、園芸が流行っているのか。ほう」
「オレは芸術ノコトナンテ、良くハ分からないケド、
綺麗な庭づくリをシテ眺めるのが趣味ナ輩ガ多いラシイ」
「ほほう」
「ソレト、甘いモノダナ」
「公園か? あの、王都の端っこにある」
「ウン、アソコだ。
とても静かデ、お団子ガ美味イ。
仕事中に食べに行くノガいイ」
「お茶も一緒に呑むと格別だな」
「アア、それに、それにナ……」
話は尽きることがなかった。
一方的に話題を提供してくれるのは、以外にもこの王子様からであったが、別に嫌でもなんでもなかった。彼は、なんとも子供帰りしたかのように、その眼をキラキラとさせ、純粋な笑みを私に振り撒いた。
初対面のときとのギャップが激しすぎて驚きではあるが。
だが、本来の姿は、このように王子様然とできる彼であったのかもしれないと思うと、彼の生い立ちが偲ばれた。
想像を絶する。
彼もまた、母に嫌われて疎まれているのだということを。
そんな少年に懐かれた私は、どこか、母性というものが残っているのかもしれない。虐待を受けた子供は、たとえ親からどれほど倦厭されようとも、尽きぬことのない愛を求めるという。執着に近いそれは、子供本人もどうしようもない、優しくも物悲しい感情を彷彿とさせた。
それを今、満たされている最中だとしたら。
(私の独断でしかないが)
果たして、無事にアーディ王国に帰れるだろうかと。
ふと、頭の片隅によぎった。




