八十一話
起床。
木製ではない鉄製の、ぐるぐると螺旋巡るバネのように跳ね起きるのが騎士である。が、今の私はすこぶる快調ではなかった。寝るのは飽きたが薬の効用によるものか、身を起こすのが妙に億劫なのだ。ただ、幸いなことに熱は下がったみたいで、澄み渡るかのように頭の中が新鮮で気持ちがリフレッシュ。大事なことなので二回同じ言葉を使ってしまったが、このままでは二度寝、三度寝を敢行しかねない境地に陥っている。正直、もう仕事したくないと思ってしまいかねない。
怠惰は大好きだ。いつまでも、そのままでいられたらこれほど楽なことはない。人間の脳は、安定を好む性質がある。
(起きるとするか)
空間を仕切るための天蓋から幕は横に移動してひとまとめに結ばれており、豪奢な部屋が一望できた。窓辺からは涼やかな風が入り込む。カーテンがひらりと舞い、広い室内と家具の程度から、ここが相当な客室であることは明白、モロバレである。
そんな早朝、とは言い難いが、イの一番で目に入ったのが、眦を釣り上げた我らが副官殿であった。整理整頓が趣味な彼女の恰好はやはり、びしっと決まった騎士の正装である。詰襟がとても、教官っぽい。キビキビとした動きであちこちを歩き回っていたが、私が起きていることを気付いた途端、ぴたりとその動きを止め、
「サトゥーン団長!」
カッカッ、と磨き上げられたブーツの踵を高らかに床に叩きつけるかのように歩く彼女は、半身を起こしてぱちくりと瞬いている私に近づき、大きく肩をいからして酸素を思いっきり吸い込んだ後。
「……おはようございます」
「あ、ああ、おはよう……」
眼鏡を陽光にテカらせ、騎士の正装を身に纏って軽く頭を下げた彼女、きちっとしている。
「お具合は?」
「熱はない。下がったようだ」
「それはようございました」
「ああ」
彼女はベッド脇にあるコップや飲み物の量の目減り具合を確認したのち、
「王太子殿下からは、騎士団長の調子が良ければ、
今後は殿下と行動を共にするようにとの仰せでしたが」
「そうか。
……殿下には申し訳ないな」
まさか、ここまでしつこく熱に追い回されるとは。
(まあ、最初の時点で、ちゃんと微熱を完治させなかったのが、
ぶり返す最大の要因であったな)
頷き、副官殿に話を続けるよう促す。
「では、本日の王太子殿下のご公務内容をお伝えしても、
よろしいですか?」
本日の業務内容を語る。
「……リヒター王太子殿下と金環国の王子殿下の対談、
それと並行して王位継承の話し合いがもたれます。
恐らくですが、立太子の話にまで及ぶことでしょう。
その間、護衛に関してですが」
テキパキと紡がれる話を耳に入れ、いくつか必要なことを追加する。
「……そうだな。
剣や拳を交えた限りでは……、
金環国の兵は脆弱な部分もあるが、明らかに実戦不足だ。
うちの国がある程度補強すれば疎かなことにはならんだろう。
二つの騎士団のうち、一つは金環国の王都城内に、
そしてもう一つはいつでも我が王太子殿下を迎えに来られるよう、
王都外で威圧しているんだったな」
「はい」
「万が一な場合は挟み撃ちか……うちの騎士団は今どうなっている?」
「国王陛下の防衛に関しては、抜かりなく」
「……つまり?」
「金環国では実質、副官たるわたしだけです」
騎士団長と名乗る以上私にも所属する騎士団がある。基本、王太子殿下を守るために存在しているものだが、副官の話によると、アーディ王国でお留守番をしているようである。王太子殿下の御下命でも受けたか。待ち続けるように、と。
(まあ、黄金世代もいるしな)
金環国にやってきた騎士団に仕事を任せられる同僚が近くにいるというのは、何よりもありがたいことだ。
王太子殿下をお守りするのに私の団員たる部下らがアーディ王国で燻っているのはいかんともしがたいが、一個師団が城内に入り込んでいるのだ、まあ、なんとかなるだろう。多分。
(そもそも、王太子殿下自身が強すぎるからな)
私のみならず、黄金世代らの薫陶を受けた若武者である。
その美貌で目くらましをして蝶のように刺す、程度に楽なコンボだ。おまけに国宝使いとしてあらゆる奇跡を起こすわ、あちこちで姿を唐突に出現させて護衛を置いてけぼりにするわ、天才頭脳は一度見聞きしたことは忘れないわ、世界的にファンが多くて少しでも傷をつけでもしたならば、一生お外を歩くことがかなわないであろう、チート級の世界的ファンを多く抱えるアイドルのような王族である。
敵としては、絶対に会いたくない。
(はっきり言って、隣国に城を明け渡した感のある、
城内に敵はいないだろうが……)
ただ、何かがあってはならん。
それに、あの番犬の動きが気がかりだ。
(私は途中までしか覚えていないが……)
あんな、無表情をしている少年をどうアフターケアをすればいいか。心のケアをつい、考えてしまう私は、実にお人好し、なのかもしれない。
「副官殿、金環国の隊長殿は、どうされているかな」
「金環国の……、地獄の犬ですね」
「ああ」
「彼は王太子殿下に言いがかりをつけ、
ひどく叱責を受けていましたが、何か」
「は?」
ナニ? 私の頭は真っ白になる。
え? なにそれ、美味しいのかな。その、叱責とやらは。
「いったい、何が起きたのかね……」
「はっ」
私は、眉間にバベルの塔を建築していない副官殿からの情報提供に、感涙をしなければならなくなった。勿論、心の中で、だが。
(あいつ!)
私の脳内には、馬鹿犬の顔がありありと思い描くことができた。
15歳! そうだ、15歳だ。あいつは。
王太子殿下にとっては、言質をとりやすい恰好であっただろう。なんせ、黙って立っているだけで、相手が自ら失点を稼いでいくのだから。
(なんてこった……)
私は項垂れた。
「団長?」
「……ちなみになんだが。どういった理由で」
「はっ、犬曰く、
騎士団長を返せ! とのことで。
それに、王太子殿下は、
いいや、リディは渡さない!」
以前褒めたことが災いしたものか、彼女は声真似をしてくれた。前回よりもやや、気合の入った身振り手振りというスペシャルサービスつきである。
私は呆気にとられて口があんぐりと開きっぱなしであった。閉じる気配がない。
「という、修羅場のような有様で」
なんだろう。気が遠くなりそうだ。
まさか、いい歳こいたリヒター王太子殿下までご参戦とは。
いったい、どういう風の吹き回しだ。
「団長? どうされました」
「一つ、聞いていいか?」
「はっ」
私は一縷の望みをかけて、問い正す。せめてひと目の少ない場所ならば。
「その、副官殿が言う修羅場が起こった所って、どこだ」
「王太子殿下が冷えた水を欲しいとのことで、ご所望されたため、
美味い水が出ると評判の王城の厨房……、
井戸の近くですね」
「そう、か」
「ですが、なかなかの人だかりができてしまいました。
近くに金環国兵らの練習場があったようで。
それに、我がアーディ王国の騎士らも集まってきてしまい、
なかなか収束できず。騒いで騒いで、大変でした……。
団長、申し訳ございません」
副官殿は沈痛な面持ちである。
「……その、殿下をお諫めできなかった。
家臣として、とんでもないことです」
「…………仕方ないだろう、何せ、あの殿下だ」
私は、片手で額を抑える。
熱はない。だが、今後の未来が容易に想像できて、暗澹たる気持ちになる。




