六十七話
ぴんと張られた縄をぶつりと切られた。
ズ、ズ、と、溝を軋ませる擬音が頭上から聞こえたと思ったら。
ジャラララララ、
と。
刃物特有の、滑る音がした。
背筋が震えるほどに気持ち悪い響きだ。
剣と剣をぶつけ合う衝撃音は高揚感もあってか聞きごたえあるものだったが、こればかりは。
いくら私だって死を前にすると、あらゆる死別を経験してきたはずの心が竦みそうになる。訓練や酷い理不尽な現場、凄惨な場所を踏破して鈍麻化していたはずなのに。やはり、魂が嫌がるのだ。
死ぬのは、怖いと。
立派な騎士を目指し騎士団長となった私の最期を飾るにしては、正直、相応しい死に方ではない。
(ただ、これにて、私の目的も大方達成する、か)
誰かの声がする。
ひ、とか。
こんなにも距離があるというのに、金環国住民らの密やかなる声が、このような高台にあるギロチンにまで届いた。
人は、死にかけると、脳がゆっくりとしたコマ送りの世界を見せることがある。ソレかもしれない。あるいは、死を前にする走馬灯……、否、聴覚が研ぎ澄まされているということは、神経が集中しすぎているということ。世界のすべてがゆっくりと動く体験を以前したことがある。シナプスの運動によるものか、もしかすると、その過集中が今、私の中で起きているのかもわからない。まあ、いずれにしても。
タイミングを誤れば、サラバ。
私は、博打のようなそれを、してのけたのである。
遅々とした、私を中心とした世界。
今の私は首を刃物の下に晒し、両手を後ろに回され。
体中を縛られている真っ最中であった。しっかとギロチン装置に据え付けられ、逃げられそうにもない。
そうして、現在、頭の上にある落下物が元気に稼働中、失敗しそうな気配は微塵もなく、私的にはゆっくりとした動作にて物理的に体と首が真っ二つになりそうな……そのような塩梅が現在進行形で行われている。
このままだと、私は胴体と生首の二体になる。バージル王の望み通りになるのは間違いないことで、
(それなら、それで、いい……)
などと、やや悲観的な考えも持っていた。
私はもう、かれこれ40年は生きた。二度目の人生をである、少なくとも、相当なお婆ちゃんかお爺ちゃんである。なかなかの波乱万丈な人生であった。ここで一句、詠んだほうがいいかもしれない。それができるぐらいには、十分すぎるほどのネタを拾い集めた冒険はしてきた。金環国の王子様にご披露できるほどの山あり谷ありな人生っぷりは、嫌になるぐらいである。まだまだこれからだ、と人によっては楽しみがあるとは思うが、私は二度も生きた。
そろそろ、いいだろう。もう少し、生きてはみたかったが。構わなかった。
それに、王太子殿下、リヒター様は。私に執着しすぎだ。
(……私が死ねば……)
リヒター殿下。彼には愛国心がある。
だから、私が死んだところで、どうとでもなるわけではないが、国家運営をしっかとなさるだろう。誰か、恋人ぐらいは持つべきだとも思っていたし。青年になってもなお、特定の人物は作らないのだ、何らかの憤懣を誰かにぶつけるかもしれない、だが、国を乱すほどのことはしないはずである。
周囲は危機感を覚えている。
婚約者を選ばず、一夜限りの恋人ばかりを作る彼に。
そのプレッシャーは私にも無言でぶつけられていたし、幼馴染みのように遠回しではあるが警告をしてくることもあった。まあ、幼馴染みは、リディリディ煩いと、軽い口調ではあったが。だが、深刻な問題だ。
(……王太子殿下に、直接物申すことができる人間なんて、
限られてしまうからなあ)
私のような地位でも言いづらい部分はあるだろうが、それでも殿下へ直接言うよりはいいやすい。年頃の娘を持つ貴族連中からは、仲立ちしろとせっせと突っつかれるし、かといって紹介したら振られた娘をどうにかしろと怒られる。
(やめよう)
こんな回想をしている時点で、私はもう駄目かもわからない。
文句ばかり言われ続ける立場なんて、こりごりではあった。
だからこそさっさと引退したかった。まあ、物理的なものになりそうだが、この際、致し方ない。リヒター殿下がいつまでも私を手放さないから悪いのだ。
ならば、私から命を絶つようにするしか、他に方法はない。
あるいは。
(私が頼み、してもらった噂を正しく捉え、
私の意図するような行動をとってくれたら)
この国は、助かる。
そうして、あの隊長殿が、しっかと王子様らしい行動をとってくれたのなら。
(私の命も、ギロチンから逃れられる)
――――いずれにせよ、リヒター王太子殿下次第であった。
まったく。
すべからく、人頼みで嫌になるが、しかし。
金環国のことは、金環国の人間が、どうにかしなければならない。
でないと、いつまでたってもケツの拭けぬ子どものようなもので、そのままになってしまう。ただし、本人の意思をしっかと確認しなければ。運よく、この金環国の王子様は、その意志を示した。
ならば、私は手助けをしてやるまでだ。
なんて、偉そうなことを言っているが。
私ができることなんて、橋渡しのようなものだった。
ジャララララ、ラ、ララ、ラ。
刃の滑る音が、私の襟足に落ちるか否か。
その瞬間。
金環国の王子様は、王の背後から立ち上がる。
彼の姿が、スローモーションであったけれども、横目で確認した。
(ギロチンで死んでも別に、良かった)
青い光が、辺り一帯を、眩しく照らし出した。
それは、ひっそりと私の襟首に忍ばせていた、サファイアの宝石。
私の人影も、視界にいるいっぱいの人の群れも、一瞬にして消してしまった。
束になる狂騒も。何もかも、飲みこむほどの、光の奔流だった。
「く、っ……」
想像していた以上に、目の奥にクる。呻きながらも、周囲への警戒を怠らないでいると、気付けば、囚われていた私の体は解放されていて、ギロチンそのものは、バラバラに砕けてしまっていた。荒縄は木端微塵に細切れ状態で足元に落ちていたし、私の手首にはその残骸が残っていた。取って捨てると、赤黒くなった皮膚が現る。いかに私が傷んだか、その証明のようでさえあった。
「はあ……」
ゆらりと立ち上がり、自由になった体を認識し、その解放感に思わず息を零した。
眼下には、数多な人々。金環国の住人が目を抑えつつも、いったい何が起きたのかと酷く動揺し、逃げ出そうとしていた。悲鳴さえ聞こえる。逃走しようとする者と、人がぶつかり合うために、かなりの混乱が垣間みえる。
民主的な行動はまったくもって期待できない独裁政権であるからこそ、彼ら国民にこそ、見せつけなければならない歴史的快挙になるはずの場面である。少し、焦りを覚えた。
「駄目だ、逃がしては……」
ちら、と。
私は、金環国の王子様がしっかりと予め決めていた立ち位置を確保していることを認めて、行動を起こしていることに安堵はするものの。
(この民衆の、大騒ぎをおさめるには……、さすがに、
15歳という年齢では厳しいか)
金環国住民のパニックを、私は目の当たりにしながら思索する。
(何か、良い案はないだろうか)




