六十二話
朝である。
あれこれと策を弄したかいがあって、寝不足である。
窓辺で飛び上がる朱雀の飛翔する鉄製の、その見事な造形の奥にある晴れやかな青空は、まさしく死刑執行日和であった。
大きく欠伸をし、牢屋よりは清潔なベッドから身を起こす。
ぬるま湯のような気温を甘受して、のろのろとした身動きをしていると、早速ながら、筋肉ダルマが起こしにやってきた。
「起きた、か」
一応、ドアノックをしてやってくるあたり、案外と細やかな性格をしているのではないかと、見目を裏切る行動模範を示した彼は、この国の死刑執行者が身に纏う真っ白な服を両腕に抱えていた。
「ほお」
私は、思わず唸った。
なんせそれは、和服の……、それも、死に行く人が身に纏う死に装束であったからだ。
「懐かしいな……」
「は?」
「ああ、いや、なんでもない」
ふむふむと、私は渡されたそれを、おおっぴらに広げた。
うむ。さて、どっちが前だったか。死ぬつもりはないから、左前にはしないほうがいいのだろうか。いや、右前だったか?
なんとはなしに、死ぬ前の記憶はあるのだが、どうやって着せられたものだったかな……誰かが私の死体の前で成仏しろよ、なんて言ってたような気はするが。
まさか成仏せずに異世界で燻るとは、日本の友も夢にも思うまいて。友よ、あの世に行くときは、ゆっくり成仏しろよ。でないと、私みたいな面倒な目に遭う。
「風呂が用意されている。
それを身に着ける前に、入ってこい。匂う」
「む」
まあ、清潔のほうが印象は良い。
くんくんと袖口を嗅ぎながら、そういえば、ここのところ風呂に入っていないことを思い起こす。
「感謝する」
「……ああ」
とりあえず、筋肉ダルマ君に感謝の念を伝え、誘導された風呂場へと連行される。そこは残念ながら五右衛門風呂ではなかったが、客人向けの風呂場であったらしく、そこそこ見栄えのする大理石と貴重なガラスがあちこちにちりばめられたモザイク画が描かれた、非常に綺麗な浴場であった。
水風呂でなくて良かった、などと、安堵しながら、私は上着を脱ぎ、下も剥ぎ取り。熱々の風呂を、堪能する。ちゃんとかけ湯も忘れずに。
「はあ……」
(生き返る)
手ぬぐいがないのが残念だが、バスタオルがあるだけマシと思うことにしよう。湯けむりの中、湧き上がる煙のさ中にて、私は天国を、全身で感じ取っていた。実に、幸せ、である。
(年齢を重ねるごとに、これがいい、と思うようになった……)
じわじわと体中を温める効能。匂いも、温泉街とはまた違うが、和に親しみある国柄だからか、なんらかの香りがする。ぱしゃり、と。自身の二の腕に、肩に、色のついた湯をかける。次いで、顔も両手で覆いつくし、ぐいぐいと顔全体を押しては撫でつける。うむ。良い塩梅である。
ほう、と。
息をつく。
気付けば、長湯をしていたようだ。
だが、誰も呼びにこないし、見張りはいるんだろうが、まあ。
(未だ、朝だしな)
昼までは、まだまだ時間がある。
あのバージルの王のことだ、気まぐれな時間に処刑する腹積もりなんだろうが、特権階級ならではの自意識ゆえに、昼か。少なくとも、日中には見せしめを兼ねて殺る、だろう。
とはいえ、最後かもしれない風呂とはいえ、あんまり湯に浸かっていても、な。身体がだるくなってしまう。疲れもあるが、眠っていられもしないだろう。
ふう、と、己の金髪を後頭部へと撫でつけ、さっと湯から体を。
正直、ひねり出すような気持ちで、惜しむ心を持て余しながら、断腸の思いで立ち上がった。ざざ、と。生温かな水滴が、身体から滴り落ちる。滑る湯は、私の生傷の絶えぬ腕や、腹筋や、足の先にまで流れ、排水溝にまで至った。
大きな手の平、となった己のものを改めて、見詰める。
ふと、した思いではあったが。
(かつて、私は……、ここまで、掴めるような手ではなかった、な)
女であった、おしとやかな手ではなくなってしまった。それを、寂しいと思うか、それとも。分からない。今の私は、コレだから、けれど。
ぎゅっと握りしめ、掴んだものは、とても大きい物だったから、大きくないと駄目だった。だから、まあ、悪くはなかった。稀に、息苦しくはあるが、な。
ぺたぺたと歩き、風呂場から脱衣所へとすっぽんぽんのまま向かうと、そこには、隊長殿が居た。
「あア、出てきたカ」
「……どう、したんだ?」
なんでいる。
ちょっとしたノスタルジックを感じていたのに、出オチ感がある。
奴は私の生まれたての姿をじろじろと見定めてきたので、なんとも居心地の悪い思いをしつつ、バスタオルで豪快に我が身を拭くことに専念する。
従騎士時代にも、似たような視線は何度も遭遇してきた、こればかりは仕方のないこととはいえ、あんまりじろじろ見ないで欲しい。しかめっ面になっている自覚をしつつ、この15歳に、そういえばあれこれと注文を出していたことを思い出した。
「そういえば、髪、切ってないのか」
「コレカら、ダ」
嫌そうにしている。
が、見目はしっかりしておかないと、今後困ることになる。
「しっかりとやらないと、どうにもならんぞ」
「……分かっテいル」
ぶーぶー文句を言われても困るのはそっちだ、と念を押す。
どうも、その不潔そうな髪型は、じっとしているのが嫌だから、そうしているようだった。後ろをとられるのが嫌なのは、職業柄なんだろうが、諦めて受け入れてもらいたい。
「ところで、何用だ?」
「……アあ、そノ」
(なんだ?)
えらく口ごもっている、が。
そうこうしているうちに、身体にまとわりついていた水滴はふき取った。あとは、この白装束を身に着けるばかりである。さて。問題は、どうやって着るかどうか、だが。
(……元日本人のくせして、着物の着方、良くわからん)
大正、明治の人間ではない私には、えらい難題である。
おまけに、一度死んでるくせして、成仏せずにIN異世界である。しょうもない話だが、現実なのだからタチが悪い。
ひらひらと、あれ、どうだったか、なんてとりあえず羽織っていると、王子様がにじり寄ってきた。衿中に、指を入れられる。
「……こう、ダ」
「おお」
あれこれと手伝ってくれた。
びしっと決まった。うむ。良い。
なんというか、帯のつけ方までしっかとやれている辺り、手馴れている。
……これもまあ、職業柄、なんだろうか。そうなんだろうな。死体と何度も対面を果たす職ではあるからな、彼は。どれだけの後ろ暗い仕事をやらされたのかは不明だが。あるいは、何らかの事情によって、学ぶ機会、はあったのかもしれない。うむ。そういうことにしておこう。
「すまんな」
「イや……」
王子様は、どこか、はにかむような口をしながら、さっと距離を置いて私の姿を眺めている。そうして、無言のまま、そそくさと立ち去った。
「なんだ……?」
ただ単に、彼は手伝いに来ただけのようであった。
私が隣国の人間だから着方を知らんだろうとわざわざ親切に来訪したかのような、いや、まさか、な。死に装束だし。みっともない姿をさせないように、か?
……考えても良くわからんが、まあ、そういうことにしておこうか。
きっちりと左前で支度をした私を待っていた筋肉ダルマ君が、耳打ちする。
「……王陛下が、起きられました。
会場は準備できています。
あとは、いつ、執行されるか、ですが、
地方の豪族らにも話を通しているそうですので、
集まるのに時間がまだ少し、かかりそうです」
「そう、か……。
……ずいぶんと、大がかりな」
頷きつつ、もう一人の、金環国王子様の護衛をやっている細身男からの報告を待つため、綺麗さっぱりな姿のままに、監禁部屋へと戻ることにした。




