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君に告ぐ  作者: ミズハラハヅミ
第三部 花の降る正午
62/79

23

 約束の日までを多美は浮かれるようにして過ごした。気候は穏やかで、夏の暑さがやっとで駆け抜けた感じのする、気持ちの良い晴れの日が続いた。梓は補助人工心臓のために個室に移ったわりに、調子がいいため延期されているようだった。だから時々は車椅子を回して出かけたりもできていた。延期しているのは、梓本人の意思だと聞いた時には少し驚いたけれど、梓本人には何も尋ねなかった。機械の心臓で生きることを嫌がっていることは充分知っていたし、梓の命は梓が好きにすればいい。梓が多美にそうしてくれたように。

「あれ、梶原、まだいたの?」

 放課後に多美しかいない教室に飛び込んできたのは、伊東だった。また頭に水をかぶったのか、びしょぬれになっている。ウェアに鮮やかな黄緑のゼッケンを着ているのは、サッカー部の途中だからか。二人きりになるのは久しぶりだった。

「うん、明日約束があって、今日は行かなくていいの」

「そうなんだ。なら今は?」

「帰りのバス待ち。うち、一時間に一本しかないから」

 うわー、お気の毒。伊東くんは素直に同情してくれた。

「……先輩、元気?」

 伊東くんの梓の記憶は、ICUに入ったところで途切れている。多美は簡単に状態を説明することにした。

「移植待機のためにいろいろあって、個室に移った。けど現状は変わらず、かな。調子はよさそうだよ。今のところはちょっと落ち着いてる」

「そっか。ならよかった」

 あからさまにほっとする伊東くんを、多美はじとりと睨みつける。

「っていうか、メイド服の写真、メールしたでしょう?」

「げ! 先輩、俺に頼むだけ頼んで、こっちはフォローなしかよ!」

「どんなフォローよ」

「ウソ、マジで勘弁してよ。先輩に頼まれると、俺断れないし!」

 一気にたじたじと後ずさりまでする伊東くんを、多美は遠慮せず、胡乱な目で見ている。

「運動部の縦社会をなめるなよー。無理だって!」

 伊東くんにとって、梓は本当に慕っていた大好きな先輩のままなのだ。最終的にはそれに免じて許してしまうんだろうな、と多美は少し顔を緩めたが、伊東がまたいらない言い訳をだらだら続ける。

「あの写真、けっこうよく撮れたんだよ。梶原の張り付いた、あのぎこちない笑顔がすっごく不自然でもうおかしくて!」

「伊東くんっ!」

 やっぱり許すまじ、と怒ろうとしたところに、伊東くんの意外な一言が降ってきた。

「梶原、もっと笑えばいいのに」

「ん?」

 伊東は腰に手をあてて、偉そうに胸を張ってそう言った。

「その方が絶対イイよ」

「何変なこと言ってるのよ」

「前に先輩がそう言ってたから。学校でも笑えばいいのにって」

「えっ」

 じゃ、俺部活戻るし! と机から目的の電子辞書を取り出して、あっという間に多美の前から消えた。多美はそのスピードにあっけにとられつつ、今言われたことを反芻する。もっと笑えばいいのに。そういえば、私は梓に笑いかけたことがあっただろうか? 

 明日、誕生日何をするか分からないけれど、梓に向かって笑ってお礼を言おう。

 伊東くんの言葉で、それだけは決めた。









 決めたのに。









 風が金木犀の匂いを運ぶ約束の土曜日に、多美は梓の病室を訪れた。約束の正午まではまだ三時間も時間があった。白い布で隠されていた梓の表情はとても穏やかで、眠っている時よりも優しく思えた。







――必ず正午においで。時間厳守だからね。








 梓の母からもらった電話は危篤ではなく訃報の連絡だった。対面した時にはご両親はどこかで手続きをしているようで、多美と二人きりにしてくれた。

 枕元には本当に大きな花束だったらしきものが置いてあった。驚いたことに、その花束からは花びらがまったくなくなっていた。葉と茎だけが残された無残な姿。なんでこんなものを、と下に目をやったら、白い紙袋の中に、ありあまるほどの花びらが、山のように入っていた。







――多美にも見せてあげたいなぁ。本当にキレイなんだから。







 いろんな色が入り混じった、あまりにもたくさんの花びら。この花束から梓が一枚ずつちぎっていったのだろう。でもなんでそんなこと。







――多美はこんなキレイな空を見たことがある?







 時間厳守。元気な時はいつも、梓は窓から訪れた多美を見つけて声をかけた。上から降ってくる心地の良い声が、いつも多美を待っていてくれた。







――空。青くて遠くて、ずっとずっと広い空に、色が降ってくる。いろんな色。







 多美はその紙袋を手に取った。花びらだけなのに、ずしりと重たく感じた。

 誕生日のプレゼント。







――あの夢みたいに、キレイなものがいいんだけどな







 多美は紙袋を抱えたまま、窓辺に近づくと思いっきり窓を全開にした。

 そして思いっきりその紙袋の中身を、空へぶちまけた。







――万華鏡みたいにきらきら光って、








 高い高い秋の空に、色とりどりの花びらが一斉に舞い上がった。その花片が一面に舞ったその一瞬を目に焼き付ける。







――雪みたいにふわふわってゆっくり降ってくるんだ。







 花びらはゆっくりと螺旋を描くように、太陽を反射してキラキラと輝きながら、ゆっくりと降下する。色とりどりの光。







――それがあんまりキレイで全然飽きないんだ。








 うつくしかった。

 それは本当に美しい光景だった。

「いかないで」

 その話を聞いた日も、多美は確か梓にそう言った。

「いかないで……」

 けれどもう優しく頭を撫でてくれる手はない。

 梓が昏睡していた時に見ていたもの。多美にとても見せたがっていた空。じわりと涙で歪んだ。

 きれいだけど、梓。

 悔しくて悔しくて悔しくて、怒っている時と同じように全身が震えた。持っていた空の紙袋を力任せに握り潰して、床に叩きつける。声にならない悲鳴をあげながら、その場に泣き崩れた。

 梓がいないならこんなものいらない。

 梓が見せてくれないんだったら、こんなもの見たくない。







 こんなに美しい空は、私の世界じゃない。








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