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梓はそう言って苦笑いする。ただ好きという以上に、梓は全身で言っている気がした。実加のすべてを、必要としていたと。
「あの日、本当にいい天気で、久しぶりにチューブが全部外れて落ち着いててさ、星が見たくてこっそり抜け出して、ここに見に来た。抜け出すところを実加ちゃんに見られてて、彼女もここに来た。だからずっとここで一緒に星を見てた」
一面に、区切られもしない星空を、寝転びながら、ただずっと見ていた。
人生が終わるなら今だ、と思うくらい、それは素晴らしい星空だった。
帰ろう、と実加が言った時に、梓はここにいるよと答えた。もう少し見ていたいんだ。実加は帰ってもよかった。けれど、実加は梓のそばにいることを選んだ。
「やったことは、たかが夏の夜に野宿しただけだ。普通の人だったら、最悪風邪ひくくらいで終わる、その程度のことだよ」
発見された時は、二人とも寝ぼけていただけらしい。すぐに実加が発作を起こし、なので様子見で、梓もICUに叩き込まれたというのが真相だった。
「たったそれだけのことさえできないんだなって、そういうことだったんだよ……」
梓はそしてふふっと笑った。何を思い出したのだろうか。
「それから俺らは、悲劇のヒーローとヒロインになってしまったというわけ。開き直るまではずいぶん恥ずかしかったな」
心中事件を起こした同病の恋人たち。今でも梓のことを知っている人たちは、そのことをとても気にしている。そして実加の死後、多美が側にいることさえも勘ぐる人たちがいる。
「だから、多美のことは本当に俺のためだったと思うよ」
「梓」
「さびしがりやの俺をすごく心配してくれたんだと思う。とても、実加ちゃんらしい方法で。そろそろ多美も教えてくれてもいいんじゃない?」
「何を?」
「遺書の内容」
多美はその遺書を毎日持ち歩いている。何となく手放せずにいて手帳にはさんであるのだ。病室に戻れば、梓に見せてあげられるだろう。けれど多美は自分の言葉で伝えたかった。多美が実加の言葉をどう受け止めたかで、伝えようと思った。
「お姉ちゃん、梓を、どうかお願い」
あの日見た手紙の筆跡は、涙で揺れた。冷たい雨の滴る中で、必死で訴えた実加の言葉。
「看取るためとかでなくて、ただお願いって、そう書いてあったわ」
「そう……」
梓は深くうつむいた。
その目から溢れるほどの涙がこぼれたのを、多美は見つけた。
「そっか……」
多美はそんな梓を泣かせてあげることしかできなかった。簡単に慰めることもできないことは、よく分かっていた。
「ねえ、梓は本当に死ぬつもりでいたわけじゃ、なかったのね」
梓は顔を両腕にうずめたまま、静かに答えた。
「どっちでもよかった」
死にたい、よりももっと深く傷ついた言葉だった。
「一緒に心中しようと俺の死は俺だけのものだし、実加ちゃんもそう。変わらないよ。淋しいこともしんどいこともさ、みんな自分だけのものだ」
この人はその時に死んでしまったのだ。だから生きていない。ただ息をしているだけの抜け殻。だから優しい。多美のような部外者にも、信じられないほど優しい。
すべてがもう、彼のものにはなり得ないから。
諦めるってこんなに辛い感情だったんだ。多美はくちびるをかみしめた。梓はすべてを諦めている。だからどうでもいい。何もかもがどうでもいいから余裕がある。余裕があるから受け止められる。どんなものでも飲み込むことが出来る。
違う――そこまでしないと飲み込めないのが、梓の現実だった。
泣くな、そう言い聞かせた。同情して泣くのは簡単なことだ。そんなことをしても何も変わらない。何も重くない。
多美は少しためらってから、梓の正面へ行き、そっと彼を抱きしめた。ドキドキしながらじっとそうしていたら、腕の中で梓が言った。
「多美はあったかいね」
血液の循環の悪い梓の方が冷たいのだ。そう思ったけれど、違う意味だったらしい。
「俺にはないあったかさ。多美は冷たいとことか、クールで熱しにくいところとか、気にしているみたいだけど、そんなことはないよ。――俺にとってはいつも不器用で、かわいい、あたたかな人だよ」




