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人の声は温かい。多美はいつもそう思っていた。ぎすぎすした口調や、きりきりした音域の声で、非難や絶望の声を聞くことが多かったので、さざなみが来るように生まれる声が好きだった。
合唱コンクールへの仕上がりは万全だった。
全体練習で声が重なって、この歌の響きの良さを実感した。ハモるって気持ちいいことなのだ。たまにカラオケで次々とハモりだけをやってく奇特な友人がいるが、分かる気がする。
一人きりの教室にいても、外からもれ聞こえてくる何かをやっている音が心地よかった。それは病室にいたときも思っていた。
梓がくるくると果物を回して、きれいに皮を剥いていく。そのオレンジの螺旋を見つめながら、外の廊下で立ち話や、配膳のワゴンの動く音がざわざわと聞こえてくるのは、そんなに悪いことではなかった。隣のベッドからイヤホンでもれ聞こえてくるテレビの音とか、お向かいの人が読んでいる雑誌をめくる音だって、優しい。
「ハイできあがりー」
梓の声が一番いい。うっとりするくらい心地の良い声が、剥きたてのオレンジを多美に勧めてくる。オレンジをこんな風にナイフで皮を剥いて食べる方法を知らなかった。
「まあ普通は手で剥くか、串切りだよね」
果物切りは、長くの病院生活で、籠盛りの果物をもらう機会が自他ともに多く、その大量の練習台に果敢にチャレンジして身につけた特技らしい。一時ルームメイトだった人に喫茶店経営の人がいて、りんごの木の葉切りだって出来る。
「病院って、かなり異文化交流地域だからさ」
そのことを教えてくれたとき、梓はちょっと照れたようにそう言った。
「俺なんて全然、ただの中学生だったけど、仲良くなるといろいろ教えてもらえるモンだよ」
ちなみに梓が教えてもらったものは数多いが、競馬、パチンコの必勝法、マージャンはもちろん、最近は株のディトレーディングと、なぜか賭け事が多い。
「変り種はないの」
「マジック?」
鳩は出せないけど、と断られたが、その顔はなんだか鳩さえいれば出来そうな顔つきだった。習うだけ習った可能性大。
「編み物とか」
似合わない。
「折り紙は、実加ちゃんだな。いろいろ折ったよ。千羽鶴とか」
どうして病人が千羽鶴を折るのか。
「ちなみにお隣の荒井さんから今トーンの貼りかた習ってる」
お前は漫画家のアシスタントか。
つっこみどころの多い梓の『勉強』は、それでもあくまでも手慰みで、将来の糧にはならないのだろう。ただ今楽しいから覚えている、それだけの技術。そんなことにどうしてこんなに熱心なのかなと、多美はいつも呆れるのを通り越して感心する。
「ヒマなんだよ。ただ空を見てるだけってのは」
多美の思っていることなんて完璧見透かして、梓はそう言う。剥いてくれたオレンジが日差しでぬるくなっていかないうちに、いただくことにした。果汁がぎゅっと口の中に溢れて、とても甘かった。ベとべとする手をウェットティッシュで丁寧に拭きながら、梓も爪楊枝を手に取る。




