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記録31:愛という厄介者

「アナスタシア、何してるの?」


僕の足元でもぞもぞと動くアナスタシアを、僕はじっと見て言った。彼女は僕の腹部に顔を埋めて呼吸をしている。質問にも答えなさそうなので、僕は彼女を無理やり剥がそうと手を触れた時だった。


彼女の手に握られていたナイフが僕の腹部をかすめた。

ぎりぎり飛び退いて回避できたので、かすり傷程度で済んだが、彼女の心はやはり折れてはいなかった。


「警戒しておいてよかったよ。そう簡単に折れてもらったら困る」

「そうですね。私もあの程度では折れませんよ。ムルさんの前で演技をするのは少々気が引けましたが、どうやら見逃してくれたので良かったです」

「そうかい。それで?どうするんだ?私を殺すのかい?」


僕の挑発に、彼女はナイフをおろして淡々と答えた。


「今のは殺す私は一傭兵に過ぎません。なので、またいつでも雇って下さいね。本日の所はもう帰ります。もう依頼主は消えてしまいましたから。後、もうあなたを狙うような依頼を受けることはありませんから、安心して下さい」

「ははっ、そうか。分かった。じゃあね、アナスタシア」

「......一つよろしいでしょうか?」

「なんだい?」


彼女は少し恥ずかしそうな顔をして言った。


「アナスタシアではなく、ナターシャと、呼んで頂けないでしょうか。これからも一緒に仕事をするかもしれませんし」


僕は肩透かしを食らったように一瞬脳がフリーズしたが、すぐに笑いながら言った。


「分かったよ。じゃあね、ナターシャ」

「はい、失礼します」


彼女は後ろの窓を叩き割って飛び降りた。三階程度じゃあ、怪我もしないんだろう。僕が彼女の飛び降りた後の窓を眺めていると、窓の割れた音を聞きつけたアレックスが部屋に飛び込んできた。


「大丈夫か!明日香...って、お前、アナスタシアは?」

「逃げたよ。これからは私達を狙うことはないってさ。まあ、アレックスも色々言いたいことがあるだろうけど、今はそれでいいでしょ?」

「はぁ...分かった。中峰には報告しておこう。それで、明日香は今から窓の割られた、このクソ寒い部屋で寝るのか?」


僕は彼の言葉に、後ろを振り向いた。割れた窓から冷たすぎる風が吹き込んできている。

暖房の効いていた部屋が一瞬で零度を下回り、鳥肌が立った。このままここで寝たら凍死してしまうので、僕は急いで代替案を考えた。勘の良い人は、もう何をするかは分かっているだろう。


「アレックス―――」

「布団を準備しておく。早く来いよ」


読まれていた。


僕はとりあえず必要な荷物だけを取ってアレックスの部屋に向かった。



彼の部屋に入ると、中身値が待ち構えていて、少し怒っている様子だった。アナスタシアを逃がしたことなのか、洗脳しきれていなかったのか、はたまた別のなにかなのかと考えている内に、彼女は口を開いた。


「山雁さん。アナスタシアを手懐けられていないと、最初から分かってて逃がしましたね?」


ここはノーと言っても無駄だと思って、僕は頷いた。中峰は下を向いて僕にはっきり聞こえるように大きくため息をついた。アレックスが僕の方を見て申し訳無さそうな顔をしている。恐らく中峰に詰められて仕方無く言ったのだろう。

これ以上睡眠時間を削られるのも嫌なので、正直に話して早く怒られることにした。


「アナスタシアは、一応あれでもロシア第二帝国の暗殺代理委員会の委員長ですから、拷問耐性はあります。下手に刺激するより、穏便に逃がすほうが、私達も彼女の銃口を見ずに済むでしょう?」

「それは、そうですけど...上司わたしに実は洗脳できてませんって報告もしなかったんですか?」

「バレてたらまずいと思って」


僕は彼女の目を見て言った。

中身値はなにか言いたげな顔をしていたが、やがて再びため息をついて今回のことは不問にするから早く寝なさいと言って部屋を出ていった。


彼女が出ていくなり、アレックスは僕に謝った。


「すまない。詰められて、つい...」

「大丈夫だよ、アレックス。中峰は本気で怒らせたら怖い人だから。正直に行ったほうが身のためだよ」

「そ、そうか...」


アレックスはしょんぼりして下を向いており、しばらく話しかけられそうにもなかったので、僕は先に彼の枕の隣に自分の枕を置いた。もともと部屋にベッドが一つしか無いので、必然的にこうなってしまうのだ。まあ、アレックスはそう簡単に人を襲うようなやつじゃないからやってるんだけど。


「アレックス、早く寝るよ」


布団に潜り込んだ僕が彼に呼びかけた。彼は僕を見て、また違ったタイプのため息をついて僕のとなりに寝転んだ。幸い大きなベッドだったので二人して入っても全然狭くなかった。


「なあ、明日香。ちょっと話しておきたいことがあるんだ」

「ん?何よ今更?」

「どうして俺が近衛隊(お前ら)に付くことにしたのか、話しておこうとな」


そう言えば、まだアレックスが僕と同行してくれている理由を聞いていなかった。色々忙しくて忘れていたのだ。

僕は体をむくっと起こすと、彼はベッドに腰掛けて話しだした。


「俺は、EVのとある組織に特化したサイボーグなんだ。それで、今追ってる組織が通称『カリスの方舟』って組織なんだ。近衛隊や、ロシアも、アル・ハラータも、中国だって知らない。知っているのはアメリカのCIAとEVの俺達だけだ。EVの中じゃあ、俺は見えない敵とずっと戦ってる奴だって言われててな。でも、カリスの方舟が未来に関してなにか大きなことを掴んでるのは確かなんだ。なぜなら、その組織は紀元前から存在していて、且つ今までの人類史に改竄を重ねてきたからな。で、明日香、ここまで聞いて、まだ聞きたいか?」

「にわかには信じがたいけど、聞く価値はあると思う。私のことは機にしなくていいから、もう全部話してくれて良いよ」

「お前がそういうやつで良かったよ」


アレックスは下を向いて笑いながらそう言って、残りの話を一気に話した。



カリスの方舟は、少なくとも、紀元前十世紀には成立していたんだ。誰が作ったのかは定かじゃないが、ユダヤ教徒が作ったとされているのがEVの見解だ。

カリスの方舟は人類史の書き換えを重ね、時には文明を滅ぼし、時には文明を生み出し、アトランティスだって、海の民だってそうだ。その辺の謎に包まれている物は大体カリスの方舟の仕業さ。

それで、最近でもこの改ざんが行われているんだ。


まあ、その改ざんのおかげで俺達一般人類が尻尾を掴めたわけなんだが。

それで、その改ざんってのが合衆国による核攻撃だ。本来、核ミサイルが中国の都市部に降り注いだはずだったんだ。

核爆発の地震だっていくつも観測できた。だが、中国に落ちた核ミサイルは近衛隊が落とした二発だけ。

これを調査していくと、過去にも似たような事例があって、その度に同じ現象が発生していたんだ。


俺達はこの現象を『スーパーブルームーン』と呼んでいるんだ。月が真っ青になって、その光が地上を覆い尽くす。それで、光がなくなれば歴史の改ざんが終了してるってわけだ。

だが、ここで注意してほしいのが、スーパーブルームーンで過去に戻したわけじゃないんだ。それが十年後か百年後かになるかはわからないが、後々そのツケを払わされる。

つまり、文明が一瞬で灰になるんだ。

今のところ回避方法は分かっていない。まず原理も分かっていないんだから、当然っちゃ当然だ。


あと、身近な所での改ざんで言えば―――


アレックスが、最後の一言を溜めて言った。


「東京への核攻撃は偽物だったってことだな」

「え?」


僕は口を開けたまま彼の顔を見つめるしかできなかった。

お読み頂きありがとう御座いました。次回もこうご期待!


次回『カリスの方舟』

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