第14話 思いがけない提案 上
それから一週間程経ったある日、アデレードがディマの散歩から家へ戻ってきた時だった。彼女の家の前に一人の男性が立っているのが見える。ディマがその人物の元まで盛んに吠え立てながら走っていく。
「おわっ……またこの犬かいっ!?」
「ディマ、その辺にしておきなさい」
アデレードが小走りで飼い犬を追いかけディマを抱き上げる。家の前に立つ短く刈り込んだ金髪の男性に見覚えがあった。
「あ、あなたはこの前の……」
アデレードは驚いた顔をする。
「あぁ、ここはお嬢さんの家でしたか?」
「怪我はもうよろしいんですの? えぇっと、ロイドさん、でしたか?」
男性の顔をじぃと見ながらアデレードが聞いた。この前は顔に擦り傷やら切り傷が出来ていたが、それが大分薄くなっている。
「マックスで良いですよ。僕は堅苦しいのはどうも苦手で」
そう言ってマックスはアデレードの家を見上げる。
「えーと……」
アデレードは何と答えて良いのか分からなかった。何せ自分の意思でここに来た訳ではないし、住んでいる訳でもないから窮してしまった。答える代わりに彼女はマックスに質問した。
「それより、勝手に出歩いてよろしいのですの?」
「うーん、どうでしょう。でも、監視の方が付いてますから大丈夫ですよ」
マックスはそう言って屈託のない笑顔を見せる。アデレードは家の敷地のすぐ外に、剣を腰に差した兵士らしき男性が一人立っているのを見つけた。
これの何が大丈夫なのかしら?
「それにリーフェンシュタール伯からは山に入るのは止められてますけど、村の中を徘徊するのは止められてませんから」
「まぁ、確かにそれはそうかもしれませんけど……」
屁理屈に聞こえなくもないような気がする、とアデレードは思った。
「それに入院中に会ったおじいちゃんおばあちゃんとも仲良くなって色々お話を聞きましたし。あぁ、やっぱり山に行きたいなぁ。貴女もそう思うでしょう?」
「別にそれほどでも……」
「えぇっ! こんなに山に近いところに住んでらっしゃるのに? しかも、さっき山から降りてきたのに?」
「……この子の散歩に少し森の中を歩いてきただけですわ」
「そうなんですか……」
心底驚いた顔をした後マックスはがっくりと肩を落とす。どうやらアデレードは同志と思われていたらしい。
「それで私の家に何か御用がおありで?」
「あぁ、いえ、そういう訳ではありませんよ。ただ羨ましいなぁと思いまして」
「羨ましい?」
「だって、こんなに山に近いなら僕は毎日でも登るのになぁ。あ、この家僕に売りませんか?」
「えぇっ!?」
「素晴らしい立地ですし、広さもある。最高じゃないですか」
マックスは目を輝かせて、戸惑うアデレードを見る。
「でも、この家まだ改装中ですわよ」
「改装?」
「えぇ。10年以上放置されていたものを一ヶ月ほど前から修繕し始めたところですの。だから見た目よりずっと傷んでますわよ」
「そうなんですか?」
マックスが意外そうに家を眺めた。外観の補修はほぼ終わっているから外から見ただけでは中の状態は分からなかったのだろう。
「それにこの家は売ったりしません」
「そうですか……残念です。こちらには家族とお住まいで?」
「いいえ、私一人ですわ」
「こんな広い家で?」
「……マックスさんは私のこと御存知ありませんの?」
アデレードが顔を伏せる。自分のことを知らせるのは辛いものがある。
「どこかでお会いしたことありましたか? 僕はどうも人の名前とか顔とか覚えるのが苦手で」
マックスは目を瞬かせる。
「いいえ、お会いしたことはないと思いますわ。ですが、アデレード・エヴァンジェリン・フォン・マイヤールの名、どこかでお聞きしたことありません?」
「うーん……」
マックスは腕を組んで家を睨みながら考える素振りを見せる。
「あぁそうだ。こういうのはどうです。折角広さがあるんですから、ホテルに改装するのは? うんうん、それが良いですよ」
「……はぁ?」
家を眺めながら一人納得したような様子のマックスに思わず素っ頓狂な声を上げてしまったアデレード。
この人、人の話全然聞いて無い! 本当に山にしか興味無いんだわ……。
アデレードは驚愕の表情を浮かべつつ、呆れて良いのか感心して良いのか分からなくなった。




