エピローグ 出会いと別れ
◇◇
3月は出会いと別れの季節。
ここ『ファミリーセブン南池袋店』もまた例外ではないのだ――
………
……
午前中まで降り続いていた雨があがり、嘘のように晴れ渡った春の午後。
「ふおおおおおっ!!」
お客さんが誰もいない店内に、外のお日様に負けないくらい明るい絶叫がこだました。
すぐさま、それをたしなめる清流のような澄んだ声が聞こえてくる。
「こらっ! ともちゃん! ダメでしょ。そんな大声を張り上げたら」
私、浅間麗は、その声につられるようにして、清掃を終えたイートインスペースからカウンターの方へ戻った。
「あっ! うらっちー!! おかえりー!!」
そこには元気よく手を振る長坂智子さんと、妹の振舞いに苦笑いを浮かべている長坂洋子さんの姿。
「ははは! 二人とも元気そうで良かった!」
「ふふ、ともちゃんは少し元気過ぎて、困っているのですけどね」
「もうっ! お姉ちゃんは余計なこと言わないで! うち、もう子どもじゃないんだから!」
わずか数カ月前に、あんなことが起こったとは思えないくらいに、賑やかな二人。
きっと家の中も、平穏な日々を送っているのだろう。
私は、心の底から、ほっと胸をなでおろすと、年末のある日のことを鮮明に思い出していたのだった――
………
……
確かあの日はすごく寒くて、灰色の空から小雪がちらついていたのを覚えている。
時間は、夕方5時くらいだったと思う。
お客さんは店内に誰もおらず、カウンターの中でおでんの具材の入れ替えをしていた時。
頬を真っ赤に染めた智子さんが、転がるようにして店内に駆け込んできたのだ。
いつもと様子の違う彼女を見て、目を丸くした私だが、
「いらっしゃいませ!」
と、いつも通りに明るく声をかけた。
だが彼女は挨拶を返すこともなく、機関銃のように言葉を並べてきたのだった。
「うらっち! 聞いて!! お姉ちゃん! フキソだって! フキソ!!」
「フキソ?」
聞き慣れない言葉に首をかしげる。
と、そこに少し離れたところから店長が声をかけてきたのだった。
「それはよかった!」
いつも涼やかな店長とは思えない、熱のこもった口調だ。
いったい何が起こったのか理解できず、ますます混乱してしまった私に対して、背中からそっとささやいてきたのはアヤメだった。
「長坂洋子は、何の罪にも問われないってことよぉ」
全身に稲妻のような衝撃が走る。
そして衝動的にカウンターを飛び出すと、智子さんの両手を取って叫んでいた。
「やった! やったわ!!」
あまりの私のはしゃぎっぷりに、今度は智子さんが面食らってしまったようで、口をぽかんと開けて、穴が開く程私を見つめている。
しかし、私は彼女の視線など気にならないほどの興奮に包まれていた。
そのため、彼女の両手をぶんぶんと振りながら「本当によかった!!」と小躍りをし続けていたのだ。
そうしてしばらく経ったところで、そんな私の感情がようやく智子さんの胸の中に流れ込んでいったようだ。
彼女の顔がみるみるうちに笑顔に変わっていき、彼女の口からは喜びを爆発させたような大声が飛びだしたのだった。
「うん! やったよ! お姉ちゃん、本当によかったよー!」
今度は二人して誰もいない店内で、軽やかにステップを合わせる。
わずか1カ月前の出来事だったが、この報せがもたらされるまでは、洋子さんや長坂家の未来が心配でならなかったため、すごく長く感じられたのだ。
その心配がついに解放されれば、誰でも時間と場所もわきまえずに踊ってしまうのは仕方ないと思うの。
その証拠に、店長は何も言わずに、ただ私たちのことを微笑ましく見つめてくれていた。
そして、ひとしきり踊り終えた時だった。
「あれ? あれれ?」
笑顔の智子さんのくりっとした目から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ始めたではないか。
ただ、彼女は自分の涙の理由がよく分かっていないようだ。
私は彼女の涙の意味をとっさに理解すると、彼女を優しく抱きしめた。
きっと大好きな家族がバラバラになってしまうかもしれないと、不安で不安で仕方なかったのだろう。
その不安から今解き放たれ、抑え込んでいた感情が涙となって流れ始めたのだと思う。
「ふえええ……。なんで? なんで嬉しいのに涙が止まらないのかな? うああああ!!」
私の胸の中で、無邪気に泣きじゃくる智子さん。
私は、そっと彼女をイートインスペースに移すと、彼女が泣きやむまで、ずっと彼女の背中をなで続けたのだった。
………
……
後日、缶コーヒーと『23番』のおじさん……生島刑事から聞いたのだけど、どうやら長坂喜一と幸子夫妻が、「被害届は出さないので、寛大な処分を希望します」という旨の嘆願書を提出したらしい。それが決め手となって、洋子さんの不起訴処分が正式に決定した。
生島刑事は、そのことについて、
――長坂喜一は、誰よりも世間体を気にするからな。実の娘に襲われて怪我をしたとなれば、それこそ世間様の笑いものだ。そいつを嫌ったに違いねえな。
と言っていた。
でも、私の意見は違うわ。
刑事の勘ならぬ、巫女の勘ってやつね。
長坂喜一さんは洋子さんを『許した』のだと思うの。
――許すことは、愛すること。
時田美鈴さんの魂のメッセージは、きっと長坂喜一さんにも届いていたんだわ。
だから彼は家族をもっと愛するために、許したんじゃないかって、私は信じている。
でもそれをアヤメに話したら、
――ほほほ。それだから残念系三つ編おさげちゃんは、いつまでたっても『うぶ』なままなのよぉ。
ですって……。
やっぱりアヤメにだけは話すんじゃなかったと、激しく後悔してる。
さてと……。
私はあらためて洋子さんと智子さんの二人に視線を移す。
姉の洋子さんの方は私服だが、智子さんはいつもと異なる服装であった。
そしてその服こそが、彼女を興奮の絶頂へと導いていたのである。
頬をピンク色に染めて瞳を輝かせている彼女を見て、ニコリと微笑んだ。
「智子さん、似合ってるよ。『制服』」
そう。なんと智子さんは今日から『ファミリーセブン南池袋店』でアルバイトをすることになったのだ。突然辞めてしまったスタッフの穴埋めに、彼女が自ら名乗り出てくれたのである。
その意気に応えるように店長も、『霊が見えること』という条件を取り外し、晴れて智子さんは私の同僚となったわけだ。
「ありがとう! うらっち! うち、今日から頑張るね!!」
満面の笑みで答えた智子さんを見れば、彼女との距離がさらに縮まったような気がして、心から嬉しくてならない。
ただ浮かれている智子さんを見て、洋子さんはぴしゃりと鞭を打つようにたしなめた。
「こらっ! 浅間さんは先輩でしょ。ちゃんと敬語使わなくちゃダメでしょ!」
私はひらひらと手を振って、洋子さんに笑顔を向ける。
「敬語なんていいんです。もし使われたら、体じゅうがムズムズしちゃうもの」
私の言葉に洋子さんが困まり顔をした一方で、智子さんはカウンターをひょいっと飛び越して、私に抱きついてきた。
「はははっ! さすがはうらっち! 太っ腹だねー!」
「むむっ! 智子さん! 『太っ腹』はやめてちょうだい! 最近、またお肉がお腹についちゃったのを気にしてるんだから!」
「はははっ! そんなの気にしちゃだめだよー! うらっちは柔らかい方が可愛いんだからー!」
「ほほほ、その通りよぉ。ちょっと小太りの方が、お肉が美味しいじゃなぁい。わらわの可愛い子豚ちゃん」
智子さんの声に紛れて、聞き捨てならぬ嫌らしいねっとりとした声が耳に入ってくる。
私は声のした方をきりっと睨みつけた。そこには小さく手をふるアヤメの姿があったのだった。
「なにぃ!? 誰が子豚ですってぇ!!」
私が思わず反応してしまうと、智子さんと洋子さんの二人は、きょとんとした表情で顔を見合わせた。
「も、もしかして『いる』の? うらっち」
「ええ、いるわ! この世のものとは思えないくらいに憎たらしい狐のあやかしが!」
勢いあまって口を滑らせてしまうと、つい先ほどまでピンクに染まっていた智子さんの頬が、真っ青に変わっていく。
しかし私は彼女の様子に気を留めることなく、こちらを見てニヤニヤしているアヤメに噛みつかんばかりに、鋭い眼光を浴びせ続けていた。
言うまでもなく私が怒れば怒るほど、アヤメは楽しそうに頬を紅く染める。
そして高笑いしながら、言葉を返してきた。
「ほほほ。麗ちゃん、忘れたのぉ? わらわはこの世のものじゃないってこと。そう言ったのは麗ちゃんの方じゃなぁい」
――ブチッ!
私の中で何かが切れた音がこだますと、ひとりでに体が動き始める。
さらにびりびりと空気を震わせるような大声が口から飛び出したのだった。
「だったら今すぐこの世から消し去ってくれるわ! 覚悟なさい!!」
「やだぁ。お姉さん、こわーい」
今日という今日こそ、巫女としてビシっとお灸をすえてやらないと気がすまないわ!
お札を握りしめてアヤメの方へ駆けていった。
そしてバックヤードの扉の方へ逃げていく彼女を、あと一歩というところまで追い詰めた。
「観念しなさい!! 謝ったって許さないんだから!」
その時だった。
――ガチャッ!
と、勢い良くその扉が開いたではないか。
そして、あろうことか背中に回り込んできたアヤメが、背中をドンと押してきたのである。
「きゃあっ!!」
踏み出した足が止まらず、暗いバックヤードの中へ前のめりになって体が突っ込んでいく。
このままだとジュースやビールの入ったダンボールの中へダイブしてしまう……。
もうダメだ……!
と諦めかけたその瞬間だった――
「危ない!」
力強い声がしたかと思うと、私の体はその声の持ち主の胸の中へ収まったのである。
筋肉質で引き締まった体にしっかりと支えられると、顔に熱がこもった。
なんだかふわふわと浮いているような心地よさに、自然と心を委ねてしまう。
すると頭上から心配そうな声が聞こえてきた。
「大丈夫?」
その声にはっとして、顔を上げる。
すると色黒の精悍な顔立ちをした少年の顔が目に飛び込んできたのだ。
それは時田俊太さんだった――
わずか数cm先の彼のキリッとした瞳は、ちょっとでも油断すると吸い込まれそうだ。
そして、私は自分が何をすべきか思いつきもせず、彼と抱き合った形で、目を見合わせ続けていたのである。
だが、次の瞬間だった。
「あーーー!! ダメェェ!!」
まるで巨大な岩石をも割りそうな、智子さんの甲高い声が店内に響いてきたのだ。
直後には、ぐいっと制服を後ろから引っ張られたかと思うと、智子さんに抱きかかえられる。
今度は、女らしい柔らかな感触に包まれた。
私は目を丸くして、智子さんの横顔を見ると、彼女はきゅっと俊太さんを睨みつけている。
そして、とんでもないことを大声で告げた。
「うらっちは、俊太には渡さないもん!!」
「はい……?」
素っ頓狂な私の声を最後に、店内にいる人のすべての動きが止まる。
智子さんの、ふーふーと荒い鼻息だけが、気まずい静寂の合間に響いていた。
これってもしかして……。
と、そこににこやかな表情の店長がバックヤードから出てきた。
もちろんさっきの智子さんの大声は店長の耳にも入っているはずだ。
しかし店長は、まるで何事もなかったかのように、俊太さんの隣までやってくると、ポンと彼の肩に手を乗せた。
「じゃあ、浅間さん。時田くんと長坂さんに、色々と教えてやってくれるかな?」
店長の言葉にも、ひどく混乱したままの私は何も答えられない。
すると小さく空いていた口元を引き締めた俊太さんは、私に対して深々とお辞儀をしてきたのだった。
「これからよろしくお願いします! 浅間先輩!」
私はパンと頬を張られたかのような衝撃を覚えて、智子さんから離れた。
姿勢をただし、私も一礼すると、彼の声に負けないくらいに大きな声で告げた。
「こちらこそよろしくお願いします! 一緒に頑張りましょうね!」
実は彼も今日から、『ファミリーセブン南池袋店』のアルバイトの一員となったのだ。
ソフトテニス部に所属している智子さんは、あまりシフトに入れないため、彼女が強引に俊太さんを引っ張ってきたらしい。
なお彼もまた洋子さんと同じく不起訴処分となり、今は南池袋で一人暮らしをしている。
そして、彼の父が残した借金については、長坂喜一が『穏便』に処理をし、この4月からは彼も智子さんと共に高校2年生に進級する。
俊太さんの今日があるのは、長坂喜一のサポート抜きでは語れないと言っても過言ではないだろう。
彼もそのことを十分に理解しており、何かにつけて「長坂のおじさんには感謝してる」と口にするようになった。
また週末には『家族の一員として』、俊太さんは長坂邸に呼ばれて、一家全員で食事を供にしているというから、その変化は驚き以外のなにものでもない。
そのことについて、生島刑事いわく「不気味なくらい長坂喜一が変わったからだ」とのことだ。
ただその要因に、私は一つだけ心当たりがある。
――あの日以降、毎晩のようにパパの夢の中に、狐のお化けが出てきて、『家族同士、仲良くしないとお前を呪ってやるぅ!』ってパパを脅したって言うんだけど、信じられないわよね!
そのように智子さんが耳打ちしてくれたことがあったのだけど……。
まさか……ね……。
なにはともあれ、今は全てがうまくいっている。
これから先、何が起こるかなんて、私だけじゃなくて誰も分からないと思うの。
でも私は信じているんだ。
「皆さん、ありがとうございます!! 俺、頑張ります!!」
「うちにも言わせて! みんな! ありがとう!! うちも頑張る!!」
真紅の制服に身を包んだ俊太さんと智子さんが、こうして笑顔で『ありがとう』って言えるなら。
それはみんなが『幸せ』なんだって。
そしてみんなが『幸せ』である限りは、きっと未来は輝き続けていくんだ――
………
……
「浅間さん、ちょっといいかしら?」
一通りの仕事の手順を二人に教え終えたところで、それまでじっと私たちの様子を見つめていた洋子さんが、ふと私に声をかけてきた。
私はちらっとカウンターの中の店長の方へ目をやる。
すると店長は「行っておいで」と優しい声をかけてくれた。
洋子さんが店長へ小さく一礼した後、私たちはコンビニの外へ出る。
ふわっとした春の爽やかな風が頬をなでた。
少し乱れた髪をかきあげる洋子さんの仕草がすごく大人っぽくて、ドキッと胸が高鳴った。
そんな私を見て、彼女は小さく微笑むと、淡々とした口調で、驚くようなことを言ったのだった。
「実は今日でしばらくお別れなの」
「えっ……? どういうことですか?」
目を大きくした私に、洋子さんはいたずらっぽく笑う。
「ふふ、驚かせてごめんなさい。いえ、驚かせたかったから、これでよかったのかもしれないわ」
「ちょっと、洋子さん! 冗談はいいですから、どういうことか、はっきりと言ってください!」
強い口調で返されたのが、少し意外だったのだろうか。
彼女は、わずかに細い目を見開いた。しかし、それも束の間、もとの微笑に戻って、再び淡々と告げてきた。
「イギリスの大学へ進学することになったの。授業は9月からだけど、語学のトレーニングと向こうの生活に慣れるために、早めに渡航することにしたのよ」
「まあ、そうだったの……。寂しくなりますね」
「ふふ、これでよかったのよ。今の家はあまり居心地よくないから……」
湿り気のある口調に、うつむいていた私ははっと顔を上げる。
だが、そこには再び、小悪魔のような笑みを浮かべた洋子さんの姿。
「ふふ、冗談よ。今は、お父様とお母様ともうまくやってるわ。雨降って地固まるってことかしら? でなければ、留学なんて許してくれるわけないもの」
「もうっ! からかわないでください!」
まるで誰かさんを思い起こさせるような洋子さんに、私は頬をぷくりと膨らませて抗議した。
私の様子を見た洋子さんは、細い目をさらに細くすると、静かに姿勢を正す。
そして頭を下げながら、凛とした声で言ったのだった。
「浅間さん。本当にありがとう」
真心からの感謝の念が、真っ直ぐに私の心へ届く。
そして口をついて出てきたのは、彼女と同じく感謝の言葉だった。
「いえ! こちらこそ、ありがとうございます!」
しばらくしてから、二人してゆっくりと顔を上げる。
そうして目を見合わせたところで、二人で笑いあった。
今日の春の陽のような、柔らかなぬくもりが私たちを包み込んだ。
なぜか目頭が熱くなり、右手で目尻をそっとぬぐう。
それは洋子さんも同じようで、でも彼女の場合は恥ずかしさを押し殺すように、視線を上空に向けた。
「あっ! 虹だわ!」
いつになく彼女の声が弾んでいる。
私は彼女が指差す方へ目をやった。
そこには空の端から端にかかる大きな虹。
「あの虹の向こう側……。私も行けるかしら」
ぼそりと呟いた洋子さん。
彼女の顔をちらりと見た私は、再び虹の方へ視線を戻すと、腹の底から声を出したのだった。
「絶対に行けますよ! 智子さんも、俊太さんも……『家族』みんなが一緒なんですから!」
と――
………
……
――じゃあ、このまま私は一足先に家に帰るわ。浅間さん、ともちゃんのことよろしくお願いね。
と、洋子さんは最後の挨拶をすると、そのまま自宅の方へ立ち去っていった。
ただ少し離れたところで急に振り返った彼女は、
――ともちゃんを泣かせたら、私、生霊になって、浅間さんを祟りにいくから。そのつもりでね。ふふ……。
と、とんでもないことを言い残していったのだ。
私はゾクリと背筋を凍らせたまま、引きつった笑みを浮かべて、彼女を見送ったのだった。
彼女の背中が見えなくなったところで、お店の方へと体を向ける。
すると耳元でささやき声が聞こえてきたのだった。
「ほほほ。まさか麗ちゃんの、初恋のお相手が女の子になるなんてねぇ。さすがのお姉さんでも想像していなかったわぁ」
私はキリッと声のした方を睨みつける。
そこにはいつもと変わらぬアヤメの姿。
しかしここで何か言い返したら彼女の術中にはまるのは目に見えている。
私は彼女を無視して、お店に向けて足を一歩踏み出した。
するとアヤメは再び耳元でささやいてきたのだ。
「ほほほ。ごめんなさぁい。お姉さん、勘違いしてたわぁ。麗ちゃんの初恋のお相手は、藤次郎だもんねぇ」
次の瞬間、「ボンッ!」と何かが爆発したような音がして、顔が真っ赤に染まってしまった。
「な、な、な、な、なんてこと言うのかしら! こ、こ、こ、この女狐は!!」
裏返った声を出すのが精一杯の私に対して、アヤメはニタニタしながら続けた。
「ほほほ。でもざーんねーん。藤次郎にはもう心に決めた人がいるのよぉ」
「え……?」
火照った顔にばしゃっと冷水を浴びせられたかのような衝撃が襲い、声を失ってしまった。
しかし……。
「う・そ・よぉ。ほほほほ! もう、麗ちゃんったらぁ、分かりやすいんだからぁ」
心の底から愉快そうに大笑いし、スキップでお店の方へ戻っていくアヤメ。
ふるふると怒りに震えていた私の体に、凄まじい闘志が充填されていく。
そしてキリッと顔を上げたところで、天を震わせるほどの雄叫びを上げたのだった。
「もう許さない!! 退治してやるんだから!! 覚悟なさい!!」
お札を片手に追いかける私。
高笑いしながら店長の方へ逃げていくアヤメ。
苦笑いを浮かべて、アヤメをかばう店長。
そんな私と店長の様子を見て、腹を抱えながら笑っている智子さんと俊太さん。
私にとって初めての試練は、新たな出会いと笑顔をもたらしてくれた。
だからようやく気づいたのだ。
『ファミリーセブン南池袋店』で働くことが私の修行になるという、おばあちゃんの言葉の意味を。
そして憎たらしいアヤメと、爽やかな店長を前にすると、不思議とこう思えるのだ。
これからどんな試練があっても乗り越えていける気がする、と――
(了)
最後までお付き合いいただきまして、まことにありがとうございました。
またお会いできる日を夢見て、締めくくりとさせていただきたいと思います。
本当にありがとうございました。





