迷うな 感じろ
ようやくクラス全員が揃った頃、僕らのクラス担任であるイブキ・モリ先生が眼鏡のレンズを拭きながらやってきた。あーあ、せめて担任くらい男の人だったらよかったのになぁ。……あ、イブキ先生、また髪切ったんだ。
「では体育の授業を始めますっ!」
ショートカットのイブキ先生はピカピカになった眼鏡をかけると、175センチの長身を生かし僕らをグルリと見渡して元気な声で授業を開始する。
「今日は一人ずつ順番にガケの上から飛び降りて、あのマットに着地する前までにテレキネシスでうまく身体を浮かせられるように頑張ってもらいます! 目指すはマットギリギリでの寸止めっ! 成功するポイントは、“ あぁ~んっダメダメェ~! 落ちちゃう落ちちゃうぅぅ~! ” ってあまり考えないで、精神集中することよっ」
イブキ先生、張り切ってるなぁ……。
“ 寸止め ” って言ったり、 “ あぁ~んっ ” の部分をヘンに臨場感たっぷりな感情をこめてあえぐように言うから妙にエロチックだったよ。イブキ先生ってHの時に思わずああいう風に叫んじゃうタイプなのかと一人妄想モードに入りそうになってしまう。
……こんなことばっかり考えるからテンマさんに “ エロタイセー! ” なんて言われちゃうのかなぁ。
それに気合の入ったイブキ先生には悪いけど、今のアドバイスはシンプルすぎて僕には全然役に立ちそうに無い。何せ僕はPSIが使えないんだから。
「じゃあ早速一人目行ってみましょう! ではタイセーくん、張り切ってどーぞっ!!」
ええええええっ! いきなり僕から!? 僕、何も力が使えないんですけど!? そのまま一直線にマットに激突しちゃいますよ!?
イブキ先生の監督責任とか職権乱用とかそういう教育的問題に発展しないだろうかと勝手に心配してしまう。
でもそれもこれも僕みたいな落ちこぼれな生徒が先生のクラスにいるからなんだよな……。イブキ先生には申し訳ない気持ちで一杯だ。
「どうしたのタイセーくん? 早く上に行ってね!」
イブキ先生の聖母のような笑顔がやさぐれたちっぽけな心に染みる。
もうこうなったらヤケだ!! もしこれで僕が大ケガをしたとしても、先生には絶対に迷惑をかけない!! 僕が先生の制止もきかずに勝手に飛び降りたことにしてやる!!
ガケに向かう途中、チラッとだけ後ろを振り返ってみた。しかし女の子達の中にカリンの姿が見当たらない。まだ怒ってるのかなぁ……。でもさっきのは全部カリンの誤解なのに……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ガケの上に着いた、けど……。…………たっ、高いよこれ!?
下から見ていた時よりも全然デンジャー感が違います! 完璧に足が竦んでしまっているのは僕がチキンなのではなく、あまりにも高すぎるせいだと信じたい。
「いいわよタイセーくーん! どーんと飛び降りてごらんなさぁーい!!」
きっ、気軽に言いすぎですっ、イブキ先生!!
でも僕がやらないといつまで経っても授業が進まないのも確かだ。後がつかえちゃうからクラスの皆に迷惑をかけてしまう。
それにこんな僕でもプライドの切れっ端ぐらいは一応ある。だからギャラリーはすべて女の子、というこの大舞台で、怖くて飛び降りられないなんて超カッコ悪いところを見せたくなかった。どうせ同じ恥をかくのなら、空中をぶざまにもがき落ちてマットに顔面をぶつけてもんどりうつ方が数段マシだよ。
「タッ、タイセー・イセジマッ、行きまぁーすっっ!!」
飛び降りる勇気を体内に呼び込むために大声で自分の名を宣誓すると、女の子達の半数以上がクスクスと笑っている。
「プッ、何あれ、ウケル~!」
「ダサッ」
「いかにもヘタレって感じだよね~っ!」
……うぅ、飛び降りる前から恥をかいてどうすんだ。下から風に乗って聞こえてくる嘲笑に、奮い立たせた勇気が萎えていく。
「大丈夫よタイセーくん!! マットにぶつかりそうになったら私が止めてあげるからーっ!!」
イブキ先生が笑顔で手を振っている。
そっか、本当に危なくなったら先生がサポートしてくれるのか。一気に安心した。
よしっ気力再充填だ! 浮く事なんて夢のまた夢だけど、せめて落下速度をわずかでも遅くできるよう集中だ!!
ガケの淵につま先を合わせる。い、行くぞ!!
「いい集中力ね」
いきなり背後からかけられた声に慌てて振り向く。
「カリン!?」
いつの間に来たんだろう。気配に全く気付かなかった。ガケから飛び降りようとしていた僕にカリンが冷静に告げる。
「その集中力を保ちなさい」
「応援してくれるのカリン!?」
良かった! もう怒ってないみたいだ! ……と思ったのも束の間、カリンは氷のような微笑を浮かべて言い放つ。
「それだけ意識がそちらに集まれば心を読みやすくなるわ」
「そ、それどういう意味!?」
「あら、タイセーは読心術の鉄則を知らないのかしら? テレパスの授業で習ってるはずよ」
カリンが静かに近づいてくる。
「相手の心をノイズ無しで綺麗に読み取るには、その対象者の意識を別の方に集中させることでしょ。だからタイセーが転落から自分の身を守ることに集中してくれればくれるほど、私が心の奥底を読みやすくなるわ」
「えぇーっ! 僕の心を読んでどうするのさ!?」
「そんなの決まってるじゃない」
復讐の女神はその背後に殺気を従え、また僕に冷たく微笑みかけてくる。
「さっきヨナを押し倒して何をしようとしていたのか、あなたの深層心理を徹底的に暴くためよ」
「ええええええええ────っ!!!!」
「タイセーくーん!! 大丈夫! 怖くないから早く飛び降りなさーい!! 先生がちゃーんと見ていてあげるからー!!」
ガケに背を向け、なかなか飛び降りない僕にイブキ先生が声援を送ってくれる。
違うんです違うんですイブキ先生っ!! 僕は怖くて飛び降りられないんじゃないんです!
先生からは見えてないのだろうけど、僕の前方にはカリンがいて、今はガケ下にダイブよりも、もっと危険な目に遭いそうになってるんです!
「……さぁ早く飛び降りなさいタイセー。私もすぐに後を追うから」
鷹揚とした仕草で腕を組み、威圧感を携えてカリンが僕のすぐ目の前に立つ。
予知能力はないけど、今なら自分の未来が分かった。
神様、あと数秒後にぼくはこの美しきネメシスの業火に焼かれてしまいます、たぶん。