話します あなただけには
ようやく放課後になった。
クラスの女の子たちとのさよならの挨拶もそこそこに走って教室を飛び出す。
正門まで一気に駆け抜けると、レドウォールドさんはまだいなかった。
思わず鳥肌が立つぐらいの怖い顔でここに立っていると思ったので拍子抜けする。
ここで待ってればいいのかな、と思った時、いきなり身体が浮いた。
「うわああっ!?」
そのまま僕の体は物凄い勢いで前方へと運ばれ、一台の黒塗りの車の横にストンと降ろされる。
左ハンドルの運転席には、端整な顔立ちの無敵を誇る従者さんが僕を見ていた。
「……乗れ、タイセー」
レドウォールドさんの氷のような冷たい瞳にゾクリとした感情が走った。
対向車に気をつけながら道路の中央に渡り、右側の助手席のドアを開けて中に乗り込む。黒塗りの車はすぐに走り出した。
レドウォールドさんは無言だ。
僕も何を言っていいのか分からないので、おとなしくすることにひたすら専念する。
助手席が右側にあるせいでレドウォールドさんの横顔は金色の髪でほとんど見えない。
左ハンドルなのに右目を隠していてよく運転できるなぁと感心していると、突然レドウォールドさんが、
「何を考えている?」
と口を開いた。
本当に突然だったので、多少どもりながらも「よ、よく運転できるなぁと思って」と答えた。
するとレドウォールドさんは「それはどういう意味だ?」と声に剣を含んで尋ねてくる。
「左ハンドルで右目に髪がかかっているのに」
と追加で答えると、ようやくレドウォールドさんは僕の言いたいことが分かったようだ。
「右は天眼で補完している」
というクールな答えが返ってきた。透視能力の一つであるマグニフィを発動して右側もきちんと見えているらしい。さすがはレドウォールドさんだ。
ここでレドウォールドさんはようやく僕への尋問を開始しだした。
「タイセー。昨日、お嬢様がクラスの女生徒と諍いを起こしたと言っていたな?」
「は、はい。それが?」
「その女生徒の名前を教えて欲しい」
「えっ…?」
その質問に驚いたのは僕だ。てっきり僕への厳しい尋問が始まると思っていたのに、コダチさんのことを知りたいだなんて予想もしていなかった。
「ど、どうしてそんなことを聞くんですか?」
レドウォールドさんはハンドルを握りながら淡々と話す。
「昨日フルリアナスから出てこられたお嬢様の様子がおかしかったのだ。顔色が優れないようなので理由をお伺いしたのだが、何も話そうとなさらない。今朝になって、しばらくフルリアナスへは行かないと言い出しておられるし、その女生徒との間に何かあったと見るのが妥当だろう。だからその女生徒に話を聞きたいのだ」
あぁレドウォールドさんは何も知らないんだ……。
昨日の僕とカリンの間に起こったことを。
僕がカリンを傷つけるような事を言ってしまったことを。
「い、いえ、その子のせいじゃないです。カリンが学校に来たがらないのは、きっと僕のせいです」
「なに?」
わずかにレドウォールドさんが僕に顔を向ける。
「僕、昨日帰り際にカリンにひどいことを言っちゃったんです。きっとそのせいでカリンは傷つ…」
「お嬢様に何と言ったのだ!?」
レドウォールドさんが僕の言葉を遮る。
「そ、それは……」
その言葉を言う前に息を吸おうとしたら動揺しているせいでうまくいかなかった。少し酸欠の状態で無理矢理それを口にする。
「ぼっ、ぼくを見下すな、って……」
「お主を見下す……?」
レドウォールドさんは少しの間だけ黙っていた。
そしてゆっくりとまた口を開く。
「お嬢様が貴殿を見下すようなことをしたのか?」
「いえ、僕が勝手に卑屈になってカリンに八つ当たりをしちゃっただけです……」
「…………」
レドウォールドさんはさっきよりもさらに長い時間黙り込んだ。
車はどこに向かっているのか分からない。ただぐるぐるとこの近隣を回っているような気もする。
やがてレドウォールドさんは少し広めの歩道に一旦車を乗り上げて停止させると、僕に顔を向ける。
「まだよく状況がつかめん。全部話してくれるな、タイセー? お嬢様にとって貴殿が大切な存在だとは分かっている。だが貴殿がお嬢様を悲しませるのであれば、私はお前を切り捨てねばならん」
── 目がマジだ……。
「本当にカリンが大事なんですね、レドウォールドさんって」
思わずそう言ってしまった。すると、「当たり前だ。私はあのお方のためだけに生きている」という従者の鏡のような返事が即行で戻ってくる。
「どうしてそこまでカリンに尽くすんですか……?」
カリンが好きだから、という答えが戻ってきたらどうしよう……。もしそうなら僕は絶対敵わない。
でもレドウォールドさんの返答は、僕が思いつくような類のものではなかった。
「あのお方は私にそれまで見えていなかった視界を与えてくれたからだ。そのご恩を返すために私はお嬢様に仕えている」
「見えていなかった視界?」
「……その話はまたいずれ貴殿に話してやろう。それよりも今はお嬢様が心を痛めている原因を私は知りたい。教えてくれるな?」
頷く前に一つの提案をする。
「あの、外で話しませんか?」
「そうだな、男同士でこんな狭い場所で話していると息苦しくて敵わん」
黒塗りの車は駐車ができて僕らが降りられそうな場所を探す。
途中でコンクリートの敷地が大きく広がる場所があったのでレドウォールドさんはそこに車を停めた。
「ここに停めていいんですか? ここって病院の建設予定地みたいですけど」
「大丈夫だ。その看板に書かれている病院名をみてみろ」
「あ」
タカツキの名前があった。
「タカツキって今は病院経営もしているんですか?」
「あぁ。今度ある財閥と提携することになってな。そことの共同事業として行うことになっている」
「へぇ、すごいなぁ……」
僕が感心しながらそのボードを見ていると、レドウォールドさんが静かに催促する。
「ここなら周囲に誰もいない。さぁ話してくれタイセー」
僕は頷いた。
そして話す。僕の秘密を。
「レドウォールドさん、幼稚園の頃、カリンが誘拐されそうになった時があったでしょ?」
「あぁ、覚えている。お主が賊の刃からお嬢様を救ってくれたではないか」
「僕、あの時にこっちの腕をケガしたのは覚えていますか?」
右腕を指すと、レドウォールドさんは悔いるような表情を浮かべる。
病院の建設予定地を吹き抜ける夕時の風が、カリンに忠誠を誓う従者さんの長い前髪を大きく揺らした。だけどレドウォールドさんの隠れた右目はそれでも見えない。
「……あぁ、むろんだ。私がもう少し早くあの場へ辿りつけていれば貴殿にそのような怪我をさせることもなかったのにな……。あの後、お嬢様を安全な環境に置く為に私たちはこの地を離れたので私もその後の事は詳しくは知らないが、貴殿の片腕が少々不自由になってしまったとは聞いている。やはり今も完治はしていないのか?」
「はい。今も右腕はあまり力が入らないです」
「……済まないタイセー。私のせいだ」
レドウォールドさんの顔に浮かぶ悔恨の色がさらに濃くなった。
「いえ、レドウォールドさんが来てくれなければ僕はきっとあの時殺されていました。こうして今も僕が生きていられるのはレドウォールドさんのおかげですよ。右腕が多少不自由になったぐらいで済んだんですから。あの時は本当にありがとうございました」
そうお礼を伝えると、レドウォールドさんがぐっと言葉を詰まらせる。
「……もしかするとお嬢様が貴殿をフルリアナスへ導いたのは、怪我をさせてしまったその右腕の償いの意味合いもあったのかもしれんな……」
「えぇ、僕もそうだと思ってます。それでレドウォールドさんが知っているのはそこまでですか?」
「どういう意味だ?」
「僕の右手が不自由になった、ということしか知らないのかってことです」
「では他にも私が知らない事がまだ何かあるのだな?」
レドウォールドさんの声のトーンが変わった。
「何も知らないんですね。良かった。だってレドウォールドさんが知らないという事はカリンも知らないってことですから」
「そうだな。私も何も聞いていなかったのだからあの頃幼かったお嬢様も知らないはずだ。教えてくれタイセー。その腕が不自由になった他にまだなにがあるというのだ?」
「カリンには絶対に言わないって約束してくれるなら言います」
「レドウォールド・アレトゼー、我が名にかけて約束しよう」
真面目な従者さんは真剣な表情で自らの胸に誓いの拳を素早く当てる。
「ありがとうございます」
この人なら大丈夫だ。
絶対に秘密は守ってくれる。
そんな確信がしたので一呼吸置いてから言った。
「僕、今は救いようの無い落ちこぼれだけど、小さい頃は神童って言われてたんです」
五歳の頃の僕。
今とはまるで別人だった僕。
「他の同い年の子に比べて僕は何でも上だった。念力である程度の重さの物もすでに浮かせることが出来ていたし、空気の一部を圧縮させてそれをお手玉みたいに放り投げて遊んだりとか、威力は小さかったけど発火ももう出来てたんです」
レドウォールドさんは無表情だ。でもちゃんと聞いてくれている。
「小さい子どもって火にすごく魅かれるんですよ。黄色や橙色に揺らめく炎を見てると飽きませんでした。だからヒマになるとしょっちゅう掌からそれを発動させて、親や幼稚園の先生に危ないことをしちゃダメってよく怒られてました」
「タイセー、今お前がPSIを使えないのはまさか……!」
察しのいいレドウォールドさんの声が急に硬くなる。
僕は頷いた。
「……そうです。あの時右手に大ケガを負ってから、僕は一度も発火を出すことができません。いえ、発火だけじゃなく、PSI能力そのものが出せなくなったんです」