僕は存在する価値のない人間です
── 頭の中で思考がグルグルと迷走している。
僕が本当に好きなのはナナセ・ヤマダだって……?
「どうしてそんなに驚くの? それが君の本心なのに」
まだ立ち直りきっていないのに、容赦の無いコシミズさんの言葉が僕を追い込み続ける。
「フルリアナスに入学してからの君の過去画像を見たけど、ナナセを目で追っているシーンがたくさんあった」
「う、嘘だっ!」
「嘘じゃない。それが真実」
肩口までの黒髪をハラリと後ろにはらい、コシミズさんが軽蔑したような目で僕を見る。
「現に昨日もそれが原因でカリン・タカツキに怒られていたじゃない。 “ ランチ中に他の女の子を四回も見ていた ” って。きっとあの時も君はナナセを目で追ってた。おそらく無意識で」
自覚しきれていなかった事実を目の前に次々と晒される。
── ナナセ・ヤマダ。
僕がこの学園に入学して一番最初に気になった女の子。
黒髪ストレートで、眼鏡をかけてて、おっとりしていて、笑顔がとても優しそうで。
クラス委員長なのにイブキ先生の言いつけを破って、森に吹っ飛ばされたカリンを探しにも来てくれた。ぼっ、僕はこの女の子のことが一番好き……、なのか? カリンよりも……?
「ホラ、ようやく自覚できた」
普段は必要な事以外ほとんど喋らなくてクラスの中では空気のような存在の女の子なのに、今は別人のように雄弁だ。初めて見るコシミズさんのそんな姿に戸惑いを隠せない。
「隠しておきたい事はこっちじゃなかったみたいだけど、でもこの事実を自覚した今は隠しておきたいはず。だって、昔好きだった女の子と、今好きな女の子の間で気持ちが迷っているなんて、普通は知られたくないもの。でも落ち込むことない。いきなり綺麗な幼馴染が現れて好きだって言われれば男の子なら誰でもぐらつく。だから元々他に好きな女の子がいたとしても君のそれは普通の反応」
くっ……! なんなんだよこの娘!? なに急に上から目線で偉そうに語ってんだよ!?
身体全体がコシミズさんに対する拒否反応と激しい憤りであっという間に侵食されていくのが分かる。
「だから安心して。君の秘密は誰にも」
「ふっざけんなああ!」
もう我慢の限界だ!! 人のプライバシーにここまで土足でずかずかと入り込む権利がこの娘にあるのかよっ!?
「何様だよ君はッ!? 勝手なことばっかり言って最低だよっ!」
「勝手なことは言ってない。だって全部事実」
「うっ、うるさいっ!! 黙れよっっ!!」
コシミズさんの細い身体がビクンと震えた。
昨日、僕が廊下で口を塞いで脅した時のように。
「……また怒った……」
コシミズさんが悲しそうに呟く。
「君は私に逆ギレしてる」
── 逆ギレ!? これって逆ギレになるのかよ!?
「君がそんなに怒るのは、私に指摘されたことが事実だと心の奥底では分かってるから。でもそれを認めたくないからそうやって私に八つ当たりをしている。だから最低なのは君。私じゃない」
「……!」
「でも私には理解できないことがある。なぜ君はカリン・タカツキを恨んでいないの?あの子のせいであなたはそんな身体になったのに」
「きっ君に分かってたまるもんか! カリンのことを何も知らないくせに!」
「もう知ってる。君に全部教えてもらったから」
「教えてなんていないよ! コシミズさんが勝手に覗き見ただけじゃないか!」
「……あの子が初めて好きになった女の子だから? たったそれだけのことでそんな風に相手を許せるものなの?」
「た、たったそれだけなんて言うなあっ!!」
自分でも驚くくらい本当に頭にきていた。女の子にここまで頭にきたのは生まれて初めてだ。
だけどうまく言い返せない。
言い返したいのに反論の言葉を吐き出すことができないもどかしさのせいで、余計にコシミズさんに対する怒りの感情が増してゆく。
「君が逆ギレしている理由は、カリン・タカツキだけを好きだったつもりなのに、ナナセも好きだった事実を知って動揺しているから? それを認めたくないから?」
コシミズさんの止まらない声が僕の頭の中全体を支配する。
彼女の言葉が僕の思考をこのまま停止させようとじわじわ占領してくる。
こ、このままじゃ引きずられちゃうよ!!
「それとも二人の女の子を好きになって自分が不誠実な人間ように感じるのが嫌なの?」
うぅっ……、なっなんなんだよこの子!!
違う!! そんなんじゃないっ!! そんなんじゃないよっ!!
「それともカリン・タカツキとは釣りあわないって思っているから? 本当は自分より他にお似合いの男性がいるって心の中では負けを認めているから?」
うあああああああああああ!!!! 止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろおおおおお!!
これ以上僕の本心を覗き見るなあああああ──っっ!!!!
「君なんか大っっ嫌いだあああああああああああああああっっ!!!!!」
「きゃあぁっ!?」
完璧にキレた僕が全力で怒鳴った時、何もしていないのにコシミズさんが急に後ろに吹っ飛ぶ。そしてそれとほぼ同時に僕の左頬に鋭い痛みが走った。
「痛っ!」
顔を歪めた瞬間、また同じ箇所に鋭い痛み。三度目は左手の甲に痛みが走った。
鋭い痛みはすぐにじんわりと滲むような嫌な痛みに変わる。どうしてそんな痛みが起きたのかを理解する前に、地面に倒れていたコシミズさんが叫んだ。
「ジャック!?」
コシミズさんに呼ばれた物体が飛び出してきた。
── 猫だ。三匹の猫だ。
ビロードのような真っ黒い毛の猫は左目が潰れている。
茶虎の猫は少し太り気味で、白地に黒いブチのある猫はかなり痩せていた。
三匹の猫は少し距離を空けた場所から威嚇の声を上げ、僕を睨みつけている。
僕に向けられているこの怨嗟のこもった視線……! こいつらだ!! 僕はさっきからずっとこいつらに付け回されてたんだ!!
じゃあこいつらはコシミズさんの忠実な使い魔ってことか……。
さっき一度だけ背中の悪寒が薄れた時があったけど、あれは照れたコシミズさんと僕がパッと見は仲良くしているように見えたから、きっとこいつらも一瞬気が緩んだんだろう。
二度引っかかれた左頬からゆっくりと血が流れてきている感触がする。この痛み方からして、今の僕の左頬には十文字の傷跡がつけられているみたいだ。
顎にまで垂れてきた血を手の甲で拭おうとすると、さらにヌルッとした感触がした。
……あぁそうか、こっちの手も猫に引っかかれていたんだっけ。
頬の血がなすりつけられた真っ赤な手の甲をダラリと下げると、左目の潰れた黒猫がフシャーッと威嚇の声を上げた。すると残りの二匹もグッと身体を沈ませ、臨戦態勢をとる。
「ジャック!! ルシ!! ロク!! 止めて!! この人何も悪くない!! 何も悪い事してない!!」
今にももう一度僕に向かって飛び掛ってきそうな猫たちの前にコシミズさんが両手を広げて立ち塞がる。
だけどコシミズさんのその命令に使い魔である猫たちは従いたくないようだ。喉の奥をグルルルと鳴らし、それぞれ不満の意を漏らしている。
「ダメ……! ダメだよみんな……!」
コシミズさんが泣きそうな声で再度命令をすると、ようやく猫たちは渋々と臨戦態勢を解いた。
使い魔たちがやっと命令に従ったので、コシミズさんは僕の方を振り返る。
「……こ、この子たち、昨日私が君に押さえつけられているのを校舎の外から見ていて、君が私を苛めているんだと思っているの。だから…………、い、痛い?」
ジャケットのポケットから急いでハンカチを出し、コシミズさんはそれで頬の血を拭おうとした。だけどコシミズさんを許せない僕は全力で彼女を拒絶する。
「触んなよっっ!! 」
僕のこの行動に猫たちがまた色めきだしたけどそんなことどうでもいい!
「そうやって介抱するフリをしてまた僕の心を読む気だろ!? 悪趣味なのもいい加減にしろよっっ!!」
「そ、そんなこと、しない……」
「信じられるかよっ!!」
頬に触れようとしていたコシミズさんの手を弾き飛ばす。「あっ」というコシミズさんの小さな叫びと共に薄いブルーのハンカチはひらひらと後方に落ちていった。
「どっか行けよ!! 二度と僕に近づくな!!」
コシミズさんは脅えた表情で数歩後ずさる。
「……私だってこんな能力欲しかったわけじゃない……」
くぐもった声でそこまでを口にした後、コシミズさんは身を翻して走り去って行った。
三匹の猫もすかさずその後を追い出したが、黒猫だけがピタリとその場に止まり、僕に向かってまた威嚇の声を上げる。
去り際に最後の一撃を仕掛けてくるつもりかと身を固くした時、僕の足元で「なーお」という鳴き声がした。真下を見ると、ふさふさとした白い毛の子猫が僕の右足に身体をこすりつけてじゃれついている。
……この子猫もコシミズさんの使い魔なのか?
あの三匹とは違ってすごく人懐っこい猫だ。子猫は足元でじゃれながらも遊んでほしそうなつぶらな瞳で僕を見上げている。
その様子を見ていた片目の黒猫が身の毛もよだつような恐ろしい声でぐぎゃああと泣いた。すると白い子猫はビックリした様子で慌てて僕から離れ、黒猫の元へと走り寄る。
白猫が自分の元に戻ってきたのを見届けると、黒猫は目の奥の黒目をギラリと細め、もう一度僕を睨みつけた後、子猫を連れて走り去っていった。
……裏山に一人取り残され、しばらく立ち尽くすうちにようやく頭が冷えてくる。
コシミズさんの言うとおり、僕は彼女に逆ギレしたんだろうか……?
カリンは初恋の相手で、僕が誰よりも守りたい女の子だ。
でもカリンは僕なんかよりも数段優れた能力者で、僕の助けなんか必要ない。しかも容姿端麗で完全無欠の従者さんがいつも側にいる。だからPSI能力ゼロの使えない状態からこのままずっと抜け出せないのであれば、僕はカリンにとって必要のない人間だ。
なのにカリンは必要の無い僕を守ると言ってくれている。
でも僕はそれが嫌だ。どうしても嫌だ。
僕も超能力が使えるようになりたい。
カリンを守れるぐらいの能力は無理でも、少なくても足手まといにならないぐらいの力がほしい。
だから今までよりももっともっと努力しようって思った。カリンが、すごく好きだから。カリンの一番側にいたいと思ったから。
だけど、「ではナナセ・ヤマダのことは好きじゃないのか?」と問われて「はい」と即答できる自信が今の僕にはもう無い。コシミズさんの指摘を完全に否定できなくなっている。
自分の気持ちだからすぐに分かりそうなものなのに、どうしてこんなにぐちゃぐちゃしてるんだろう。
草むらの上に座り込み、膝の間に顔を埋める。
伏せた頬から流れた血が足の間にポタリと落ちていった。
……カリン、君に逢いたい。
今すぐ君に逢いたいよ。
そして僕が一番好きなのは君なんだって思わせて欲しい。
そうしないと救いようの無い自分に今度こそ見切りをつけてしまいそうだ。
草むらに落ちた血痕のすぐ側に、コシミズさんが落としていったハンカチが見えた。
握力が低い方の手で拾い上げ、ギュッと握りしめる。
僕だって強くなりたい。僕の人生はまだ終ってなんかない。
だけどありったけの全力で握りしめたのに、青いハンカチは手の中で完全にくしゃくしゃにはならなかった。一気に気が抜けた僕の手のひらからコシミズさんのハンカチがゆっくりと落ちていく。ハンカチが再び地面に落ちるその様を光を失った目でただ呆然と見ているしかできなかった。こんな無情な現実を僕は今まで何度味わってきただろう。
このまま消えてしまいたい──。
自然と頭に浮かんだその負け犬的な願望に、伏せた顔から乾いた笑いが漏れる。
……コシミズさんのあの使い魔たち、いい仕事をしていったよ。
こんな駄目なクズ男は引っかかれて当然だ。