僕はねじれた秘密を抱えているのかもしれません 【 後編 】
カリン、もう目が覚めたかな……。
心配だから様子を見に行きたいけど、今はここで待機を命じられている身だから動けないのがもどかしい。
イブキ先生はまだ来ないし、手持ち無沙汰なせいもあって、CALLroomでぼんやりと幼少時代を回想し始めることにする。
つっ立っていると疲れるので行儀は良くないけど床に座り込んだ。
はぁぁ、と盛大な溜息をついてもたれかかったせいか、少し勢いをつけすぎて扉にゴツンと頭を打ってしまう。
「イテテ…」
ジンジンと沁みるように痛む後頭部を何度かさする。
すると痛みが引いていく代わりに、小さい頃のカリンの姿が柔らかいパステル調の色合いで頭の中に浮かんできた。ニコニコと笑っている幼い表情に、コシミズさんのせいで先ほどまで荒んでいた気持ちがほんの少しだけ和む。
── 僕の初恋の女の子はカリン・タカツキだ。
……そういえば当時通っていた幼稚園でカリンを初めて見た時、即座に思ったんだよなぁ。なんてかわいい女の子なんだろう、って。
艶々と輝く亜麻色の髪を、真後ろできっちりと何重にも編みこんだヘアスタイルがなんだかとっても清楚に見えて、最初はどこかの国から来たお姫様なのかと思ったほどだ。
カリンの家は裕福だった。
お父さんは色んな事業を手がけていて、しかもどの分野の事業もことごとく成功していて、家には唸るほどの財産があるらしいと周囲の大人達は噂していた。
そんな裕福な家のお嬢様であるカリンが、どうして僕が通うような平凡な幼稚園に来たのか今では疑問だけど、当時は小さかったから何も不思議に思っていなかった。
でも思い返してみると、普通の家の子ではまず無いような出来事もカリンの場合は当然のようにあったみたいだ。
親が資産家なためにカリンは危険な目に遭う事が多かったらしい。身代金目的で何度か誘拐されそうになったことがあったと聞いたこともある。
だからカリンはお母さんではなく従者であるレドウォールドさんと毎日一緒に登園していた。昔の事なので記憶がおぼろげになっているけど、朝の登園中にカリンと出会った時、レドウォールドさんの身体の一部にケガの跡を見つけたこともあった。
あの時は幼稚園児だったから仕方ないかもしれないけど、
「痛くないの?」
と空気が読めていないにもほどがある質問をしてしまった。そんな間抜けな僕に向かってレドウォールドさんは、「あぁ全然痛くない」とカリンの傍らで小さく笑いかけてくれたのを覚えている。
たぶんあの頃幼いカリンの身に危険が及びそうになる度に、レドウォールドさんが僕の大切な幼馴染を全力で護っていたんだろう。完全無欠の騎士として。
「小学校は一緒に行けるの?」とカリンに聞いてみたことがある。
いつもニコニコしていたカリンはその時だけちょっぴり困ったような顔になったあと、すぐにまたニッコリと笑って「うん」と頷いてくれた。幼かった僕は自分に向けられた笑顔に胸を勝手にときめかせ、愚かにもカリンの言葉をそのまま信じて素直に喜んだ。
あの時のカリンが一瞬見せた悲しそうな表情の意味をよくよく考えれば、一緒に通えないことをカリン自身はもう分かってたんだ。だけど「うん、一緒に行けるよ」という返事を期待している僕を落胆させないよう、あの時頷いてくれたんだと思う。だから僕らが共有している思い出は、幼稚園に通っていたあの頃だけだ。
でも、たとえ小学校は一緒に行けなくても、本当ならあともう一年、幼稚園を卒園するまでのあともう一年、僕らは一緒にいられるはずだった。
だからもっともっと楽しくて素敵な思い出をカリンにあげる事ができたはずだし、僕もカリンからもらえることができたはずだった。だけど。
あの事故が残り一年の楽しい思い出の予定と、僕の右腕と人生までもグチャグチャにしてしまった。
カリンはあの事故の後日談を知らない。これ以上カリンが危険な目に遭わないよう、そして他の園児に迷惑がかからないよう、すぐに幼稚園を退園させられてしまったから。
だからこそ、僕はこの事実をカリンに隠し通さないといけない。
もし事実を知れば、きっとカリンは一生僕に対して負い目を感じることになってしまう。僕はそれが何よりも怖い。
カリンがこの事実を知って僕に対して罪悪感を感じ、その償いのために自分の人生の全てを僕に捧げようなんていう馬鹿げたことを考えたらと思うと、足元が震えてくる。
だってそんなの、僕があまりにも惨めだ。
この先、もしカリンが僕以外に好きな男ができたとして、その時この落ちこぼれなダメ人間の存在が彼女の足枷になってしまうなんてことになったら僕は絶対に耐えられない。
カリンは僕にもPSI能力が眠っていていつかその芽はきっと芽吹く、と励ましてくれた。だけどそんな育つかどうかも分からない絶賛発育不良中の芽のことなんかより、彼女の幸せの芽を僕が根っこから無残に摘み取ってしまう事が何よりも怖い。
だからカリンには隠し通さなければならないんだ。この右手のことも、その後の僕自身についても──。
「……貴殿に問う。カリンお嬢様がいずこにおられるかご存知か?」
ひぃぃぃぃっ!?
ヒンヤリとした感触。突然、本当に突然に、冷たく研ぎ澄まされた刃が僕の喉元にピタリと当てられる。
なに!? なに!? 落ちこぼれには到底似合わないシリアスモードにどっぷりと浸っていたのが悪かったの!?
突如起こったこの落命のピンチに頭も身体もついていけてない。今はごくりと唾を飲むことすら危険そうだ。だってその嚥下動作で首元の薄皮が綺麗に一枚削がれそうなくらい、刃は僕の喉元にしっかりと押し当てられている。
そ、それより確かこの人、今「カリンお嬢様」って言ったような……!?