第一話 ホワイト案件
この街では、人はいなくならない。
コインランドリーの夜番を一年やって、僕が覚えたのはそれだけだ。
三番の乾燥機は、今夜も二十三時十四分に止まった。
中には、陸斗が昨日着ていたのと同じシャツが入っていた。
*
今どき、夜番のいるコインランドリーは珍しい。
たいていの店は無人で、防犯カメラと両替機と、注意書きの貼り紙だけで回っている。「白線」も昼間はそうだ。夜十時から朝六時までだけ、僕がいる。
オーナーとは、電話でしか話したことがない。面接も電話だった。
「機械は見張らなくていい。人を見ていてくれればいい」
それが仕事の説明のすべてで、時給は相場より少し高かった。
やることは単純だ。床を掃いて、乾燥機のフィルターの綿ぼこりを取って、受付ノートに名前を書いてもらう。ノートはオーナーの決まりで、今どき手書きだ。名前と時刻と、洗濯物の特徴。「グレーのパーカー、靴下多め」みたいに、僕が横に小さく書き足す。
二十三時ちょうどに、久我さんが来る。
「よう、夜番」
七十一歳。元は西口の交番にいたお巡りさんで、今は駐輪場の管理をしている。作業着を三番の乾燥機に放り込んで、自販機の缶コーヒーを二本買い、一本を僕に寄こす。毎晩同じだ。
「今日も平和か」
「平和です」
「平和がいちばん退屈で、いちばん難しい」
それも毎晩、同じだった。
*
陸斗が来たのは、三日前の夜だった。
洗濯物は持っていなかった。丸椅子に座って、スマホの画面を僕に向けた。
「なあ湊、これどう思う」
Xの投稿だった。
『本人確認モニター募集 1日3万円 ホワイト案件 書類を受け取るだけ・家にいるだけ 即日即金』
「どう思うも何も」と僕は言った。「ど真ん中だろ、それ」
「だよな」
陸斗は笑って、それから笑うのをやめた。
小学校からの付き合いだ。大学には入ったけれど、仕送りが止まって、家賃を二か月ためている。居酒屋のバイトは、シフトを減らされた。そういう話を、僕は乾燥機の音を聞きながら、何度も聞いてきた。
「もう、応募した」
陸斗が言った。
「免許証の写真と、自撮りの動画を送った。顔を左右に振るやつ。銀行のアプリ作るときにやるだろ、あれ」
「……馬鹿」
「わかってる」
前に久我さんから聞いた話を思い出した。身分証の写真を送らせるのは、あとで脅すためだ。住所も顔も握られたら、逃げられなくなる。
「やりとり、どのアプリで」
「途中から、消えるメッセージのやつに移れって言われた」
それも、聞いた話のとおりだった。
陸斗は、最後のメッセージを見せてくれた。
『審査に通りました。
明日は一日、家から出ないでください。
スマホの電源も切ってください。
あなたは何もしなくていい。
明日一日、あなたの役はこちらで引き受けます。』
「役って、なんだよ」
「知らない。でも、家にいるだけで三万なんだ」
僕が何か言う前に、ドアが開いて、二十三時の風が入ってきた。
*
「名義だな」
久我さんは、陸斗のスマホを老眼鏡越しにのぞいて言った。
「おまえの顔と免許で、一日のうちに口座を作る。携帯を契約する。全部おまえの名前で、だ。で、おまえは家で寝てる。あとで警察が来るのは、おまえのところだ」
陸斗の顔から、血の気が引いた。
「今からでも遅くない。明日の朝いちばんに警察へ行け。応募しちまった若いのは、相談すれば守ってもらえる。そういう仕組みが、今はある」
「……行ったら、俺、捕まる?」
「行かなかったら、捕まる」
久我さんはそう言って、乾燥機の扉を開けた。
「三番、まだ温いな」
そう言って、作業着を畳みはじめた。
陸斗は、行くと言った。
僕は、朝六時に店を閉めたら、交番まで一緒に行くと約束した。
*
翌朝、陸斗は来なかった。
電話をかけても、電源が切られていた。
アパートの前まで行って、ドアを叩いた。返事はなかった。ポストに、ピザ屋のチラシが二枚刺さっていた。
僕はそのまま交番へ行き、自分のことのように事情を話した。若い警察官は、親身に聞いてくれた。#9110という番号と、何かあればすぐ連絡するようにという言葉と、相談窓口の紙をくれた。
その日の夜、陸斗のアパートの窓に、明かりがついた。
*
「寝てた」
ドアを開けた陸斗は、寝ぐせのついた頭で言った。
「言われたとおりにした。スマホも切って、一日中、寝てた」
「馬鹿」
「三万、振り込まれてた。名前の知らない会社から」
部屋は、いつもの陸斗の部屋だった。カップ麺の容器と、脱ぎっぱなしのシャツ。テレビの横に、小学生のころ二人で取ったゲームセンターのぬいぐるみが、まだ置いてあった。
僕は、そのぬいぐるみを見て、なぜか泣きそうになった。
翌朝、陸斗はちゃんと警察へ行った。
僕も一緒に行った。刑事さんは、口座や携帯が勝手に作られていないか調べると言った。届けを出したことで、陸斗は「被害を受けた側」として扱われることになった。少なくとも、そう説明された。
帰り道、陸斗はコンビニでおにぎりを二つ買って、一つを僕にくれた。
「ありがとな」
いつもの陸斗だった。
事件は、それで終わった。
*
それから、三日がたった。
陸斗の母親から、店に電話があった。番号は、陸斗に聞いたらしい。
「湊くん、いつもありがとうね」
声が明るかった。
「あの子、最近ちゃんと電話くれるのよ。毎晩。仕送りのことも、謝ってくれて。急に、素直になっちゃって」
よかったです、と僕は言った。本当に、そう思った。
その夜、陸斗が洗濯物を持って店に来た。
受付ノートに名前を書いて、三番の乾燥機に洗濯物を入れた。百円玉ではなく、スマホで払った。
「現金、もう持ち歩かないことにした」
そう言って、笑った。
陸斗が帰ったあと、僕はノートを見た。
『陸斗 23:02』
きれいな字だった。
陸斗の「斗」は、小学生のころから、最後の縦線がいつも左に大きく曲がる。前のページをめくると、三日前の陸斗の字は、ちゃんと曲がっていた。
今夜の「斗」は、まっすぐだった。
僕は、何も書き足さなかった。
いつもなら洗濯物の特徴を書く欄に、何を書けばいいのか、わからなかった。
二十三時十四分。
三番の乾燥機が止まった。
陸斗は、もう帰ったはずだった。




