No.1 イツワリならざる明日へ、あるいは真なる円を綴りし物語へ
No.1 イツワリならざる明日へ、あるいは真なる円を綴りし物語へ
Rin Rin Rin…
時計の音色が荘厳な音色から軽薄な電子音へとその音色が混ざり合っていくと、深い眠りから目を覚ますように、ボクの意識も目覚めていく。
重たい瞼を持ち上げると、現実は容赦なく色彩を押し付けてきた。
「───朝……ゆめ?」
先程までの事ははっきりと覚えている、たとえ睡眠時に見る泡沫の夢だとしても、ボクの記憶にはっきりと残っている。
寝起きの微睡みの中、カーテンの隙間から漏れた視界を焼く陽光。
それはボクを祝福しているのではなく、『僕ではない。ボクとして生きろと』と命じるのような光だった。
「ふあぁぁ…起きなきゃ」
眩しさに目を細目るもボクは身支度をする為、いまだに鳴り響く目覚まし時計を止め。
ベッドサイドに置かれている黒縁の眼鏡を取ろうとしたところで、その指先が空中で止まる。
「…うん。これは、もう必要ないから」
ボクは眼鏡を丁寧に手にし、それを眼鏡ケースへとそっと仕舞う。
ゆっくりとベッドから立ち上がり。クローゼットから女性用の制服を取り出す。
袖を通し。
プリーツスカートを履き。
カーテンを開け放つ。春の暖かな日差しが目に入り細める。
身支度を済ませ、リビングへと行き。誰も居ないリビングに入り込みながら、ボクは天井を見上げる。
この家に住む同居人兼保護者は今日も徹夜でゲームをしていたようだ。
軽く溜め息を吐いて。朝食の準備をする。
「くっ…たあっ!…なんで!?」
悪戦苦闘しながら朝食をなんとか作りきると、天井から、二階の部屋の一室からけたたましい目覚まし時計の音が鳴る。
すると。
なにかと格闘でもしているかのような騒がしい音が鳴り響いてくると、階段を滑り落ちてくるように、女性がリビングの前の廊下を駆け抜けていく。
ボクは朝食を持ちながらその後を慌てて追いかけた。
「ごめんまーちゃん!今朝も朝食作れな、く…て…」
女性はボクの姿を見ると目を見開き。時が止まったかのように止まった。そして急にボクを抱き締め。
「まーちゃん…まーちゃん…うん。うん…」
少し涙が混じった声でボクの愛称を何度も呼ぶ。
「…もう、大丈夫だから。長い間、心配させてごめんなさい」
「いいのよ。うん、いいの。まーちゃんが納得できたのなら」
「ありがとう。でもそろそろお仕事いかないと」
「行かない!まーちゃんがせっかくまーちゃんなんだから。こんなおめでたい日に仕事なんて行ってられるか!」
「いや、行かないとダメだからね。はい。行った行った」
「いやぁー!まーちゃんのいけず!帰ってきたら盛大にお祝いするからね。覚悟してなさい」
「はいはい。楽しみにしてるね」
ボクは保護者を見送るとリビングへと戻り。朝食を食べ始める。食べた瞬間。
「……まずい。まこと…お姉ちゃんくじけそう」
精神世界に再び籠ろうかと考えが過る程のあまりにも不味すぎる食事だった。
どうにか食事を終え。玄関で靴を履く。玄関の棚に置かれている写真に気がつく。
それは十年以上前に撮られた繭住一家の写真だった。
写真には微笑む両親。澄ました顔で立つ弟。
そして自分が主役と言わんばかりにピースサインをしている幼き円の姿。
円は少し照れ臭そうに笑い。玄関の扉を出る。そしてその写真に向かって。
「いってきます」
そう声を掛けた。すると──。
──おう。行ってこい。姉さん──
そんな声が返ってきた気がした。
円は目をぱちくと開き。直ぐに笑顔となり。扉を締め、鍵を掛けた。
円は歩き出す。
これから行く場所に向かって。
この先で待ち受けるものは何一つわからない。
恐怖。
不安。
焦燥。
憤り。
孤独。
劣等。
無力。
彼女の待つ先には何一つ希望は残っていないかもしれない。
それでも。
それでも、彼女は歩く。
怖くても、不安でも、たとえこの世界がイツワリで作られていたとしても。
あらゆる場所で。
あらゆる立場で。
人は他者を、自分自身をも偽っている。
報道。SNS。噂話。
さまざまな言葉がそのモノの外観を作り出し。
あたかもそれが真実だと人々が認識していく。
──でも、少し見方を変えよう。
もしかしたら、それはひとつの姿であって、他の姿も在るかもしれない。
いつも歩く道。
その道をほんの少しでいい。
見る角度を変えてごらん。同じと思っていた道が違う姿を見せるかもしれない。
もちろん。そうでないかもしれない。
でもそう思うと、少しは気持ちが変わってこないか?
色即是空──
あの空に浮かぶ雲のように。
とどまり同じに見えたとしても。
───空即是色
ほんの少しずつ形は変わっていくものなんだ。
決して同じものはありはしない。
流れる川のように。揺蕩う雲のように。
時は過ぎ、季節は変わり、人も変わっていく。
でもその変化を恐れないで、それは正しく。
そして間違いでもある。
ひとつとして同じものがないのだから、それは仕方の無いこと。
あの少女が変わったように、人は、世界は──
「あるがままに、世は移ろうってね」
Fin。
────パタン。
古き書斎で銀の仮面を付けた女執事は、銀の書籍を静かに閉じた。
彼女はその本を愛おしげにその書のタイトルを撫でる。
【イツワリの箱庭界 ~真円を覗くモノたち~】
彼女はその本をもう一度だけ撫でながら、小さく呟いた。
「…よく、頑張ったわね。まーちゃん」
ゴーン。ゴーン。
館に鐘の音が響く。
この館に新たな客人が訪れた証である。
彼女は本を書架へ大切に仕舞い。ロビーへと客人を出迎えに行く。
そして背筋を伸ばし。現れた客人に向かって、いつものように。
「ようこそお越しくださいました。ここは『宿望館』。私はここの管理を任されておりますナイアと申します。以後お見知りおきを」
彼女は恭しくその頭を客人に対して下げ、出迎えた。




