第76話 ESCAPE
三人は地下施設を歩いた。明かりがついていたりいなかったり、仄暗い通路を進む。カレらが減ったり増えたりと床が濡れている所為で気分が悪い。
最悪な光景が脳裏をよぎる。カレらの中に真弥がいるのではと廬はついカレらを直視してしまう。だが、真弥と思われる個体は見つけられない。まだ生きていると希望を胸に廬は先に進む。
鉄扉が続く通路は、扉はどれも鍵はかけられていなかったがもぬけの殻で誰かが使っていた形跡もない。
「劉子は此処に来たことがあるんだろ?」
「です。以前来た時はもっと綺麗でこんな生物はいなかったです。ホテルとまではいかないです。でも、こんな暗くなかったです」
怪しい装置も無ければ、怪しい生物も徘徊していなかった。
地下に行くことも無くなり、いつの間にか景光の手によって最上階のあの部屋で眠っていた。
廬が捕えられていたとしても景光は劉子をあの部屋に置いていた。
「景光はいつも単独行動してるのか?」
「です。四時間しか活動できない私では景光さんの行動を制限するです。今日も仕事と言って何処かに行ってしまったです」
「情報共有はしないのか?」
「昔はしてたです。それこそ、反乱が起こった日からずっと各々の行動……と言うより私の行動範囲を共有してたです。起きたら彷徨ったりしてたです。けど最近は単独行動が多いです。情報共有もほとんど無くなったです」
今も何処で何をしているのか分からないと劉子は俯いた。
「もしかしたら景光も此処にいるかもしれないな。そうなったら土下座させてやるよ」
「土下座です?」
「奇襲を仕掛けて来たんだ。だから瑠美奈は一度足を失ってる。俺は景光を許せない。土下座をさせても許せないだろうけど、それくらいの事はしてもらうつもりだ」
「です。それは許しがたいです。瑠美奈さんは私を見つけても攻撃してこなかったです。それなのに攻撃するのはとても許しがたいです」
ふんすと怒りを表している劉子。
激怒しているわけじゃないが、かといって冗談で言っているわけじゃない。
事実廬たちは劉子を見つけた時一度だって敵意を見せていない。だからこそ、劉子は安心して目を覚ますことが出来た。それは瑠美奈が劉子の事を知っていたからだろうか。
「本当に感謝してるです。私を殺さないでくれて本当にありがとうございますです」
「瑠美奈、お前は見知らぬ相手がいた場合、攻撃するか?」
「? ……はなしする」
「だよな。そもそもあんな暗い所で寝ていたんだ。敵だと思う前に誘拐とかを考える。いや、俺の場合は景光から既に劉子は景光の相棒だって言うのは聞いていたけど、君自身と話はしていないから、敵対の意思が確認できてないわけだしな」
「きけんなあいてはかんでわかる」
鬼の勘が働くと瑠美奈は言う。
鬼の勘のお陰で景光の襲撃から廬を守る事が出来た。
「野生の勘ほど怖いものってないと思わないか?」
「!?」
聞き飽きたその声。昼に会ったその声に廬は目の色を変えた。
通路の向こうでは偽廬が立っていた。
「法則ガン無視、直感で動こうとするのは数学者だって拒絶する。感情論じゃないって当たりも腹立たしいと思うんだ。理性がある状態でその第六感を読み取らなければ数多の計画も壊されていくわけだ。そう、あの男だって瑠美奈の第六感に殺された。ただの新生物だと思えば直感が優れていて、ただの鬼と言うにはきっと無理があった。木を隠すなら森の中というけど」
偽廬は言葉を一度止めてにこりと笑った。
「所詮は嚢中の錐」
「何が言いたい」
「どれだけ平然と同じ新生物と過ごしていたとしても、……いや勿論旧生物と過ごしても同じことだと俺は思うんだ。瑠美奈、お前は鬼だ。鬼である以上、お前の中で渦巻いている衝動を今は殺せていても、きっといつかは爆発する」
旧生物、新生物と瑠美奈は分け隔たり無く過ごしていた。
瑠美奈が鬼であるなんて誰にも想像できないだろう。仮に出来たとしたらそれは、棉葉のような何でも知る人くらいしかない。
「木を隠したところで解決しないだろ? その木だって不自然だったらすぐに見つかる。人を人混みに隠したって結果として、追われている。隠れていると挙動不審になっていたら意味がないだろ? 瑠美奈、お前も今日、不自然に退院した」
偽廬は言った。通院している患者が瑠美奈が血まみれになって運ばれてくるのを見ていた。何よりも廬が瑠美奈を病院に連れて行ったのはまだ日が上にある時間帯。気が動転していた所為でまともな時間は憶えていないがひと目につくのは仕方ない。
そして、今日、退院した瑠美奈に足がある事にその目撃した患者が目を疑っていた。
「それがどうなる。たった一人に知られたって信憑性なんてない。仮に誰かに言ったとしても信じたりしないだろ」
「お前、ゾンビ映画とか見ないのか? 一人が感染した者は次々と噛んで感染させる。言い換えてしまえば、一人が見たことで多くの人に噂される。万が一その患者に人脈があり、その人の言葉は影響力がある場合、簡単に研究所の事も明るみになるだろう」
「理性のない化物と理性のある他愛無い日常会話を一緒にするな」
「結果だ。結果としてそうなる可能性があるという事だ。お前たちは少しだけ動きすぎた。テレビにも出た」
「テレビ?」
思い当たるのは憐が参加したDHRの大会だ。偶然憐がスカウトされた大会。
それが何だと言うのか。
「目立つな。目立てば狙われるのはわかっていたんじゃないのか? 政府下の組織なんて狙えば金なんて溢れるほど出て来るだろうぜ」
「今更忠告か? もう実行されたことだ。遅い」
偽廬は何かおかしい事でもあったのか肩を震わせた。クククっと手で口元を隠しても目が細められている。
廬が笑わない代わりに笑っているかのような錯覚に陥る。
「いや、実際の所感謝しているんだぜ。憐を大会に参加させてくれて、お陰でお前たちを見つけることが出来た。俺の仕事はお前たちを此処に連れて来る事だった」
「なに?」
此処、ビルの地下。カレらが徘徊するこの場所に連れて来ることが偽廬の仕事だった。
「正確に言えば、糸識廬と名乗る男を此処に連れて来たかった」
廬をこの地下施設に連れて来る。それが偽廬の総合的な仕事の完結だった。
「お前は憶えてないんだろ? あの男が此処でお前に何をしたのか。お前があの男に何をしたのか。瑠美奈、お前の兄さんを狂わせたのは隣にいる俺《男》だ」
その瞬間、廬は偽廬に突っ込んでいた。
突然の事で瑠美奈も劉子も反応できなかった。
偽廬の服を乱暴に掴んで「ふざけるな」と叫んだ。
「はははっ……。瑠美奈の第六感、遠征で戻って来た兄が可笑しくなったのは、お前がなにかしたからだ」
「やめろ」
「此処に足を踏み入れた時にはもう思い出していたんじゃないのか? 既視感を覚えていたんだろ?」
「やめろ……。それ以上、話してみろ」
「口封じでもするのか? もう遅いだろ。俺とお前は既に詰んでいる」
廬の中で確かに既視感があった。カレらを見た瞬間、廬の頭の中で何かが違っていた。全てが食い違っていた。思い出せない。忘れている事を思い出してはいけないと時折頭痛を感じていた。だがそれはいつもの発作だと知らないふりをしていた。
この施設に廬は来たことがある。
「嚢中の錐。お前はどうして死んでない?」